貴くて不確かで包み込むようで。
※追記
記事の公開にあたり、改めて読み返したがツッコミどころの多い文章であり。話にオチもなければ、唐突に詩のような何かを口ずさむ。あなたの思考の、きっかけにでもしてくれば、着火剤にでもなれば本望である。
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僕は、愛に、怯えている。
愛に対して、臆病者になったのはいつからのことだろうか。
例えば、友人やら知り合いやら、隣人が愛を語るのを見て不安に思うのである。
なぜかというと、それがいつの日か恨みに変わってしまわないかと怖いのである。
ある日突然、それは、失われはしないだろうか。そうなると今までの愛は全て無となり、いやそれだけでは飽き足りず、自分たちを傷つけるのではないか。
それならいっそ、初めからなかった方が良いのではないか。と思うてしまうのだ。
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愛、というのは強い感情である。
それゆえに、強烈な悲しみや恨みを生み出しやすい。
愛=悲しみ,恨み
なのではなく、愛の前後、通り過ぎた後や、近づいてくるときにそれは襲いかかる。
おっとりしてしまいそうなほど美しいもの、というのはある種の残虐性だとか、美しさのなかにそれと相反する何かを内包してしまうやもしれん。
薔薇にある棘のように。
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燃え上がるような恋情というのや、病的な親子愛、同胞愛というのも、何かしらの存在意義や真理を表しているという側面を有するものだと思う。
若さを理由にそれらをやってのけるは大いに結構。むしろ、一度味わったことのある人間しか真実なんぞ語れんのかもしれぬ。
私も、まだ諸先輩方に比べ、人生始まったばかりよと言われる程度だが、今の私は、公園のベンチに腰掛け静かに花を慈しむような愛を施したい。
どう、言葉にすればいいのかぴんと来ないが、無理に言葉にしてみようと思えば、
真夏の太陽みたいな美しさでなく、冬の寒い日に輝く白雪のような美しさ。
太陽は沈んでしまえば寂しさに包まれるが、雪が溶けゆく様は、不思議と優しさに包まれる。
気づかぬうちに他者を排斥してしまうような愛ではなく、気づけばいつの間にか包み込んでいるような愛を心がけたい。
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浮き沈み、たゆたえども沈まず。
雨降りて地固まり、土乾きて潤いを知る。
孤独を舐め、師と友を得、人に愛され、我の良さを見つける。
優しき世に、鬼をみて、汚れちまつた世に、美を見出す。
便りを香り、筆を取り、書を読み、学問す。
日が暮れれば、火を囲み、夜老けれども、夢や輝く。
夜明ければ、身を鎧で包み、飽きもせず、今日を生きる。
人を信ずれば、裏切られ、懲りもせず、なおも信ずる。
いつしか、目はたるみ、しわを飾り、音も枯れる。
振り返れば、七色をなし、花は咲き乱れ、鳥さえずる。
ここに、我が生を見つけたり。
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それでも、僕らは愛を捨てきれず、一切れのそれを抱きしめながら、歩き続ける。