マッチングアプリ(短編小説)
「だから、誰にでも出来ることって価値がないのよ。そう思わない?」
強制的に同意を求めるような聞き方に「そうかもね」と反射的に答えていた。
「貧乏には誰でもなれるの。働かないで、持ってるお金使っちゃえばいいだけだもん。だから、貧乏に価値はないの」
目の前のカナという女は三杯目のハイボールを飲みながら流暢に語りかけてくる。
「その意味でお金持ちってそれだけですごいと思わない? お金を稼ぐって簡単じゃないし、そこには努力や才能が必要でしょ?」
変わらず同意を求めるようなしゃべり方に、今度は発話もせずただ頷いた。
最近よく利用しているマッチングアプリを使い、この女とは一時間前に初めて会った。登録しているカナという名前が本名なのかは分からないし、そこには興味はない。俺だってアプリに登録しているタケルという名前が本名ではないからだ。
そもそも、はじめましての人間にとって名前なんて記号のようなものだ。遠くから呼んでその人が振り返ってくれるのならなんでもいいし、名前自体には意味はない。その人のことをもっと知りたくなった時に初めて名前というものに意味が生まれるのだろうと、そんな風に考えている。
「で、タケルくん仕事は何やってるんだっけ? 充実してる?」
会うまでのメッセージのやりとりでは仕事のことなど触れて来なかったのに、会って間もなく仕事について尋ねてきた。いわゆる世間話としての入口なのか、純粋に収入を知りたがっているのか、それは分からない。
「ボチボチかな。カナさんはどうなの?」
最近始めたマッチングアプリで決めていることは、相手が年上だろうと敬語を使わないことだった。敬語は距離を作ってしまう。特に男と女として会うこのような場では馴れ馴れしいと思われようが敬語は使わない。
俺はプロフィール欄には嘘を書かず24歳と書いている。今回の相手は28歳と表記していた。実際に会ってみるともう少し上に見えたが、なんにせよ年上だろう。それでも敬語は使わないし、年齢だって名前同様、記号みたいなものだ。そこに意味をつけたければ後からだっていい。
「わたし? わたしは休養中っていうのかな。なんか色々疲れちゃってさ。タケルくんは仕事でストレスない?」
空いたグラスを回しながら上目遣いでカナが訊ねる。店内のBGMにおぼれない程度の音量で氷が音を立てた。
「おかわりは同じのでいい? あと焼き鳥頼んでもいいかな。ここの焼き鳥うまいんだよね。レバーの焼き加減が絶妙なの」
わりと昔から褒められる笑顔を浮かべて俺は言った。もちろん本気で笑ってなどいない。
仕事にストレスがないわけがない。仕事の定義とは、ストレスを抱える行為を指すのだろう。たぶん、辞書にも書いてある。そもそも、そのストレスが原因で俺はこのマッチングアプリを始めた。
大学を出て零細企業の営業部に配属された俺は、仕事で全く結果が出せないでいた。入った当初は期待のホープだなどと持ち上げられたし、部長からは「君は顔採用で採ったんだから、その甘いマスクでじゃんじゃん契約を取ってくれよ」なんて言われた。だが、結果が出ないと分かりやすいぐらい評価も対応も変わっていった。社会に出れば見た目なんて関係ない。仕事が出来る奴が正義で絶対なのだ。
学生時代はそんなことなかった。俺の周りには昔から男も女も集まってきた。俺の人生には学力なんて必要ないと本気で思っていたし、大した大学ではないけれど卒業までそれは続いた。だが、今の会社の立ち位置はまるで違う。こんなはずじゃないと、毎日奥歯を噛み締めている。
そんなストレスを解消させようと始めたのがマッチングアプリだった。プロフィール写真に加工をするのは男も女も当たり前になっているけど、俺は無加工で何気ない写真を載せている。それでもすぐにマッチングできたし、実際に会うと大抵の女は写真より実物の方がかっこいいという旨のコメントを言った。
初めてマッチングした女は年下の女だった。会ったその日にホテルに行った。性欲というより自尊心が回復していくのが分かった。今の俺に必要なのはこの感覚だと、それ以来利用している。
もちろん、その日にセックスできるばかりではない。それでも何回か会えばセックスぐらいは出来るという確信はあった。それは相手の瞳を見れば分かる。学生時代、俺に向けられていた類の視線だ。今の会社のそれとはまるで違う。ただ、何回か会うという作業もそのうち面倒になり、いつからかその日のうちにセックスできるかというゲームになっていた。さて、今日のカナという女はどうだろうか?
「ほんとだ、このレバー美味しいね」相変わらず上目遣いの女に今日はいけそうだと俺は思った。
「わたしね、お金持ちになりたいの」串から外したレバーを箸でつかみながらカナはそう言った。
「だから、お金持ちになりたい人が好きなの。タケルくんはお金持ちになりたい?」
「そうだね、なりたいかな、金持ちに」歯切れの悪い言い方だったが、俺はそう答えた。
「実際にお金持ちじゃなくてもいいの。向上心って言うの? 野心家って言い方でもいいんだけど、組織なら常に上を狙っている、どうしたら売上が上がるかいつも考えているような人が好きなの」
俺はうなずきながらグラスに手を伸ばす。
「わたし自身そういうタイプだから、どこ行っても人間関係で疲れちゃう。意外とこういう考えの人って少ないんだなって。前の会社ではいわゆるお局に目をつけられちゃった。わたしの意見が面白くないんだって。程度の低いいじわるばかりやられたから辞めちゃった」
そういってカナは笑ったが、俺のリアクションを確かめているようだった。
「タケルくんの会社は大丈夫? いじわるする人はいない?」
仕事の話はしたくない。かといって不機嫌な態度をとるのは得策ではない。「うん、大丈夫だよ」出来る限り笑顔を作って、グラスのお酒を飲み干した。
俺がおかわりを頼んでそのグラスが無くなる間もカナはそんな話を続けていた。どうやら、俺の口から仕事に対する意気込みや、野望とやらを聞きたいらしい。しばらくはかわしていたが、それも面倒くさくなってしまった。
おそらく俺がそんな人間を演じ、ありもしない夢や野望を語っていけばこのまま抱けるかもという予感はあった。だが、そんな気分じゃなくなってしまった。心なしか飲んでる酒も不味く感じる。
今回はもういいや。これ以上の会話も時間の無駄だろう。また次の女とマッチングすればいいだけだ。
俺は店員を呼んで「お会計」と告げた。
(了)