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賭博師とレザーサンダル (短編小説)
(2,348字)
「最高の経験と最低の経験の振り幅が大きい程、欲求は深まるんだって」
僕の腕の上で彼女が言った。
行為のあとの、例のダルさと眠気に襲われてウトウトとしているところだった。
「で? どうだった?」彼女が訊ねる。
嗚呼、そういうことかと理解して「最高だったよ」と答えた。
「そう、それは良かった。じゃあ次は最低な経験が必要ね」
「そうだね」僕は一言だけ返した。
彼女はギャンブルが好きだ。
彼女が言うところの「最高の経験と最低の経験の振り幅が大きい」のだろう。はっきり言って依存症だと思う。だけど僕にはそれを止められない。一度思い切って指摘したことがあった。
「そうよ、依存症よ」とのことだった。
関係性の優劣だとかパワーバランスだとかを僕は気にしたことはないけど、いつも彼女には振り回されているし、正直それに満足していた。
だけど、デートでパチンコ屋に連れて行かれるのはあまり好きじゃない。そんなのデートじゃないし、そもそもロマンチックのかけらもない。
誰でもそうなのだろうが、勝った時の彼女は上機嫌で、負けた時の彼女も同じくらい不機嫌になった。
不機嫌な時は、僕のおごりで食事に連れていき機嫌を直した。そのかわり上機嫌な彼女は、絵に描いたような豪遊に徹した。
僕は彼女を社長と呼び「社長ごっこ」を楽しんだ。悔しいけれど、これ以上楽しい遊びを僕は今のところ知らない。
そんな僕でも一つだけ決めたルールがあった。
彼女が「お金貸して」と言ってきたら、別れを告げようというものだ。今までに言われたことはないし、実際に言われたらそれができるか自信はないけど、この一線は守らないといけない気がした。
「ねえ、明日競馬場行かない?」
今にも眠りそうな、いや、もう寝ていた僕の肩をゆすって彼女が言った。
「競馬? 競馬やるの?」
「うん、ネットではやったことあるけど競馬場行きたい。明日天気いいし行こうよ」
「いいよ、行こう」
いつだって、僕は言いなりだ。
予想通り晴れて、朝から彼女はテンションが高かった。
「早く行こう! 第1レースに間に合わないよ!」
淡い緑色のリネンのドレスに、襟元には花柄のスカーフまで巻いている。レザーサンダルを履きながら僕を急かした。いつもパチンコ屋に行く時はTシャツにジーパンなのに、今日は気合いが入ってるみたいだ。
でもなんだかデートっぽくて僕はそれが嬉しかった。
行きの電車で彼女は競馬新聞を早速買っていた。なぜだか赤鉛筆まで持参していて、「こういうのは形から入らなくちゃね」と笑って言った。
僕もつられて笑ってしまった。
中山競馬場は思っていたより綺麗だった。
僕の想像では、もっとおじさんの香りが漂う場所だと思っていたけど、そんなことはなかった。
「ねぇ、第1レース間に合うかな!?」
電車の中で予想していたので、小走りで僕らは買いに行った。
レースが始まると彼女は大声で応援していた。彼女が何を買ったか知らないので、「何番? 何番が来ればいいの?」と彼女に聞いて僕もその馬を応援した。
だけどもそのレースは外れてしまった。
馬券の買い方を教えてもらったけど、正直よく分からなかった。一番単純な1着を当てる単勝というのがあるらしく、僕はその後「タンショウ」を少しだけ買って楽しんだ。
パドックでは馬の迫力を感じたし、走ってる馬はすごく美しかった。何より応援するのは楽しい。
お昼は地下一階のフードコートで食べた。僕はフードコートが好きなのだ。午後のレースはビールを飲みながら応援した。
肝心の馬券はというと、僕の単勝は3レース当たった。それでも100円単位で買っていたので、800円しかプラスになっていない。
彼女はといえば、当たり外れを繰り返して結局はマイナスらしかった。
次の11レースがこの日のメインらしい。
「よし! 次のレースで取り返すよ!」彼女が熱くなっている。
パチンコでもそうなんだけど、負けていると熱くなるところがある。取り返そうと熱くなって、良い結果になったのを僕はあまり見ていない。
「ほどほどにしといた方がいいんじゃない?」
お伺いを立てるように僕は言った。
「いや、ここで取り返さないと!」
どうやら止めることはできなそうだ。
気合いが入ってる分、レースは応援にも熱が入った。僕はプラスで終わりたかったのでこのレースは買ってない。彼女が買った馬を教えてもらって全力で応援した。
が、応援むなしく外れてしまった。こうなると僕の仕事は彼女をなだめることだ。
「まぁ、しょうがないよ」
ありきたりの言葉で様子を見る。
「いや、最終レースがあるよ!」
嫌な予感がした。
「最後で取り返せば勝ちでしょ!」もう止められないし、未来の予想はできた。落ち込む彼女を僕がなだめて、帰りに食事に連れていくんだ。
800円のプラスじゃ、食事代で赤字じゃないか。
真剣に予想をしている彼女を見て、正直もう帰りたいと思った。
最終レースは祈るように見た。いや、実際に祈っていた。
そしたら、奇跡が起きた。
手元の馬券を確認しながらつぶやくように彼女は言った。
「……当たった」馬券を持つ手が震えていた。
「当たった、3連単」
なんでも1着から3着までを完璧に当てたらしい。払い戻しを見て僕も震えた。
270,980円
100円が27万円になった。換金するまで信じられなかったが、本当だった。
帰りの電車でも二人で興奮しっぱなしだった。
「今日はご馳走するよ!」駅を降りると彼女はそう宣言した。
そうさ、こんな日々がいつまで続くか分からない。
いつか彼女があの台詞を言うかもしれないし、言わないかもしれない。明日のことは誰にも分からないよ、それはギャンブルだって一緒だろ?
今から僕は社長ごっこをするんだ。
(了)
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