ある夜のできごと|Lush Life
女性の独り客は珍しくない。でも、かなりの酒豪となれば別の話。
『強いバーボンをロックでください』
いつもはカクテルを4,5杯飲まれる方なのだが、今夜のオーダーはバーボンだった。
私は迷わず【Woodford Reserve Double Oaked】を選んだ。
どことなく淋しそうな、今夜の彼女に【Old Grand-Dad 114】なんて野暮なチョイスは似合わない。
どうやらそれは間違っていなかったようだ。
ひとくち飲んだ彼女の唇が『お・い・し・い』と動いてくれたように見えた。
時が過ぎても、彼女のペースは変わらない。アルバムの枚数だけオーダーがくり返されている。
飲みはじめてから、4枚目のアルバムに針を落とした。
私でもそろそろいい心持になってくる量なのだが、彼女の所作には然したる変化はみられない。
瞳からあふれそうなものを堪えているだけだった。
いつもなら何かと世話をやきたがる常連客も、今夜は大人しく飲んでいる。
大好きな曲【Lush Life】の1節が浮かんできた。
【豊かな人生】と【酒浸りの人生】
ふたつの意味を持つ言葉で、当然ながら、この曲は後者で綴られている。
今夜の彼女は、そろそろ潮時かな?
私は【JOHN COLTRANE & JOHNNY HARTMAN】のCDをセットし、4曲目の【Lush Life】をリピート・モードでスタートさせた。
この便利さがCDならではの機能だ。LPだと難しい。
さてさて、私の思いは彼女に伝わってくれるだろうか。
ジョニー・ハートマンの甘い声が流れ始めた。
相変わらず、彼女のペースは変わらない。
ヴァースが終わり、コーラスが始まる。コルトレーンのオブリガードが心地よく歌と絡み合う。
飲み干したグラスを思案気に見つめている彼女。
コルトレーンのソロがはじまった。彼のバラード・プレーには暖かみがある。
時間の流れが、ゆったりと感じられる。
私も自分のグラスをバーボンで満たした。
ハートマンのリフレイン ♬ ロマンスなんてものは。。。。♬
カウンターに置かれた彼女の手が、飲み干したグラスを、思案気にもてあそんでいる。
♬ そこで酔いつぶれて朽ち果てながら。。。♬余韻を残しながら曲が終わった。
グラスに溶け込んだまま動かない彼女の視線。
再びマッコイ・タイナーのイントロが流れだし、その視線が私に向けられた。
どうやら私の思いは伝わったようだ。
ドラマの中の粋なマスターなら、こじゃれた台詞を吐く場面なのだろうが、生憎、私はそんな素養は身についていない。
失礼にならない程度に、彼女からの視線を受け取るのが精一杯だ。
2度目のヴァースが終わり、コーラスが始まったところで、彼女が口を開いた。
『ごちそうさま』
入ってきたときよりも心なしかしっかりとした足取りで、彼女は店を出て行った。
静かに扉が閉まったのと、常連客が煙草に火をつけたのは、同時だった。
※ これはフィクションで【my Style】のお客様とは関係ありません。。。