レプリカズ
本日の鑑賞作品は・・・
レプリカズ
ざっくりあらすじ――――――――――
神経学者のウィリアムは、遺体から意識を取り出しロボットに移す研究をしていた。しかし失敗続きで研究所の存続も怪しくなってきていた。ウィリアム家は同僚のジョーンズが貸してくれる船での船旅に出かるべく出発したのだが、不幸にも事故に遭い、家族はウィリアムを除く4人が死んでしまった。
ウィリアムは同僚のジョーンズと共に家族のクローン化という地獄行きの切符を手にしてしまった。クローン作成のポッドが3つしかなかった為、一人諦める事態となってしまう。悩みに悩んで、一番末っ子のゾーイを除く3人をクローン化することに―――――――
っ的な話なんだけど・・・
これはたぶん現実でも研究されてるんだろうなと思う。
人類は科学の発展と共に、何度も空想を具現化してきた。そして長らく不老不死・AI・再生医療など今なお長きに渡り研究していると思われる。
それは人間に備わる時限装置”死”へのカウントダウンへの挑戦だと思う。
この”死”に対する恐怖こそが、この分野へ駆り立てていると思われる。
もちろん科学の発展は軍事的なものも含まれるけど、それは一旦は置いといて。
生物は必ず”死”を迎える。そして次へ繋げるという作業を繰り返すわけだけど、その”死”を恐怖するのは紛れもない人類だけだろうと思う。
その恐怖に抗いたい気持ちも分かるし、病気や死への恐怖や無くなれば人類はさらに一歩幸福への道を拓けるだろうとも思う。
愛する人を失う恐怖は何ものにも代えがたい痛みを伴うからだ。それは誰しもが経験したくない事象だろう。
しかし現実は必ずその日が来るのだ。遅かれ早かれ。それが生物として生まれた宿命なのだ。
人類はこの恐怖を克服したくてたまらない。もちろん自分も含め皆死ぬのは怖い。誰もその先を知らないから。
それは人類が未知は恐怖という概念からだろうと思う。
もし死んだ後の世界が分かるなら死に対する恐怖は無くなるのではと思うから。
しかし現実はその手段を持たないし、永遠の別れとなってしまうことへの恐怖だろう。
科学の発展はいつだって、恐怖と共にあると思った。
軍事的なことでも、殺られるかもしれない恐怖・それなら殺られない為には・・・
未知への恐怖・・・それなら真相解明を・・・
恐怖があるからこそ、発展があるんだと・・・
しかしまたそれと同時に倫理観も問題となってくる。
果たして器となるものに対する人権や保障などの問題。そもそも器に対する倫理的是非などだ。
いつだったか中国でクローンを作ったことに対する批判もすごかった気がするが、ことこの映画でも、ウィリアムはクローンとして蘇った人間でも姿・形・意識や記憶は同一であることから”家族”との認識だったけど、研究所の人間は単なる実験対象、番号での呼び方だった。
クローンであっても、AIであっても関わる人にとっては大切な存在でも、それを単なる機械やモノ、器としての役割しかないと思う人もいる。
それらに対する確固たる明確な指針を提出しなければ必ず大きな問題となるんだろうなと思う。
しかし各国、宗教観や死生観などが違うと物事の捉え方も変わってくるから一概には言えない。そうなると将来、AIがデモをして人権問題を提起する日もあるかもしれないし、クローンで生まれた人に対する差別問題や人権問題が取り沙汰される日もあるかもしれない。
もし、AIやクローンが当たり前の世界になったらそれはそれでまた人類の死生観や宗教観、そして生き方までも大きく変わることになるんだろう。
でも私個人としては時限装置があるからこそ”生きている”とも言えるし、有限だからこそ人類が人類たる所以なのかとも思う。
この映画を見ればこういうことも考えたりするよね。
この先必ず訪れる問題に対して、自らの考えを持つことは非常に有益だと思うし、考える力を常に持つことは必要だと思うんだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?