ナビレラ――忘れたくないメモ②
千穐楽前日、この詩をキャスト皆へ送りたくなった。
『私の名前はキム・サムスン』という韓国の人気ドラマ(大好き)に登場していた詩で、アルフレッド・D・スーザという牧師さんの言葉らしい。
本番が始まってから、ナビレラのキャストに文字データでNOTE(いわゆるダメ出しのことですね、もうダメ出しとは言わないね)を送っていたので、千穐楽行ってらっしゃいの時に送ろうと思ったけど、結局、文字にするほどNOTEがなかったし、いきなりなんやねんなのでやめたのですが。
ドクチュルを、チェロクを、バレエ団を想うと、この詩が浮かんだのでした。
「幸せは旅ではあって目的地ではない」
そんな備忘録、またも超超長文ですみません。
とにかく疲れる稽古だった。
泣かないように我慢して疲れるという、稽古場だった。
泣ける芝居が良い芝居だなんて、まったく思っていないし、普段なら、泣かれるとかえって冷めてしまうこともある。
けど、泣かないと決めていても、我慢できなくなるときがあった。
たとえば、シム家の和解。
たとえば、最後の発表。
たとえば、車椅子のドクチュルのもとへ帰ってきたチェロク。
けれどこれらのシーンは稽古をくり返すうち、「警戒シーン」として構えられるのでまだ良い。むしろ演出の私が揺さぶられるくらいじゃないとお客さんにも届かないだろうと思うので、涙もある意味リトマス紙。
ただまったく予期していない瞬間に「ウッ」となってしまうことがあって、それは大体、悲しい時ではなく、ドクチュルが幸せそうに踊っている時なのでした。
スーパーマーケットでドクチュルが歌うシーンの初稽古。
カートをグランジュテで吹っ飛ばし、「毎日が新しい!」と嬉しそうに歌ったとき、いきなり涙が吹き出た。予期していなくて慌ててしまったけれど、その時不意に、わからなかったことが、わかった気がした。
なぜ歌わねばならないのか。
何を歌うのか。
私はこれまでストレートプレイを主戦場にしてきたので、突然歌い出すことに未だ戸惑いがある。
けれど、慈英さんを見ていて、突然腑に落ちた。
稽古中はちょっと目を離すと、歌の練習しに行ったり振付の練習しに行ったりキャストにマジックを仕掛けて遊んでたり、まるっきり落ち着かない小学生のよう。褒めようとすると恥ずかしそうにすぐ話題をそらして逃げてしまう。そんな慈英さんに、私はミュージカルの根幹のようなものを教わっていた。言葉ではなく、その姿勢で。
いつだったか、
「バラさん、稽古を見てるとき、ニコニコして楽しそうだよね。稽古、楽しいでしょ?」
と聞かれて、「はい、楽しいです」とその時は言ったのだけど、本当に言いたかったのは違います。
私、あなたを見てるのが楽しかったんです。
ニッコニコ見てしまう場面と言えばそう、そんな慈英さん率いるシム家。
「私、みんなを全力で愛すから」
稽古初日に岡まゆみさん(以下、母ちゃん)が言った。わかっちゃいたけど、有言実行の人でした。
母ちゃんは稽古期間中、夜遅くまで打ち合わせが続いた時に、タケノコの煮付けを作ってくれたり、中華そばのお弁当をそっと演出机に置いていってくれた。
疲れた体に染み渡り、いつも泣きたいくらい美味しかった。
母ちゃんや、シム家の親戚みたいなミング役の久保貫太郎、ソンサン役のオレノ君は昔からの知り合いなんですが、三人は業界屈指のお人好しでして。
この人たちがいたから、きっとこの座組は大丈夫、絶対あったかい場所になるという不思議な確信があった。その通りになりました。
互いを気遣って助け合ってた仲良しのへジンズ。順番こに交代しながら稽古を進めていくのだけど、あるとき、つい熱中してしまい、連続してなぎヘジンで稽古していたら、
「(ネオちゃんと)交代してもいいですか?」となぎちゃんの方から言ってくれたのは、なんだか嬉しかったなあ。
ネオヘジンはみんなのベイビー。チェロクとちょっとイイ雰囲気のシーンを作ろうとしても、ついチェロ規がお兄ちゃん目線になってしまう。その点、なぎヘジンの時は、強気な色気にしっかりチェロ規がドギマギしていて、その違いがおもろかった。
「チェロクを落とせないわけがないと思いな?」
(なぎヘジンからネオヘジンへの提言)
叔父ソングァンとの掛け合いの違いも面白く。
ネオヘジンと英孝ソングァンが掛け合うと、時々、二人ともまるで状況を理解してない顔してて笑った。
あちこちで話してるけど、あらためて、ナビレラとエイコーちゃんのなれそめ(なれそめって何だ)を語らせてください。
私、ゲーム好きでして。
かねてから狩野英孝さんのYouTubeチャンネルにハマってたんです(なので、視聴者としてエイコーちゃんと呼ばせて頂きますが)。
あるとき配信上で演技(らしきもの)をしてるのを見て、「おっ・・・」と思ったのが最初のきっかけ。
そしたら奇遇にも、こんな動画が出ていて・・・、
「おっ・・・!!」
私は思わず、注目したのですが。
いやぜんっぜん(泣けねえの)・・・
動画に爆笑した後(ほんと見て欲しい)、
まるっきり泣けないこの方になんでか強く心惹かれ、
「是非、次男は英孝ちゃんで」
人生とは数奇なものですね。
稽古ではもちろん、「別に泣かなくていいんで」と演出しました。
けど不思議なもので、本人が泣けなくても、英孝ちゃんのまっすぐさに、こちらが勝手に泣けてくるのです。
エイコーちゃんには、俳優の持つそれとはまた違う純真さがある。
それは人間の気質であり、本人が自覚して出せるものではないから、素敵です、といくら褒めても不思議そうな顔をしていた。
個人的にお気に入りの稽古エピソードといえば、家族が和解するシーンで、ヘジンズと次男ソングァンがハモって歌うとき。
序盤の稽古ではエイコーちゃんの音程があらぬ方へ飛んでいって(クセつよとは別の意味で)なかなかハモれず、しまいには歌うのをやめてヘジンたちに「どうぞ」の手振りでお任せしており、見てるこちらも思わず笑ってしまってたんですが。
その横で慈英さんだけが、
「不器用な俺の息子がかわいくて・・・」
とマジ泣きしていたこと。
いや慈英さんの感受性よ。
ソングァンとムン団長との掛け合いがいつの間にか毎日楽しくなっていった。台本を書いているときはそこまでの関係性を想像してなかったから、館様とエイコーちゃんの人柄なのでしょうね。演技体も生きてきた場所も、まったく違う二人なのに、ふしぎなケミストリー。
ちなみに・・・
ナビレラが終わっても館様にいつでも会える方法を私は知っています。
皆さんもすぐに会えます。お手持ちのiPhoneで、
「ヘイSiri、どこにいる?」
と聞いてみてください。(男性の音声設定で)
「わたしはここにいますよ」
という声、完全に舘様です。
つまり、もはや私にとってiPhone=舘様なのです。
あああ、書き足りないことが溢れます。
そろそろ切り上げなくちゃと思いつつ、
♪あと少し、もう少しーなりふり構わず追いかけたい
「ナビレラ」は、ここ10年くらいで一番稽古場に長くいたし、幕が開くまでは朝から晩まで劇場にも長くいた。家に帰ると足がガクガクして動けず、かといって頭はぐるぐるして眠れない、心も体もハードでフル回転な日々だった。
けれど、稽古が終わって欲しくないくらい楽しかったのは、ここに書いたようなキャストたちのおかげであり、素晴らしいスタッフに恵まれたからでした。
夜遅くまで、盆の舞台をぐるぐる回しては、もっと面白い見せ方はないか、スムーズなシーン展開はないか、一緒に考えてくれる演出部&クリエーションスタッフと過ごす時間が、本当に心強くて楽しかった。
もっと素敵なアレンジはあるか、どうしたら心地よく繋がるか、歌詞がしっかり届くか、音楽スタッフと話し合う時間は、いつも豊かだった。
「クライマックスの暗転演出が神」
というご感想、たくさん頂きました。
ええ。ええ。ありがとうございます。
・・・って、わたしの手柄にしたいですよ。
けど、あれは、あの神演出は、
富田女史のアイディアです!!(あー!言っちまった)
振付稽古の一番最初から富田ちゃんが「暗転で終わりたい」と言っていて、あのジャンプを見せられた日にゃ、
「素敵やん」
また私はただの、島田紳助ですよ・・・。
バレエのことは、美しい舞美先生や三浦パイセンに教わり(衣裳の自然な着こなしなんかも、何がリアルか、パイセンがこまかく教えてくれた)。
ミュージカルのことは、慈英さんに教わり。
音楽のことは、門司先生はじめ音楽チーム&バンドの皆さんに教わり。
愛は、母ちゃんに教わり。
色々とここまで書いてみると「ハードでフル回転な日々でした」とか言っておいて、おめー何もしてねえじゃねえかって気がしてきました。
なので、メモはこの辺にします。
がむしゃらに何でもやっていた気もして、
みんなに助けられ、何もしてなかったような気もして
ただ毎日を、今を、
歌うように踊るように刻んだナビレラ
そんな風に思えるのが、一番幸せな仕事なのかもしれません。
この景色を見せてくれた東宝プロデューサーズ、ありがとうございました。
素敵な門司バンドの皆さん、ありがとうございました。
ここに載せられなかった(誰にも頼まれてないけど)スタッフの皆さん、ありがとうございました。
そしてナビレラへご来場頂いた皆様。
本当に本当にありがとうございました。
皆さんの熱く、温かい拍手が、沸き立つような歓声が、この作品を私たちが思う以上に特別なものにしてくれました。
もしもいつか幸運にも、
この作品が「イショーラス!」できたら、その時はまた足を運んでくれますでしょうか。
それまではこのメモを閉じ、なくさないよう大事にしまっておきますね。
ありがとうございました。
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