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『うるう』みた

あいさつ

折角の良い機会なのでブログ始めてみようと思う。文章って書けば書くほど慣れるらしいので、その第一歩として。ほら、言葉をうまく使える人ってかっこいいじゃん。

『うるう』見たよ

小林賢太郎さん。先輩からよく話を聞いていて、ご噂はかねがね。お名前はなんとなーく聞いたことあるし、なにかしらには多少触れたことがありそうな気もするけど、ご覧の通り、何も知らない状態と言っていいでしょう。

さて、今回の『うるう』ですが、2月ごろにYouTubeにて期間限定公開が始まり、その収益は先日の能登半島地震に寄付されるのだそう。小林賢太郎作・演出・出演、言えば濃度100%な作品なのかな。少し前に絵本のうるうをちょっとだけ聞いたので、あらすじは知ってる。事前情報はそれくらい。ラーメンズのコントもちょいちょい見ました。面白いね。

閑話休題。この『うるう』の配信、5月31日で終わるらしいので、滑り込みで見てきました。もっと早く観ればよかった。
とりあえずは見た直後の第一印象を綴っていこうと思う。

⚠️この先ネタバレ注意⚠️


雑感

『うるう』、全体を通して、一つ言葉を添えるとしたら、「緻密」あまりに「緻密」
台詞、演技、構成、間、装置、音、光、演奏、そしてカメラアングルまで、どれを取っても、とことん練られ作り込まれ洗練されていた。

まずなんと言っても、目を引く、いや耳に残るのは、舞台上、上手の隅に佇むチェロの演奏だ。奏者の顔はずっと影になっていてよく見えない。チェロ奏者の役な訳でもない。彼が台詞を発することはない。いや、正確に言えば、”口で”発することはない。物語の進行と共に、生で行われる演奏は、時に暗転を彩る音楽で、時に少年の動作で、時に大木の言葉となる。音響と言われればやってることは確かに近いのかもしれないが、その場で奏でられる弦の音には、独特の存在感があった。
そして、そんな奇抜なチェロが全く違和感なく、舞台の中に溶け込んでいたのだ。それはおそらく、作品の雰囲気もあるし、先ほども言った照明の当たり具合、段々と出番の増える演奏。OPでは生演奏の音楽でしかなかったのが、次第にチェロの言葉がわかるようになる。チェロがなんて言ってるのか分かるのだ。そう、”チェロ”が台詞を発している。すごくない?

そのチェロの言葉を助け、チェロの音によって分かるのが、舞台の仕掛けだ。今回、舞台上には奏者と小林賢太郎演じるうるうしか居ない。実質的には一人芝居。でも、舞台上にはもう一人の人物が見えてくる。少年マジルだ。マジルが最初に出てくるのは落とし穴に落ちたところ。効果音と共に舞台の面側にある草が揺れる。うるうはパントマイムで穴から助ける。少年の動きに合わせて、チェロが鳴り、足音や感情を表現する。そこに少年は居ないのに、装置により存在が分かり、演技により動きが分かり、音により感情が分かる。全部が組み合わさって、マジルを生み出していた。
これは、相当正確に計画して、練習を重ねないとできないプロの所業だと思った。マジルに限らずだが、役者と音と照明と装置がどれもジャストタイミングで合わさるのだ。仮にこれがズレていたとしたら、僕たちに見えていたマジルの輪郭は靄となって消えていただろう。ここから何だか稽古の様子が少し想像できた気がした。連携が一切乱れることなく、指をさせば映像が、音が鳴れば光が、舞台の一体感が、一人の芝居を何十倍にも広げていた。実際にどうやっていたのかは分からないが、自分がやるとしたら、何度も、何度も、何度も回数を重ねて、最もハマるベストなタイミングを探し、互いに息を合わせられるようにするしかないだろう。今後の自分たちの練習に活かせたらいいな。
そのベストなタイミングが故に、途中まるで手品のように小道具や装置が動く場面がある。本当に分からない。どうやってるんだ?見せてほしい。さっきまで何も持っていなかった手にスッとマジルの楽譜が乗っている。どこから出てきたの?
うるうだけの舞台上を隅々まで彩る舞台装置と操演がすごい。
基本が木目調なのも良い味を出している。優しい雰囲気。投影の関係、平たくないといけない背景は、木材を組み合わせたブロック状になっており、うるうが登ったりする。それがまた映像と動きのリンク具合が見ていて気持ちいい。高い木の上に登っている。落ちないかどうか不安になってしまう。ゴム紐を弦に見立て傘に見立て、剣に見立てて、弓にもする。そんな多彩に使えるんだ。ゴム紐って。
オジンオズボーンのショートでしか見たことなかった。ゴムパッチンは痛そう。
後半にかけても舞台の仕掛けが尽きることはない。ニョキっと木が生え、草が揺れ、いっぱいの蛇腹が広がる。あれは野菜か草か何かかな?
映像の投影も効果的だった。必要以上でも以下でもない。ちょうどいい使い具合。森を走る、木に登る。大木と喋る。数を数える。思い返せば、場面の説明に使われるのではなく、動きを表すのに使われている。めっちゃ有用じゃん。
作品の雰囲気的にあんまりそういうの使わない人だと思ってたからちょっと意外なところでした。

そして、そういう不思議な世界に見ている側を慣れさせる。世界に順応させる。巧みに観客を引き摺り込んでいるのが脚本!話のラインは長命種と普通の人間の子の交流。ただ、あまりにその動線が精密に作られている。見ている側が、その時点でどういう気持ちか、その台詞を聞いて何を考えるか、全部理解して、そこに気持ちよくハマる構成をしている。この話、何度か同じ流れの話を繰り返す、いわゆる天丼で笑わせてくる話が結構あるのだが、マジルの自慢、北風と太陽の話の時、31人のクラスで15人が北風、15人が太陽。そこまでの流れも踏まえるとその先は言わずとも知れている。それに対し、うるうは予想がつく!として一刀両断する。
これだ。めちゃくちゃ気持ちいい。観客がもうお見通しだ。って思ったことが人物の台詞と一致する。これを綺麗にやるのって中々難しい。見てて感じることって様々だし、理解のスピードも違う。だが、見てる全員が同じく感じるように動線を作る(これでいう、マジルの自慢の天丼)。そして全員が、こうだな(マジルが旅人の役をやるんだな)、って思ったタイミングを逃さずに刺す。また君がその主役に選ばれたんでしょ?わかってるよ。って。
ああ、自分は作者の手のひらの上だったのだな。と思う。

作品を書いていると自分の中でイメージが補完されすぎていて、作品単体で見た時に他の人にはどう伝わるのかが自分にはまだ分からない。この文章もうまく伝わっているのだろうか。素人の文なんてそんな風だ。ただ、小林賢太郎、ここの感覚が完璧で一つも外す瞬間が無かった。観客の想像力を完璧に理解していた。だから、台詞を言わないマジルが何を言ってるかが伝わってくる。どうして40年経ったのかが分かる。逆手にとって、大木の話をちんぷんかんぷんに見せる。全部意図してやってる。うるうの受け答えだけで、マジルがどんなことを話したかが分かる。それは、そこまでの数回のやり取りを通して観客が会話を理解したから。うるうやマジルの心情が滑らかに自然と伝わってくるから。感情移入しようとしなくてもいつの間にか、人物と気持ちがシンクロする。すげーーー。こんな風に書けるようになりたい。
それが、後半にかけて極限まで上がっていくと、物語のご都合みある台詞も、そんなこと言いそうだなってキャラ付けに仕上がっている。どの台詞取っても違和感がない。うるうの台詞なのだ。登場人物が活き活きとその人物自身の言葉を話している。さりげなく、けどとても、細かく、丁寧に作られているところだと思う。

あと、細々としたのは、
小林賢太郎、発声が綺麗すぎて、マイクか?ってくらい聞き取りやすいし、心地良い。うた歌う人ってこういう喋りする気がする。
スモーク焚いてないから照明が優しかった。照明もセットもなんかEテレっぽい感じ。触り心地がいい。心触り。
カメラワークも物語とマッチしてて、引きにアングルになるところで急に舞台が広がってびっくりしちゃった。あれは映像じゃないと楽しめないやつだった。
みたいな感じかな。大体全部見ながらツイートしてる。

以上!

という訳で、すっごい楽しかった。もっと早く観ればよかった〜。滑り込みでは勿体無い。小林賢太郎、上手すぎ。こだわりがすごい。見習いたい。自分もそれだけ心血を注いで作品作りができるようになりたい。
その第一歩も含めて今回のブログでした。
これから、他の記事とか動画とか作品とか見て、後編やります。
バイバイっ

終。

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