だって世界はParadiseだもの
Myojo2022年10月号に掲載された10000字インタビューの際に、大橋和也さんが語った言葉がずっと引っかかっている。
そうかと思えば大西流星さんは、AmazonPrime限定配信コンテンツ『なにわ男子 デビューまで1100日のキセキ natural』において自分が思い悩んでいるというナレーションがついたカットに対し「目のむくみマッサージしてた!」とあっけらかんと言い放ったり。
※大西流星さんトーク頭出し済み
アイドルが時々滲ませる素の部分が、少しだけ、怖いと思うことがある。
わたしたちが知ることのない、苦しみや悲しみをたくさん味わっているかもしれない。
なにナチュやRIDE ON TIME、CDや映像作品にくっついてくる「ドキュメント」と名のつく映像は、プレーヤーが再生を始めてもしばらくの間は唇をぎゅうう、と噛み締めながら見ている。気づけば唇の薄皮が剥がれていたりする。
どうしてこんなにも推しを見るのにきりきりするのだろう、と毎回思いながらリップクリームを塗る。
だけど、(特にデビュー後の)なにわ男子のドキュメントには、もがいたり苦しんでいる姿が、比較的少ないように感じる。
それは前述した通り、彼らの『メディアで表現する自分たちのあり方』に明確なコンセプトがあり、私たちは、彼らがネガティブな感情に支配されるシーンを目にする機会が極力少なく演出されているからに他ならない。
それなのに、映像を見ては勝手に心が折れそうになっている。
勝手に、だ。
私たちは、彼らに救いの手を差し伸べることは物理的に不可能だ。
だからこそ、直視するのが恐い。
けれども、彼らの悩みや苦しみを少しでも分かるファンでありたい。
そんな矛盾とエゴにまみれた感情を解決してくれたのが、なにわ男子2ndアルバム「POPMALL」収録の「Paradise」という曲だった。
※試聴版/Paradise頭出し済み
ギターとハンドクラップから始まる軽快な曲だが、歌詞を読むとアイドルが歌う単なる応援ソングというにはずいぶんと後ろ向きな表現が多い。
元々なにわ男子の楽曲は「ダメな自分でもいい」というベースの元に書かれた歌詞が多いが、Paradiseは「マジでダメダメすぎて自分あかんわ」の究極形だ。
どうしてここまでネガティブな表現が多いのだろう。
私なりに考えたParadiseの歌詞解釈は、個としての7人についての曲であり、「なにわ男子」というアイコンとしてのアイデンティティや演出を一切排除した、等身大の人間としての悩みや苦悩が描かれた曲なのかもしれない、という結論に辿り着いた。
アイドルだって完璧ではなくて、目まぐるしい日々を常にベストな状態でこなしたとて、様々な事が思い通りにいかずに終わる。
何一つ、自分が追い求める理想とかけ離れた結果ばかりが生まれる日々。
そんな彼らにも弱音を吐きたい時だってある。
それはアイドルをしている瞬間ではなく、ほんの少しだけ、素の自分になれた瞬間。
泣き方すらも分からなくなってしまった彼らの、辛く、苦しい、泥臭い努力の日々を綴ったのが「Paradise」という楽曲なのかもしれない。
私は時々、応援している対象を自分と重ね合わせて、「私は彼らよりも全然努力が劣っているなぁ……」と、自己嫌悪に陥ってしまう時がある。
元気になりたくて推しを見ているはずなのに、勝手に悪循環に巻き込まれている面倒なオタク。少なくとも私はそう。
こと最近の私は「推しがこんなに頑張っているのに、自分と言ったらなんてダメなんだろう」と自分を卑下するような事ばかりが続く。
それでいて、「何を勝手に推しの苦労を分かった気になっているんだろうか」という感情も湧いてくる。
(面倒なオタクほど時間が無いのはきっとそんな事をぐるぐると悩んでいるからだろう)
「Paradise」の歌詞を読んだ時、いかに自分が彼らを「アイドル(IDOL)」の分厚いフィルターをかけ、神のような存在として見ていたのかを思い知った。
彼らはわたしたちを「なにふぁむ」と呼称する。
家族のような関係でありたいから、と。
そっか。
彼らは、わたしたちと同じ、ひとりの人間だ。
彼らと自分を比較するよりも、友達のような関係でいいんだ。
友達のような関係だから、彼らの事を思い切り応援する権利がある。
もしも彼らが弱音を吐いて涙を見せることがあれば、
「泣いてもいいんだよ!」
とOKマークを出して、笑って見守ってあげられる存在。
物理的には叶わないけれども、様々な形で手を差し伸べてあげられる。
直接的ではないけれども、対等の関係だ。
(多分彼らが弱音を吐くようなことは滅多にないだろうけど)
恐れ多い気持ちはありつつも、きっとその方が本人たちも嬉しいんじゃなかろうか。
なにわ男子陣営の、ファンとのコミュニケーションの間合いが素晴らしいのはそんな所にも滲み出ている気がする。
あと、私はライブツアー「POPMALL」における「Paradise」の曲順にも言及したい。
もしも、ツアーのネタバレを避けたい人は、ここで本文を終わらせてほしい。
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今回のツアーは、架空のショッピングモール『POPMALL』を舞台にしており、彼らは店員という肩書きでおもてなし(パフォーマンス)をする。
Paradiseは、アンコールの一番最後に披露される、『POPMALL』閉店の曲。いわば「蛍の光」的な存在だ。
これまで店員として、客をもてなししてきた彼らはユニフォーム(衣装)からグッズTシャツに着替えて登場し、最後にParadiseを披露する。
歌詞によって、なにわ男子から普通の20代の男性を垣間見せる瞬間でもあり、店員⇄客/アイドル⇄ファン、という関係性が一瞬綻びる時間でもある。
「だから待って まだ終わらないで」は、ライブが終わることへの寂しさと同時に、明日への不安に対する足掻きだ。
「Paradise」という単語には、理想郷、楽園、天国。
そして<願いが叶う場所>という意味もあるらしい。
彼らの願いが叶う場所に辿り着くために、わたしたちがするべきことは、
難易度高めの日々を真摯に生き抜き
不安な時は、彼らを糧にしながら
自分だけのParadiseを見つけること
なのかもしれないな、と思った。
ここでいう「糧」というのは
①お金を使ってできること
②お金を使わなくてもできること
というふたつの方法がある。
②お金を使わなくてもできること、のひとつに、なにわ男子を糧にして何かを達成したとか、こんなことを実現した、とか。
わたしたちが夢を叶えることが、彼らにとっての喜びであり成長の要素。そして彼らの夢に繋がる。
だから、「なにわ男子の初心ラジ!」の「5年後の私へ」のコーナーが、ANN時代から存続してきた意味が、やっとここで理解できたんですよね。
多分わたしたちの、そんな日々の積み重ねが
彼らの、そしてわたしたちの願いが叶う場所に続く道なのかもしれません。
だから「Paradise」ってすごい曲なんですよ!
(あ〜もしかしてこれって、なにふぁむ版“Time View~果てなく続く道~“なのでは?!)(さすがに拡大解釈です)
追記:
ライブツアー「POPMALL」における「ハッピーサプライズ」の衣装が、百貨店のパーキングスタッフに見えて、ここでも店舗の出口という概念にこだわってるのかな?!って思ってる。
長尾さん、その辺の衣装コンセプトいつかまとめて1冊の図録にして欲しいです。