ポジティブなはずのリストカットの話
私とリスカの出会いはたぶん中学二年生の頃。姉が私のベッドの上で大量の血を流していた。腕も脚も、切り傷というより、ぱっくりとした割れ傷(ってものがあるか知らないけど)がたくさんついていたのを覚えている。でもそれをみて私は姉を心配するより先に、自分のベッドに血痕が残る心配をした(薄情すぎる)。そもそもリストカットというものが当時よくわかってなかったので、姉の行為の意味がわからなかった。てかなんで私のベッドでやったん二段ベッドなんだからちょっと梯子登ったらお前のベッドじゃろ。って思ったけど今なら姉が二段ベッドによじ登らなかった気持ちが少しだけわかるよ。少しね。まあそれは置いといて、私は母に「お母さーん、お姉ちゃんが私のベッド汚してるー」と報告した。確認をしに行った母は阿鼻叫喚。明らかに意味のないサイズの間に合わない絆創膏をベタベタと姉に貼り付け、そのまま病院に飛んで行った。その日は姉のベッドで寝た。姉の匂いがした。
しばらくして姉が精神病院に入院した。母は医者に「あなたのせいでこの子はここまで追い詰められたんですよ」と言われたらしく泣いていた。母はほとんど姉の病院に付きっきりだった。父親は何故かわからないけど帰ってくるのがとても遅かった。だから家に残された私と弟は、お互いに協力して夕御飯を作ったり、簡単な家事を分担して生活していた(ほとんどの家事は母が帰宅したときにやってくれてたけど)。私は母のことが好きだったので、姉に母を独り占めされたような、ある意味幼児に戻ったような気持ちでいた。一方でどこか冷ややかな自分もいた。弟は当時小学生だったためショックが大きいようで、夜はなかなか眠らなかった。弟はずっとゲームをしていた。
私は姉が理解できなかった。
自分で自分を切るとかわけがわからなかった。わけのわからない行為で母を泣かせた癖に、その母を独り占めする。それで死ねるわけでもないくせに。なんでよ、なんでそんなことしたのよ、なんで。 それで母が帰ってくるなら私だって切ってやろうかと思った。でもそんなことをしたらいよいよ母が自殺しかねないと思ったのでしなかった。実際母はどんどん壊れてきていた。私は怒りでいっぱいだった。
しかし、そんな私がリストカットをしてしまう。あんなに軽蔑したはずなのに。それをすると辛い気持ちが少し楽になるんだよ。そんな危ないクスリに誘うようなネットの甘い言葉に騙されてやってしまった。嘘。騙しではなかった。本当にそうだった。特に眠れない夜はリスカをすることでよく眠れた。下手な睡眠薬を飲むよりよっぽど健康的だと自分を正当化していた。好きでも何でもない男とセックスした後男が寝てる横で手首を切った。キモい臭いを感じなくなった。それだけじゃなくて
これは人に話してもあまり理解されないことだけど、「存在しえない」感覚に陥ることがある。この世界は空間に穴が開いていて、その穴にパズルのように身体を収めて生き物は生きている。でも私だけどうしても穴に収まらない。穴にはまらないと存在できないのに私は存在してないのに生きているのか?助けてくれこのままだと死んでしまう存在しえないまま死んでしまう死にたくない死にたくない助けて誰かだけど誰も、誰も、誰も、、、そういう時に、手首を切る。そうすると血が流れて、私の形が少し変わる。そうやってようやく穴に収まることができるのだ。それで今日も生きることができると安心した。
こうして、自分で切るようになって初めてリストカットの意味を理解した。死ぬために切るんじゃない。生きるために切るんだ。切らないとむしろ死ぬんだ。そもそも本気で自殺するんなら手首なんかちまちま切ったって意味ないじゃないか。なんでこんな簡単なことなのに今まで誤解していたんだろう。手首を切るって本当はとても生に対してポジティブなんだ。これからは大手を振って手首が切れるぞ。だってこれはポジティブな行為なんだから。数年前まで私こそが無理解の塊だったクセに、姉に「リスカしちまったwwwwクソワロwwwwww」なんてLINEをした。
だんだん私はもっと簡単なことで手首を切り始めた。なんとなく落ち込んだら切る。イライラしたら切る。何にもなくても切りたかったら切る。だってこれは悪いことじゃないし。我慢する理由がないし。でもひとつ問題があった。実家に帰るときだ。言い忘れていたが、この時私は大学生で実家を離れ独り暮らしをしていた。私はこれが悪いことじゃないって本気で思っていたが、やはり家族に、特に母に知られるのはマズいと思った。
そしてもうひとつ事件が起こった。これは私が本気で芝居を辞めて死ななければならないと感じた出来事なのだが、その時私はローカルCMに出たり、モデルをやるバイトを時々もらっていた。リゾート施設のパンフレットのモデルをお願いしたいと言われた時、「リゾート施設かぁ、肌みせるよなぁ…」と迷い、「ちょっと怪我をしてしまっていて、露出を控えたいんですけど」と返信した。すると「怪我の程度を知りたいので写真を撮って教えてください」と返ってきた!なんかもうめんどくさくなって、「リストカットなんですけど」と返した。それでもまだ写真をみせろと要求されたので、私の治りかけの傷跡の上に何本も重ねられたぐちゃぐちゃのリスカ痕をみせた。「人前に出る仕事をもらってる自覚を」「商品のイメージが下がるような行為をするな」「とにかく誰にもバレないようにしなさい」と説教タイム。当然リゾートモデルはできなかったし、その人から二度とバイトの話がまわってくることはなかった。
私は絶望した。大手を振ってなんちゃらとか言ってたけどやはりどこか後ろめたさはあったのだ。ひょっとして、今やってるお芝居も、仕事ではないにしろ辞めなくてはならないんじゃないか。そんな思いを抱えながら演じたサークルの夏公演。その時いろいろあって、私は我慢できずにゲネプロの直前にトイレで隠れて手首を切った。もうダメだと思った。私が演じる役は手首に傷痕なんかないのに、私の手首にはある。こんなの許されるはずないのだ。私は芝居をやめなくちゃならない。やめなくちゃ…と、ここまで思考が進んで、あ、もしかして死んでいいんじゃない?と思った。
今まで、芝居で役を与えられているから生きてこられた。劇団とサークルを掛け持ちしていた私はほぼ常になにかの舞台の上だったので、そのお陰で死ぬことを許されなかった。でも、芝居を辞めるとしたらもう死んでもいいんじゃないか。よし、死のう。なんだかウキウキしていた。やっと死ねると思った。自殺の方法を検索する日々が続いたが、これといったものが見つからなかった(私の本能が見つけることを阻止していたのかもしれないが)。
ある日、特に理由はなく、死ぬつもりでもなく、ODをした。OD自体はリスカ同様以前から繰り返しておりお手のものだった。だがその日は少し調子にのって、飲めないアルコールで流し込んだ。私は極端に酒に弱い体質なので、ODなんかしなくても酒だけで余裕で死にかける。でも私は飲酒程度で死ぬわけないと思ってたしODなんかで死ねたら苦労しないと思ってたので、繰り返しになるが死ぬつもりじゃなかった。ちょっとしたストレス発散だった。しかし、その時の感覚をあまりよく覚えていないのだが、これひょっとして死ねるんじゃないかって思った。やった!ずっとグズグズ死ねないでいたけどやっと死ねるかもしれない!嬉しくなった私は追加で部屋にあった薬を全部飲んで、足の血管の多いとこをザクザク切って、湯船に浸しに行ったがどういうわけかその途中で気絶しまい、目覚めたら生きていた。世の中上手くできてるなあ。やっぱりこんなんじゃ死ねるわけないんだ。でも私は気絶したきり立ち上がることができなかった。起きてるし生きてるけど水の一滴も飲みに行くことができない。このままじゃ、長い時間をかけて喉の渇きに苦しみ死ぬことになってしまう。それは嫌だ!サクッと楽に死にたい!動けなかったが、幸い頭はしっかりしていたので近くに落ちていたスマホを使って、最近ODで病院に運ばれたという知り合いに「あの時どうやって病院いきました?」と聞いてみたけどあまり参考にならなかった。だから私はもうずっと行ってなかった大学の、学年も変わってしまった、ずっと会ってないクラスメートのひとりに連絡した。すぐタクシーと共に駆けつけてくれた。一度いく病院を間違えて、酷い嫌味を言われ金だけとられたが、無事に精神病院で治療をしてもらえた。点滴を受けている間、精神病棟の隣にある部屋で寝かされたが、リズミカルに壁を叩き続ける人や、よく分からない言語を叫ぶ人がいた。ああ、姉はこういうところに居たんだなと思った。
翌朝、目が覚めたら信じられないくらいスッキリしていた。ODする前の状態に戻ったとかそんなレベルじゃなくて、こんなスッキリした目覚めってこの世にあるのか!と驚いて、そして、なぜか、「生きよう」って思った。まだ助けてくれる人間がいることを実感したからかもしれない。とにかく自殺方法を検索するのをやめた。
しかし生きようと決めてからも大学には行けなかった。そしてそれがいよいよ両親にバレた。「あと2日で辞めるか通うか決めなさい」あと2日で大学に行けるメンタルを整えるなんて絶対に無理だと思ったので、私は大学を辞めることにした。弟がフィジカル系の病気で治療費がバカみたいにかかるため、私が通いもしない大学のために学費を出してもらうことへの申し訳なさもあった。そうして私は実家に帰った。
ここで浮上するリスカ親バレ問題。バレました。普通にバレました。てかもっと前にバレてると思ってた。というのも、この前に何度か帰省していたから。親は気づいているけど優しさで知らないふりをしてくれてると思っていた。バレてなかった。で、バレた。阿鼻叫喚。私は元来持っていたリスカポジティブ理論を展開したが、それを本気で信じているなら頭がおかしいと言われた。弟には完全に拒絶され、「存在を認識したくない」と言われた。だから弟が学校から帰ってくると、私は洗濯物を干す部屋に身を潜めた。部屋だが、壁は天井までなく空間が繋がっていたので、声を少しでも漏らしたり歩き回ったりすると存在を弟に知らせてしまう。だからじっと身体を硬くして全く動かないでいた。咳も押し殺した。食事は弟が風呂に入っている間に食べた。絶対にすれ違ったり、私が居るということを悟らせないように生活をした。だがどうしても存在を忘れるということが難しかった弟は、終始私に対する恨み辛みを語った。それは私の耳にも届く声量だったので、ヘッドホンで大音量の音楽を流して耳を塞いだ。大抵大森靖子や、ミドリや、アカを聴いた。そういう生活を続けていると先に母が壊れた。私の誕生日の日に、心中しようと言われた。
「あのね、お母さんはあなたを殺さなくちゃいけない。だけどお母さんはあなたのことをとても深く愛しているから、あなたが死んだ後の世界なんてみたくない。だから心中しましょう」
なんてこった。せっかく生きようと思えていたのにもうデスエンドか。え、どうやって死ぬ?飛び降りはねぇ、6階から飛び降りて死ねなかった人知ってるからそれ以上は欲しいけど、この辺は条例で4階以上の建物ないしねぇ。電車は損害賠償がやばいらしいから避けてあげた方がいいと思うよ。やっぱ首吊りが一番かなあ。まあ失敗したらとんでもないことになるらしいけどたぶん一番成功率が高い。問題はどこでやるかだけど。あ、てかいつ死ぬ?こういうのはねぇ、はやく決めちゃわないとズルズル引きずって決行できないよ。いつ?明日?
そこまでまくし立てて、母は死にたくないと言って泣いた。私は、私がここにいない方がいいなら、私アパートに帰るよ。と、それで落ち着いた。正月直前だった。本当に私のことを心配してくれていたであろう両親は、私がまた他県に行ってしまうのが嫌だったのか、実家の近くにアパートを借りようとしていたがその話はたぶん両親もみんな気が狂っていたのでうまく説明できないし割愛する。
ここまで話して重要なのは、弟は悪くないということだ。私の視点で書いているのでどうしても弟が悪者のようになってしまうが、姉リストカット入院編の部分を読み返していただけたら、弟の気持ちもわかるかと思う。
ここから、生きるために、芝居を続けるためにリスカからオサラバする過程で生まれた「バンザイマン他人傷つけまくり編」が始まるのだが、長くなるのでここではカットさせてほしい。いや、この話も私にとっては重要なのだ。戒めとしても。懺悔としても。
そろそろまとめに入ろうと思う。ここまで長々とお付き合いいただきありがとうございました。私は今でもリストカットは生に対してポジティブだと思っている。でも芝居を続ける上では、手首の痕は物語におけるノイズになるので控えなくてはならないと思い我慢している。コンビニでタバコを買う友人をみて「あれ?お前吸ってたんたんだ」と言うのと同じくらいに、手首の痕をみても「あれ?お前切ってたんだ」くらいの軽いノリで認めてもらえたら世界はもっと生きやすいのにと思う。けど、それは難しいよね。だからせめて決めつけないでほしい。もうわかったから。リストカットが世界に受け入れられないのは痛いほどわかったからせめて、「痕がある」=「自殺未遂」という決めつけをやめてくれ。私は生きるために切っていた。私みたいなポジティブリストカッターもいることを知ってくれ。それと同じように、本気で死ぬ気で、重く重く傷痕を受け止めてほしいリストカッターがいることを無視してはならない。つまり、みんなそれぞれ異なる理由で切っている。手首に傷があるというだけでみんな一緒だと判断しないでくれ。バンザイマンからのお願いです。