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ある夜のできごと|Lush Life

女性の独り客は珍しくない。でも、かなりの酒豪となれば別の話。

『強いバーボンをロックでください』

いつもはカクテルを4,5杯飲まれる方なのだが、今夜のオーダーはバーボンだった。

私は迷わず【Woodford Reserve Double Oaked】を選んだ。

どことなく淋しそうな、今夜の彼女に【Old Grand-Dad 114】なんて野暮なチョイスは似合わない。

どうやらそれは間違っていなかったようだ。

ひとくち飲んだ彼女の唇が『お・い・し・い』と動いてくれたように見えた。

時が過ぎても、彼女のペースは変わらない。アルバムの枚数だけオーダーがくり返されている。

飲みはじめてから、4枚目のアルバムに針を落とした。

私でもそろそろいい心持になってくる量なのだが、彼女の所作にはしたる変化はみられない。

瞳からあふれそうなものをこらえているだけだった。

いつもなら何かと世話をやきたがる常連客も、今夜は大人しく飲んでいる。

大好きな曲【Lush Life】の1節が浮かんできた。

【豊かな人生】と【酒浸りの人生】

ふたつの意味を持つ言葉で、当然ながら、この曲は後者で綴られている。

何かを忘れたくて飲む酒。それも、いいかも知れない。
でも、酔いが醒めれば同じこと。行き着く先はLush Life。

Lush Life : Billy Strayhorn  1933

今夜の彼女は、そろそろ潮時かな?

私は【JOHN COLTRANE & JOHNNY HARTMAN】のCDをセットし、4曲目の【Lush Life】をリピート・モードでスタートさせた。

この便利さがCDならではの機能だ。LPだと難しい。

さてさて、私の思いは彼女に伝わってくれるだろうか。

ジョニー・ハートマンの甘い声が流れ始めた。

相変わらず、彼女のペースは変わらない。

ヴァースが終わり、コーラスが始まる。コルトレーンのオブリガードが心地よく歌と絡み合う。

飲み干したグラスを思案気に見つめている彼女。

コルトレーンのソロがはじまった。彼のバラード・プレーには暖かみがある。

時間の流れが、ゆったりと感じられる。

私も自分のグラスをバーボンで満たした。

ハートマンのリフレイン ♬ ロマンスなんてものは。。。。♬

カウンターに置かれた彼女の手が、飲み干したグラスを、思案気にもてあそんでいる。

♬ そこで酔いつぶれて朽ち果てながら。。。♬余韻を残しながら曲が終わった。

グラスに溶け込んだまま動かない彼女の視線。

再びマッコイ・タイナーのイントロが流れだし、その視線が私に向けられた。

どうやら私の思いは伝わったようだ。

ドラマの中の粋なマスターなら、こじゃれた台詞を吐く場面なのだろうが、生憎、私はそんな素養は身についていない。

失礼にならない程度に、彼女からの視線を受け取るのが精一杯だ。

2度目のヴァースが終わり、コーラスが始まったところで、彼女が口を開いた。

『ごちそうさま』

入ってきたときよりも心なしかしっかりとした足取りで、彼女は店を出て行った。

静かに扉が閉まったのと、常連客が煙草に火をつけたのは、同時だった。


※ これはフィクションで【my Style】のお客様とは関係ありません。。。


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