12年間片想いした結果
生まれた時から好きだった。
そう言っても過言ではないだろう。なにせ、物心ついた頃にはもう好きだったのだ。3才か、それとも4才か。厳密には覚えていない。そこから高校1年生まで、約12年片思いするとは、当時夢にも思っていなかった。
12年”も”好きでいたからか? いや、そうではない。12年ぽっちでこの想いが途絶えるとは夢にも思っていなかったのだ。
幼馴染、クラスのマドンナ
改めて考えると、相手はどこにでもある漫画のヒロインのような設定だった。才色兼備、眉目秀麗、スポーツ万能。学校で1番とまではいかないが成績も優秀で、明るく優しく、歌もダンスも上手だった。マドンナという言葉を今どき使うのかわからないが、まさにマドンナでありアイドルだった。なぜか字まで達筆なのだから、もはや意味がわからない。
しかし、そういった彼女のあらゆる属性は、私にとっては直接の関係はなかったように思う。なにせ私が好きになったのはまだ何も持っていない幼稚園児の頃だったのだから。
私と彼女は、”最後に結ばれる”というお約束を除けば、まさに漫画のような関係だったのかもしれない。冴えない主人公と、幼馴染の完璧ヒロインだ。幼稚園、小学校、中学校は同じで、当然家も近所なので仲良くならない訳が無い。これだけお膳立てされておいて、漫画のような結末を迎えなかったのだから、ひどい主人公ぶりだと30を越えた今でも思う。
12年も好きでいるのだから、それはそれは色々なことがあった。彼女が誰を好きなのか知っていたり、誰かと付き合ったことを報されたり、私の親友を好きになったことだってあった。今思えばその頃の私は何をしていたのだろうか。なんとか彼女と偶然を装って会えないかと町中の夏祭りに顔を出したり、カッコいいところを見せようと球技大会のためにサッカーを練習したり、なんだか随分明後日の方向へばかり努力していたように思う。
麻痺していく
私にとってその恋は、もはや呪いだった。
彼女を好きであることは、当たり前のことでしかない。私が好きになる人は、一生でこの人しか居ない。心の底から本気でそう思っていた。そのたった一人が、私を異性として見ていないことはわかっていたのだ。これは地獄と言っていい。燃えるような片想いをしたことがある人なら、12年片想いし続けることがどれほどの苦行か想像に難くないだろう。恋が高熱を伴う熱病ならば、私は40度の高熱に12年さらされ続けたのだ。
その結果、麻痺していく。まるで生まれた時から父親が居ない子供が、それを当然だと思っているように、私が彼女を好きなのは当然のことなのだ。どこからともなく「今日は父親が帰ってくるかも!」などと想像しないように、私も他の人を好きになるなど発想すらしない。可能性すら考えない。
私は一生あの人しか好きにならない。そしてあの人は私を好きではない。つまり私は一生片想いし続ける。そんな最悪の三段論法を新興宗教の信者のように信じきっていた。私の青春時代は燃え盛るような熱病の温度で焼け焦げていった。
呪いが解ける日
そんな死神にかけられたような強力な呪いは、なんてことはない、誰もが知っている方法で、簡単に解け始めた。
それは告白だった。
12年も片想いしておきながら、私は唐突に告白をした。それは高校に入ってしばらくした頃だった。高校では彼女と違う学校に行くことになった為だろう。それまでは会おうと思えばいつでも会えたし、相手が何をしているかもなんとなく知ることができた。しかし生まれて初めて遠くへ行ってしまったのだ。それが、本当に今更にもほどがあるが、私を焦らせた。
結果はわかりきっていた。あまりはっきり覚えていないが、返事は「友達にしか見られない」というありきたりな結末だ。私はそう思われていることをわかっていたし、私がわかっていることを彼女もわかっていた。ただの通過儀礼のような、禊のようなものだ。
しかし私は、死ぬほど泣いた。
今現在の経験をもってしても、あれほど泣いたのは母親が死んだ時ぐらいだ。当時アルバイトをしていたが、アルバイト先に連絡すら入れずに泣き崩れたまま動かなかった。わかっていたのに。結果はわかっていたのに、本当はちっともわかっていなかった。本当は心のどこかで「もしかしたら」と囁く誰かの声がずっと響いていた。
人間はどんなに悟ったふりをしても、わかったふりをしても、「もしかしたら」という甘い希望から逃れられない。それにこんなにも強く気付かされるとは思ってもみなかった。
一晩中泣いて、泣いて、泣き疲れて、考えることもなくなって、最初に抱いた感情は、「腹減ったなぁ」という、根源的ではあるがなんとも間の抜けたものだけだった。
人生には続きがあった
それから4年の歳月を経て、私は初めて他の人を好きになった。とてつもなく感動したことを覚えている。まさか私が、あの人以外のことを好きになる能力を持っていたなんて信じられなかった。私にとってはあの人が全てで、結ばれないのならそれ以降の人生に価値は無いと思っていたのに。
その後も私は、多くはないが何人かの人を好きになった。12年告白もせずにいた男とは思えないほど、すぐに告白するようになった。そもそも本音を話したがる性分なのだから、それまでが異常だったのだ。
振り返ってみれば、私は誰かを好きでいる自分が好きだったのかもしれない。純粋な恋と呼ぶには、12年という歳月はあまりに異質だったように思う。
これを読んだ人の中にも、片想いしている人がいるかもしれない。失恋したばかりの人もいるかもしれない。そんな人に言いたい。
運命の人? 私にはこの人しか居ない?
大丈夫。全部気のせいだ。
人間は勝手に人を好きになる。近づけば勝手にくっついてしまう磁石だ。くっついてしまえばなかなか離れられないし、離れたくないだろう。それはそれでいい。でも、心が離れてしまえばなんてことはない。
今片想いしている人は、とてもそんな風には考えられないだろう。「私にはこれ以上の人はいない!」「もう私を好きになってくれる人なんて二度と現れない!」。その気持ちもよくわかる。腐るほどよくわかる。「こんな得体の知れない男と同じようになるか!」と思う気持ちもわかる。
もちろん同じになるとは限らない。でもせっかくここまで読んでくれたのだから、心の片隅ぐらいには置いておいてほしい。なにせ、私と同じにならないとも限らないのだから。