かけぬけ2022
今年も一年あっという間でした!
……と、よくいうけれど、私にとっては「え?!ロビー・ヒーローがまだ今年?!」と思うくらい、2022年はなんだか盛りだくさんで、目一杯ぎゅうぎゅうな濃い~い一年でした。
思えば昨年10月の『或る、ノライヌ』から今年10月の『閃光ばなし』まで、ずっと何かしらに追われていたような気がする(忙しいというより、仕事が遅いため)。もう少し余裕のある生き方をしたいけれど、すべての経験に新しく素晴らしい出会いがありました。
だから幕の内弁当の早食いみたいな1年だったなあ(意味わかんない)。
こんにちは桑原です。
というわけで今年最後のnoteは、備忘録代わりに舞台に関わった1年を振り返り、関係者皆々様に御礼申し上げたいと思います。
1月 『演劇部のキャリー』
今年最初の舞台がキャリーでしみじみ良かったなと思う。
一日の稽古。一回のリハと、本番。たったそれだけなのに、この舞台は、まるで自分が作品に描かれる演劇部時代を体験したような感覚だった。
入江さん演じる先輩と、私演じるミッキーの、2人だけの部活動。
あの日見た夕暮れ時の観覧車や、先輩が運転する車で聞いたレベッカ、逸る気持ちで会場に走った地区大会。
全部が実体験のように、大切な青春の思い出のように、暖かく胸に残ってる。読んでるだけなのに演じながらあんなに涙が止まらなかったのにもびっくりした。
「ミッキー、演劇は素晴らしいよ」
先輩の最後のことばに背中を押されて走って来れた1年のような気がする。
これからの演劇人生でも折に触れ思い出して力をもらうんだろう。
ありがとうございました!
3月 『火球』
だいじな友だちがいる宮崎県・延岡市のことを、いつか描いてみたいと思っていた。けれど、その願いが叶うことになったとき、その友だちがこの世を去った。本当は、彼に物語を描きたかったのに。
まだ全然気持ちの整理がつかないまま、延岡のことを描くことになった。
残された人たちのことを想った。家族や友人・・・自分も含めて。
だから、その人たちのことを描こうと思った。
私なりに、整理がつかぬままでも良いからと。
その力をくれたのが、延岡の離島、島野浦の漁師さんたちだった。
どこの馬の骨ともつかぬ私を彼らは歓迎してくれた。美味しいお魚や、エビをご馳走してくれた。船で島を見せてくれ、いろんな話を聞かせてくれた。
延岡を描くことになっていなければここに来ることもなかった。数奇で素敵なめぐりあい。取材先で新しい友だちができるなんて考えもしなかった。
私はすっかりこの漁師町と、そこに住む人びとに魅了された。それで、「残された人たち」を描こうと思っていたけれど「今ここで生きている人たち」のことも、ちゃんと描きたいと思った。
「島浦の夫たち」とは今も連絡を取り合っている。
宮崎の劇場の皆様、延岡の夕刊デイリーさんにもたくさんお世話になった。
またいつか宮崎のことを描かせてもらえる機会があったら、夕刊デイリー編集部を舞台にしてみたい。
ありがとうございました!
5月 「ロビー・ヒーロー」
俳優、劇作家、演出と三つやらせてもらっているなかで、一番経験が浅いのが演出だという自覚がある。自分の作品の多くは自分で演出してきたものの、演出だけで呼んで頂く機会は少なかった。
俳優からスタートしたから長らく一番したいのは演じることだったというのがまずあったけれど、感覚的には劇作を依頼される際に、セットで演出もやる、という感じだった。
他者の戯曲を読み解き創造することは、経験も実績も勉強も足りてないという自覚があった。だからそんな私にこの作品を挑戦させてくださった新国立劇場と芸術監督の小川さんの懐には、ふんっとに、ふんっとおおおおおおに感謝していて……、
この舞台を終えてから、もっと演出したいという欲求と、もっと勉強したいという、ナマケモノ科のわたしにあってめったに芽生えることのない向上心といふものが雨後の竹の子のごとく生えまくりました。
ケネスさんの戯曲が素晴らしかったのはもちろんあるのだけれど、なんせ俳優の力が凄かったと思う。
台詞を覚える早さも、読み解く力も、咀嚼して飛躍する高さも。昔から「映画は監督、テレビドラマは脚本家、舞台は俳優のもの」なんていうけれど、ほんとそうだなと思った舞台(自分が俳優の時そうなれているかは不明だが)。最初から最後まで4人の俳優に尊敬の念を抱いていた。だからこそ、自分もこの人達の信頼に足る演出をしたいと、心から思った。
精進します。
公演中に、私の肉体管理のだらしなさによって(?)急に足の指の手術が入るという珍事(ハア?)がありましたが、4人には何の心配もなかったです(桑原こそ大丈夫そ?)。
ありがとうございました!
長くなったので続きはまた明日。
待って。
もういくつ寝るとお正月!?
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