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お久しぶり、今日を生きる私よ。

私はお出かけが好きである。
といっても気づけば単調な暮らしをしてしまっている。
もともとの性格はと言うと、ふらっと散歩がてら旅に出てしまいそうな、そういう感じだ。
けれども、近頃は忙しさにかこつけて単調で意外性のない日々を送ってしまう。
例えばそう、noteから手が遠のくのも、同じだ。
自分がしたいことなのに、楽しめない。
そういう気持ちが長引くと、いつしか自分でも驚くくらい、暗くてジメジメした生き方をしてしまう。 

もちろん、人生の中にそういう時間があることは、人を豊かにする。
楽しくてキラキラしたもので埋め尽くすには、少し長すぎるのかもしれない。
また、それと同じくらい、暗くて寂しくしておく必要もない。

何をきっかけにお外に出てみようか。
どんな大義名分をこしらえて、楽しい時間を過ごそうか。
本当はそんなものがなくていいことを知っているけれど、
理由が欲しくてたまらない不器用で弱い存在。

さて、今私は、海辺で、砂浜にタオルを敷いて座り、
ノートパソコンを膝の上に乗せ、パチパチと文字を打ち込んでいる。

***

広い空の下、ちっぽけだけど、確かに、この流転する世界に”ある”。

そして、この空の向こうに、あなたが”あり”、私の耳元を吹いた風が、今度はあなたの髪の毛を揺らせる。

きっと、私があってもなくても、変わらない。
あなたが消えることにさえ、気づくこともできないかもしれない。 

でも確かに、私は今ここに”あり”、あなたもまたそこに”ある”。

たとい、世界がそれを承認してくれず、忘れ去ってしまうのだとしても、
嬉しくとも哀しくとも、”ある”のだ。

私が素敵だと思う、この波の音も、ただ、鳴っては消え去り、私が眠っていようとも鳴り続け、時にあなたも耳にする。

ああ、美しいと詠嘆するときも
残酷で救いがない世界だ!と慟哭ときも
ただ、”あり”続けるのだ。


***


きっと私はこれから、あるいはこれからも
諦観しつつ、驚きと感動を味わい、乾き切った大地を歩き、湿った砂浜を駆け抜け、ときに心ないガラスの破片で傷をつけ、それでも歩き、人を愛し、人に許され、またいつか土くれに還る。

それでいい。

きっといつか、この瞬間をいつか思い出し、顔にしわを刻み込みながら、微笑みながらお茶を飲む。

それでいい。

それがいわば、この流転する世界における健全なあり方だ。

そう、それでいいのだから、今を一所懸命に生きるのだ。








この暖かい陽射しが今日もあなたを照らしてくれることを祈って。

鮑叔館 祐



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