WALKMAN 40th
こないだツイッターで知ったけど、ソニーを代表するプロダクトのひとつ、”WALKMAN”が40周年を迎えたらしい。音楽好きを自認する者として少し書きたい。
僕は今年で43になる。ということはWALKMANより3つだけ歳上だ。
出会いはたしか小学校4年生、音楽愛好家の叔父にお年玉でもらったと記憶している。
当時はそこまで音楽に興味なかったものだから「へー。」くらいのものだったけど、やはりカセットテープを持ち歩いて聴けるというのは物珍しく、友達に自慢したのは憶えている。
いっしょにもらったテープには、僕の記憶が確かなら山口百恵の楽曲が録音されていたはずだ。
聴くには聴いたがヘッドフォンの隙間に髪を挟まれるのをストレスに感じたり、音楽への興味のなさも相まったりであまりしっかり使った記憶はない。何より10歳程度の男子に百恵ちゃんは早かったように思う。中学くらいで百恵ちゃんならハマっていたかもしれないな。
本格的に音楽へ興味を持ち、WALKMANが手放せなくなったのはたぶん中学3年~高校2年くらいまでだと思う。
受験を経て、大学への通学でも随分とお世話になった(何しろ片道2時間30分強、ただ電車に揺られるだけなんてのは苦痛以外の何物でもなかったから音楽と本は欠かせないアイテムだった。とは言えそこまでマジメに大学まで行った覚えもない)。
もちろん叔父にもらったものには引退してもらい、新しいものを使っていた。
あの当時よく聴いていたのがなんだったのか、今じゃあまり思い出せない。でも、退屈かつ苦痛な時間を和らげる助けをもらったのは確かだ。
しかし、いつのまにか使わなくなっていた。
時期は覚えていないけど、理由は明確に覚えている。
好きな音楽を持ち歩けるというのはとても気持ちの良いものだけど、ある意味で部屋ごと移動しているのと変わらないと思ってしまったから。外に居ながらにして引きこもっている、そんな気がしたから。
雑踏もノイズもまた日常にある音楽なんじゃないかと、イヤフォンを久しぶりに外して移動した時に感じたから。
狭い部屋から急に外へ出たときの解放感、あれに似ていた。そしたら部屋に戻る気が無くなってしまった。
爾来、いち時期は必要に駆られて頻繁に使う事もあったが−その時はiPodだったけど−その必要もなくなるとまた使うことは無く、今に至っている。
だけど最近はそうも言ってられなくなってきている気もする。
聴覚よりも視覚に飛び込んでくるものの方が酷いものが多いから直接的にWALKMANではフォローできないけど、自分の世界に、あの心地良くも閉ざされた部屋の中へ戻れば少しは気にならなくなるかもしれない。