価値観をぶつけあおうよ
ケンカしようよ
価値観をぶつけ合って
もっと大きく 世界を目指そう
星のかがやきよ/ZARD
過剰な多様化を推し進める昨今。
天才ヘーゲルの弁証法は、テーゼとアンチテーゼを止揚するという、相反するものに対してより望ましい状態に進むための方法論であった。相反するものであってもそこに良し悪しなどありはしなかった。
にも関わらず、マルクスにより唯物論的弁証法が生み出され、共産主義によって無神論へ突き進むように利用されてしまった。
そうして、”過剰な”対立は戦争や虐殺を生み出し、人々の心から愛を奪い取り、差別や優劣の意識を根深く残した。
その代償として現代においては、”過剰に”、価値観をぶつけ合うことを避けている。
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偉い人たちの話を引用すると、自分で文章を考えなくて良いので楽だが、あまり心に響かないのでちゃんと、私の文章を描こうと思う。
私は、話をするのが好きだ。自分が日々ぐるぐる考えていることを言葉にするのも好きだし、自分と全く違うような人の話を聞くのも、ぱっと見同じに見えても少しずつ違う人の話を聞くのも好きだ。
ある日、友人を話をしていた。
彼が本気モードで話をし始めるのには、時間が必要なのでじわじわとだべっていく。痺れを切らして、なぜ思ったことを言ってくれないんだと聞く。
そしたら、嫌われるのがいやだから言いたくないのだと答える。
ほぉー!
考えたこともなかった。いいや、誤解をされないように今のうちに言っておくと、すでに私もそういった心情を経験したので彼の気持ちを想像できる。
でもね、やっぱり怖いけど、人は対話しなくちゃいけないんだと思う。
そうじゃないと、わからないし、わかった気で勘違いしていたことにも気付けない。私はそう思うのです。
私は、会うのがはじめてくらいの方と、一緒に散歩に行って3時間くらい公園で語り合ってしまうくらい人と話をするのが好きだ。
自分の価値観やアイデンティティが崩壊して、また塗り重ねられて、自分の中の何かが、相手との化学反応によって昇華されていくあの感じがやみつきになる。
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ケンカって、そりゃ私も嫌いだけれども、仲直りした後に、これは二人の財産になったなあって、しみじみ思うのだ。
星のかがやきよ。