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佐藤と同い年の”小沢健二ファン”が観た『僕たちはみんな大人になれなかった』(ネタバレあり)

先週の日曜日に、映画『僕たちは大人になれなかった』を観てきた。

Twitterのタイムラインで、元町映画館でやっていることを知り、思ったよりオザケンだった。とのコメントに触発されて、久しぶりに映画館へ足を運んだ。

結論から言うと、観て良かった。大正解だった。

2020年に佐藤が46歳だから、現在47歳の僕とは同い年。同じ小沢健二ファンとして、心にぶっ刺さりまくりだ。

事前情報として知っていたのは、小沢健二がツイッターでなんか宣伝つぶやいてたな、、、と、森山未來が25年分の役を一人でやる、先に書いた思ったよりオザケンだった。この三つだけ。

四半世紀の人生、3人の女性との恋愛を2時間で描く。どうしても濃密な内容、にはならない。それはもう必然で、小説で云う行間の部分がむちゃむちゃたくさんある。それをどう埋めるか、が秀逸なのだ。

一例を挙げると「挿入歌として使われた曲の歌詞のうち、映画では使わなかった部分」を、映画そのものの行間を埋めるもの、として使っている。こんな演出は初めて見た。

冒頭、画面に映し出される言葉「神様を信じる強さを僕に」。これは、小沢健二ファンならすぐにわかる。天使たちのシーンの一節だ。それはこう続く「生きることをあきらめてしまわぬように」。

どうだろうか。続きの歌詞を知って、最初からこの物語を見ると、違う景色が見えてくる。

別のシーン。恋するフォーチュンクッキーの「歌詞」。いろんな会社の人たちが集団で踊ってる、おにぎり握ぎってる映像ばかりを思い出すが、歌詞として読むと、意外と(失礼!)いい。これも、やはり行間を埋めるのに選ばれたのであろう曲だ。AKBは詳しくないので、なぜ他の曲ではなかったのか、というところまで、考察はできないけれども。

さて、

ここからは小沢健二ファンが見た行間の話をしてみたいと思う。

まずは、冒頭、ゴミ捨て場の上の2020年東京オリンピックの旗。かなり良いシーンだ。この映像と、森山未來が四半世紀分を一人で演じる、の事前情報。これはもう、彗星にインスパイアされた物語だ。開始1分。旗を見た瞬間にわかる。1995年からの25年を駆け抜ける物語に違いない。

それを分かった俺スゲー、ではなく、それを小沢健二ファンには分かるようにした演出が、好きだ。

物語では2015年、長年続いた番組が終わる。その打ち上げ会場。佐藤はそこでテロップを作る仕事をしていたようだ。1年ずれるが、これは2014年に終わった笑っていいとも!が元ネタだろう。そう、小沢健二が最終回直前に出演した。井上陽水からバトンを受けて安倍首相(当時)にバトンを渡した。TV出演は今世紀初、16年ぶりだった。あの笑っていいとも!だ。

このいいとも!の番組制作に携わっていたなら、佐藤が小沢健二の帰還を、知っていた。知らなかったはずはない。と言い切れる。

2011年は、震災の年でもあるが、小沢健二でいうと、ライブ「ひふみよ」と「東京の街が奏でる」の間の年。ひふみよで、過去の曲を歌って帰ってきたものの、まだ、過去のヒット曲を歌う人だった時だ。

たぶん佐藤は、ひふみよは見ていない。当時の彼にとって、小沢健二はいまさら、だったのだろう。東京の街が奏でるにも行っていない。もしオペラシティで「それはちょっと」を聴いていたら、恵とは別れなかっただろう。恵と別れたのが、2015年だったか、2011年だったか、ちょっと記憶があいまいだけれど。

スーとの恋愛は、特に語ることがない。1998年から2010年までは、小沢健二がほぼお隠れになっていた時期で、小沢健二ファン、としては、行間の部分だ。

さて、いよいよ「犬キャラさん」こと「かおり」である。

文通で知り合った時のペンネームが「犬キャラ」だった。注目すべきは、それが1995年であるということだ。小沢健二的に言うと、セカンドアルバムLIFEの翌年。そう、ラブリーやブギーバックが収録されたあのアルバムの翌年。カローラIIにのってで始まって、強い気持ち強い愛などシングルラッシュの年だ。

この、LIFEから先の小沢健二の曲は、物語の中にびっくりするほど出てこない。多分だけれど、かおりは、LIFE以降の小沢健二は聴かなかったのだと思う。彼女の言う普通だからかな。フリッパーズは聴いたかもしれないけれど。

印象的なドライブシーン。小沢健二ファンなら、そこはカローラIIを借りるだろうし、MDに入ってる曲なーんだ?のシーンも「スチャダラ?犬キャラかー」ではなく、「LIFE?犬キャラかー」になってただろう。面白いのは、かおりはスチャダラパーは聴いてたんだな。ってところ。スチャダラはいいけど、オザケンはなあ、、、って。

小沢健二はいいけど、オザケンはなあ、、、だったのかもしれない。

そう、1995年といえば、もう一つ。HEY!HEY!HEY!で小沢健二の王子様キャラが確立された年だ。小沢健二が、オザケンと呼ばれるようになった年。

「スチャダラ(アーティスト名)?犬キャラ(アルバム名)かー」というのも、面白い。佐藤がかおりをどう見ていたか、かおりが佐藤をどう見ていたか。

佐藤は、20世紀の間は、小沢健二を聞き続けていたのだと思う。東京に住む、東京にあこがれる少年。少なくとも「ダイスを転がせ」は聴いていたはずだ。歌詞の「結構カラダはボロボロだけどやらなきゃ悔いが残るだろ」は、佐藤の生き方そのものだ。他人から影響を受けやすい佐藤が、この曲から影響を受けていないはずがない。と言い切れる。(本日2回目)

この曲に影響を受けていたからこそ、2020年にタクシーで真夜中にラジオから流れてきた「彗星」の「そしてときは2020全力疾走してきたよね」で、ガツンと殴られたようなショックを受けるのだ。自分の25年が、すべて肯定されたような、救われたような、そんな気になって、走りださずにはいられなくなったのだ。

(余談だけれど「天使たちのシーン」には「真夜中に流れるラジオからのスティーリー・ダン」って歌詞がある。これは、最近のライブでは、スティーリー・ダンの部分がいちょう並木だったりセカオワだったりする。ここに「彗星」が入ったら、泣いちゃう。余談終わり。)

冒頭で流れた「天使たちのシーン」のサビの一節。「神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように」はこう続く「賑やかな場所でかかり続ける音楽に 僕はずっと耳を傾けている 耳を傾けている 耳を傾けている」うぉおーおおーおー。

佐藤は音楽のある場所にいた。奏でる側では、なかったけれど。でもずっと、耳を傾けている。ずっと。ずっと。ずっと。うぉおーおおーおー。

おしまい





と、思ったんだけど、どうしても腑に落ちないことがある。

佐藤は、笑っていいとも!のテロップを作っていたなら、小沢健二の帰還を知っていたはずだ。そして、彗星が発表されたのは2019年。アルバムの先行シングルとして配信された上、確か歌詞は先行で発表された。

佐藤が、2019年のLIVE「飛ばせ湾岸」に行ったかどうかはわからないけれど、2020年にラジオで「彗星」聴くまで、この曲知らなかったとは思えない。知ってたら、ラジオで聞いても走り出すまで衝撃受けるかなあ。まあ、佐藤は自分が振られた理由もわからない、鈍感な男だから、ほんとに知らなかったのかもしれないけれど。

おしまい。(本日2回目)

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