見出し画像

『ねえ、あのさ、』いってきたよ

開演前諸注意が上手な人っていいよなぁ〜。あれは劇場自体が良く声が響くからなのか、アナウンスしている本人の発声がいいからなのか。
始まる直前のドキドキを落ち着かせてくれるやさしい声色がとてもいいなぁ。とか思いながら、スマホの電源を切る。

イマにヒとコへ(え)さんの『ねぇ、あのさ、』を観劇してきました。台風来ててちょっと不安だったけど、無事王子まで行けて、無事上演を迎えられて良かったです。
今朝、家を出た瞬間に鳥のフンが落ちてきたのはちょっと災難だったけど。

8/31(土)13:00回

一つ一つの言葉、それぞれの辞書から出てくる言葉を、それこそ膨大なページから気持ちをピッタリ表すものを探すように、言語化をしながら会話していく。どれも台本に記された物語のセリフなはずなのに、一人一人が自分の中から言葉を紡ぐような、繊細な間や台詞回しが素敵でした。
なんて言えばいいのか、人との会話の途中で必死に言葉を探しながら話をするそのリアルな様子がこう作ることが出来るんだ!っていう感動。「言葉の芝居」ってこういうことかぁ。
きっと、辞書からはいつもピッタリな言葉が出てくる訳でもないんだろうな。けど、この言葉を探して必死に考えてる時間が、向き合おうとする姿勢が大事ってこと…?多分…わかんないけど…僕はそう受け取りました…この感想とも必死に向き合っているんです……
僕が一番好きだったのは、誰かの言葉を受けて、ちゃんと自分の言葉で発してねって。だから、ちゃんと今日のことも言語化したいって思います。

向き合うこと。言葉がテーマであると同時に、言葉ってあくまで道具のひとつでしかなくて、その先に、言葉を使った目的があるんだって、気づき。
何を言うか、誰が言うか、どんなことを言うか、と同時に言わないっていう選択肢に触れるところに、しっかりとことんまで、言葉と交流に向き合った作品で良い。
保坂夫婦のお話はそういう向き合い方へのお話だったように思う。

一方、嶺さんや武野さんたちのお話は、言葉の使い方、辞書の使い方の話だったのかなぁ。一般辞書、上級辞書、特別辞書のそれぞれを抱える人の責任やジレンマのドラマが良い味を出しつつ、そこに貧富なんてなくて、自分に合ったように自由に使っていいんだって、自分の思うように使うのが良いんだって、そんな感じ。

そんな群像劇が代わる代わる進んでいくのとても好きです。そもそも群像劇が好きなんだと思います。言葉ってものをいろんな面から語れて良いですね。
多段になっている舞台セットで、シーンが終わる辺りでスッと出てくる次の役者。照明が変わってシームレスにもう一方の場面へと移る。この交互に、気持ちよく描かれていく演出がとっても好きです。
それに伴った、一点一点でポイントを照らすような明かりで、役者さん方の綺麗なお顔の映える濃い影が入る絵作りも独特で綺麗でした。
舞台での群像劇の作り方がもうひたすらに計算されてて良かったです。たくさんインスピレーション得れました。最高。このために王子に来てる。小劇場ってたくさんの工夫が詰まってるから好き。

僕の辞書からの言語化は以上です。ここまで向き合った芝居、やってみたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?