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もののあわい雑記「ジャーナリストか、サバイバーか」

思うときに思うことを呟きたいのに、SNSが使いにくくなって、めっきり書かなくなった。言いたいことを溜めに溜めた挙げ句、noteを書くといつも長文になる、ゆえに、書くのがおっくうになる。そんな流れを変えるべく、物事と物事の間で、何でもないときに考えているうたかたの、気がつけば流れて忘れてしまう泡のような雑文を書くだけの場所です
文章メイン。書きためてたものを不定期に投稿するので連投したとしても仕事してないわけじゃないです(関係者への言い訳)。

もののあわい雑記について

米アカデミー賞の候補作に伊藤詩織さんの監督する「Black Box Diaries」がノミネートされ、素晴らしいなあ!!
・・・と喜んでいたら、現在に至っても日本上映がされていない背景に複雑な事情が絡んでいることを知り、色々と調べては、考えている。
知るほどに何を是とするか難しい問題だと思うけれど、めぐりにめぐって、やっぱり私はこの映画が見たい。

それぞれの主張がわかりやすかった安田さんのまとめ。

いろんな方の意見を読んだり見たりした上で、私は上記のミキ・デザキさんの記事が自分の感覚に近いと感じた。

元代理人弁護士の会見(昨年行われたもの)を見て、胸が痛んだ。
八年の間、寄り添って共に戦ってきた相手とこのような形で袂を分かつことを望んでいるはずもなく、本来ならこの映画の公開を心から応援し、ノミネートされたことを共に喜びたかったことだろう。
先日行われた会見で元代理人サイドからの「恩を仇で返された」という発言には、さすがに少し引っかかったけれど、心情的にはよくわかる。
この件に対し苦言を呈して記事にした東京新聞の望月さんが伊藤さんから提訴されていることも辛い。なんせ、元々は連帯していた者同士なのだから。
この提訴は取り下げて欲しいと個人的には思う。
支援者との分断は本当に悲しいことだし、別の場所でそういう”こじれ”を喜ぶ人がいるのも嫌だ。

いろいろな情報や意見をめぐった末、現在、伊藤さんの映画で起きている問題が複雑なのは、意見が対立しているどちらの側も、ある意味で正しいからだと理解した。

伊藤さんが性被害に遭ったホテルでの映像や協力者の証言を許諾が不十分なまま公開したことについて、ジャーナリストとしてあってはならないことだというのも理解できる。
これらの映像を、許されなければ使うべきでなかった、使わなくても映画はできただろうという意見。
本人が自らをジャーナリストと名乗るのであれば、基本である公開の許諾や情報提供者の秘匿になぜもっと最善を尽くさなかったのかという、ジャーナリストたる者の矜持、関係者との信頼問題。確かにそうだと思う。

一方で、フェアユース、公益性があるとして公開した伊藤さんの主張もわかる。日本と欧米では公益性の考え方が違うという点もあるけれど、それらの映像が使用できなければこの性加害の実態も、深刻さも理解されず、話題に上らないどころか、いわれのない誹謗中傷に晒され続けるかもしれない。
さらに問題は、性加害というだけでなく、この件が刑事事件化されなかった背景にある国家的な圧力を明示するために説得力のある証言を集めなくてはならなかったこと。
「ここまでしなければならなかった」「それでも撮らねばならなかった」という切迫した理由が、性加害と多くの二次加害をうけてきた伊藤さんにはあると思う。

だから伊藤さんを「ジャーナリスト」としてみるか、「性暴力のサバイバー」としてみるかで、正しさは違ってくる。
本来なら私は、許諾などをきちんと取ってやるべきだったと思う。
けど今回の件に関しては、これまでの常識に倣った見方でなく、ごく限定的で特殊な事案として考えなくちゃいけない気がしている。
だって「ジャーナリストでありサバイバーである人が、自らの性被害をドキュメンタリーにした」という例が、これまでどのくらいあるだろう。
誰も見たことのない映画ができて、それで多くの声なき被害者が勇気をもらえるのだとしたら、それでも公開に踏み切ったことにやはり意義はあると思う。それが強いインパクトを残しアカデミー賞にノミネートされたからこそ、初めてこの問題を知る人も多いんじゃないか。

だから私は、色々考えた末、やり方に問題はあったかもしれないけれど(これからでも修正できることはして)、この映画が日本公開され、多くの人に見てもらえる作品になればいいなと思う。
まだ映画を見ていないから、見たら印象が変わることもあるかと思う。
けれど、今の時点では、そう思う。

それと・・
伊藤さんを批判する声の中で、もっともだと納得できる意見に交じって、ことさらに被害者に道徳的倫理を求める人もいるのは気になる。
だいたいが「大前提としてもちろん悪いのは加害者だし、彼女の映画は公開して欲しいと思いますよ?でも・・・」と始まって、批判が続く。
結局こうなると「彼女は意義のある活動をしたが、それ以上に起こした問題が大きい」という風にも聞こえてしまいませんか・・。
それが、あくまでも味方ですよというスタンスで責めてくるからしんどい。だって、反論できないもの。
「応援してあげてたんだから、あなたもっとちゃんとしてよ」みたいな空気、過去には自分だってやってきたことがあるかもしれないから、自戒を込めて。
被害者は正しい行いをして耐え難きを耐えよ、という風潮に抗いたい。

伊藤さんの著書「Black Box」は、発売当時に買って読んでいた。
その体験の恐ろしさが生々しく迫ってきて震えた。その後の闘いを追うほどに胸が苦しくなった。なぜ、正当に、加害者が捌かれなかったか。
告発したあとの、伊藤さんへの過酷すぎる理不尽な仕打ち。
多くの誹謗中傷に晒されながらの孤独な闘い。自分の名誉やジャーナリストとしての野心のためにやれるレベルのことではないと最初から思っていた。
それはやはり、多くの、声なき性被害者のためだろう。つうか仮に伊藤さんが自分のためだけに戦い続けたのだとしても、被害者は自分で立ち上がり歩くことができると言うことを示す、相当な力になっていますよ!!
どうかその労が報われて欲しいと願いながらそれ以降の民事裁判などもずっと注目してきた。

アカデミー賞授賞式に出席する伊藤さんには、自分が好きなドレスを着て、キラキラして、誇らしく思い切り笑っていて欲しいと願う。

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