banya baseのこと、その前に父について②

2週間程度で家に帰れるのではないか、という話だった。帰った後どう暮らしていくのかも課題だった。

なのになぜか、もしかしたら帰ってこられないんじゃないか、と、そう感じた。親戚のおじさんが60代前半で亡くなった時のお葬式で父があと10年でその歳かぁと妙に感慨深く呟いた時に”この人いま自分の寿命設定した?!”と感じてしまったのもあってどうにもざわざわしたのだ。そして父はまさにその年齢だった。もちろん口には出さなかったし誰にもそれは言わなかった。いや、言えるわけがなかった。

頭に浮かんだのは何かの小説で出てきたシーンで、それは死んでしまった後にああすれば良かった、こうすれば良かったと言うのは亡くなった人に対して失礼なことで、その時その時、相手と後悔のないようにちゃんと向き合うべきだと、そんな話が出てくるものだった。あの頃は一緒に暮らしていても、何だかとにかく面倒だったり、話をすると疲れたりであんまり父と話さなくなっていた。だけどダメだなそれじゃ、とこのシーンを思い出したのだった。後から自分に言い訳しないよう、ちゃんと考えて向かい合おうと。

最初に言われた2週間などあっという間に過ぎたが帰れなかった。よくなっているとは思えない状況だった。ほぼ毎日仕事帰りに病院通いをし、毎度毎度アイスや飴(シュガーレスだと怒る)や煎餅だの買ってこいと言われるので軽く喧嘩になった。コンビニの商品カタログ持ってこいと言われたこともある。そんな物、あるわけがないのに。それをわかっているのかいないのかは謎だったが父は簡単に口にすることが出来なくなったものをとにかく欲しがっていた。こちらもこちらで疲弊し母と交代で行くようにしたりしているうちに夏になっていた。脳梗塞は軽く済んだけれど、問題は重症と診断書にあり見事なくらい教科書通りに合併症を引き起こしている糖尿病だった。脳梗塞が引き金になりいろんな症状が出て、最悪のケースも考えるよう医師に言われる厳しい状況だった。そこまで想像していなかった母も私もさすがに衝撃を受けた。でも、入院したその日に気になった左足の爪先が全てを物語っていた。

だから途中で父の要求と戦うのを私はやめた。もういいじゃん、好きにさせようと。アイス買うのに抵抗もあんまりなくなった。冷凍みかんやカロリーオフのアイスでは満足せずに買い直しを迫ってくる父だ。正しいことが全てではないよね、と。だけど看護師さんにノーと言われることを叶えることは嫌だった。彼らは父を救うために全力を尽くしていたから。それが仕事で、全うしようとしてくれている人たちの言うことを無視するなら入院している意味などないと、一度だけ本気で怒った。驚いたのか大人しくなったけれど、この葛藤は本当に苦しかった。でもお菓子を食べながらテレビを見て過ごした時間は悪くなかったし、ピノのアイスと罪悪感は父と一緒に分け合った。芸能人の俳句を添削する番組を父は妙に気に入っていたけれど私はあんまり好きじゃなかった。ベッド周り直したり、棚の配置換えさせられたり、テレビみたり肩や手を揉んだり、早く帰りたいと思ったり。謎な要求も多かったけれどあの空間から出られず過ごしていたことを思えばそんな事は大した事じゃなかった。

多分、こういう経験は誰しもが何らかの形でするんだろう。でも私はそれまでに去っていった祖父たちとはこういう時間が持てなかった。遠いから、学校があったから、子供だったから。そんな理由だったように思うけれど、何を言ってもそれは言い訳でしかなく自分を可愛がってくれたはずの人たちと正面から向き合えずに終わることの虚しさだけが自分に残っていた。

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