めんどくさい
めんどくさい、にも二種類ある。
煩いものと、愛しいもの。
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私は本を読むのが好きだ。小さいころはミステリーやファンタジーなどが好きで、高校生くらいからいわゆる古典と呼ばれるものを読むようになった。
なぜ、本は面白いのか。
それは、普通に友人と話すのはめんどくさがれるようなことを長々と書き綴る、からだと思う。
そしてそれ故にとても深いところまで落ちていく思考が味わい深く感じられるのではないか。
凡人がするには労力がかかりすぎる言語化をしてくれるからこそ、何かを求めるようにして読書をむさぶるのではないだろうか。
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朝からコーヒーを淹れるのはめんどうくさい。
豆を挽いて、お湯を沸かして、ゆっくりとドリップして、カップを温めて注ぐ。
ああ、めんどうくさい。
でもそれをやると、自分を律することができたような、充実した時間を過ごしているような気になる。愉しみさえ感じる。
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読書をするのはめんどうくさい、ときがある。
動画などと違って、結構なエネルギーが要る。
noteを書くのってめんどうくさい、Twitterのが楽。
でも文章にしなきゃ伝えられないもの(少なくとも伝えられるような気がする)がある。
めんどくさいことって、つまり労力と交換して何かを得ようとしているのだ。
あるいは、愛しいめんどくささは価値があることを知っているからこそ、葛藤を生んでいるのかもしれない。
2、3本の原稿を下書き送りにして、めんどくさいの記事を書く。
なかなか、”めんどくさい”生き方だなあ。
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