なぜなぜ奈良
私にとって、自己紹介は至福の時間である。
なぜなら、それは私のとどまるところを知らぬ「奈良愛」の告白が許される時間であるからだ。
しかし、自己紹介が終わると苦痛の時間が待っている。
なぜなら「どうして奈良がそんなに好きなのですか」と必ず聞かれるからだ。
うーん。・・・だって、いいじゃないですか。いいところなんですよ、本当に。わかりませんか。
「わからない」と相手の顔に書いてある耐え難い数分間が過ぎ去って、自己紹介タイムが終わる。
先日受講した《ライティング講座》でもそうだった。そして、さらにその自己紹介を、すぐに文章にまとめなさい、と言われる。先ほど言葉で言えなかった「なぜ奈良が好きか」を、なんとかここで文章で表現したい。制限時間、あと3分。「なぜ」「なぜ」「なぜなぜ奈良」
「私は奈良そのものになりたいのだ」
やってしまった。意味が全くわからない。自分でもどうしてこんなことを書いたのかわからない。どうやら奈良愛をこじらせて、人格と奈良の融合が意識下で進行してしまったようだ。
頭を抱えたまま、セミナーが終了し、20分間、放心状態が続く。
だんだんわかってきた。文章にしたことで、明らかになったことがある。
「なぜ奈良が好きなのか」の説明が難しいのは、私にとってこの質問が「あなたという人間の素晴らしい点を3つあげなさい」という質問と同義になっているということだ。
仕方がない。ここはもう、奈良を好きな理由を書くために「私の素晴らしい点」というのはおこがましいが、「こんな自分だからこんな奈良が好き」という視点で、奈良の魅力をとりまとめてみるしかない。
その1:「悠久の歴史の流れをあれこれ想像して、まるで見てきたかのように人に話すのが好き」
旅をすると、目に入ってくるもの、聞こえてくるものから刺激を受けて、想像力が広がる。
奈良の都、平城京があった場所につくられた平城宮跡歴史公園に、実物大の「遣唐使船」が展示されている。「遣唐使」の存在は歴史上の記録に記されているが、遣唐使が乗った「船」に関してはほとんど資料が残っていない。当時の書簡に残された遣唐使の人数や、後世の絵巻物といったわずかな手がかりによって造船された船。
この船は、もう奈良時代の遺産というより、「遣唐使船をこの目で見てみたい」と願った現代に生きる人々がよみがえらせたファンタジーなのかもしれない。これほどのものを見ると「奈良には、こんなに素晴らしいものがあるよ」と、どんどんまわりの人たちにも伝えたくなる。
「奈良」という素材を、日本人の想像力とものづくりのテクノロジーで磨き上げた、光輝くファンタジーの集積体が現代の奈良なのだ。
その2:「豊かな自然の中で、ボーっと過ごすのが至高の時間」
784年、平城京から都は長岡に移る。その後、「あおによし」とも呼ばれた煌びやかで広大な都は一面の原野に帰した。
放置され、忘れられ、武士の世になり、また近代となっても、奈良では都市計画はそれほど進まなかった。歴史の空白を自然が埋め、結果的に緑につつまれた今の奈良の姿になったのだ。春には桜が咲き、秋には紅葉が美しく空を染める。そんな奈良をゆったりとリラックスして歩いていくのが、なによりも好き。広い空と季節ごとに変わる自然も、奈良の大切な資産である。
その3:「病気も、戦争もない平和な世界。そのために自分がなにができるのかを考え続けている」
東大寺の大仏は奈良観光のシンボルだが、決して、時の聖武天皇の「観光名所としてなにかドーンとでかいものがほしいよな。大仏とかいいじゃないか」でつくられたわけではない。自分の子供が病気で死ぬ。家族が敵味方に別れて戦乱で死ぬ。そんな究極の苦しみの中で、仏教にすがり、ありったけの思いをこめて巨大な仏像をつくる。
そうやってやっと完成した仏像を納めた寺社も、数百年後にふたたび戦乱の舞台になる。別の寺では、建物は燃えても仏像だけは命からがら持ち出した人々がいる。
奈良に行くたび触れるのは、そんな人々の1300年続く思い。だから、そんな平和への思いを、思いがつまっている奈良を、世界に広く伝えることが、奈良の歴史から比べればはるかに短い数十年間だが、広告会社に籍を置いた神楽番頭のミッションなのだと信じている。
「なぜなぜ奈良」。
最後は奈良と自分の紹介文となってしまったが、この文章を書くのも、様々な思索と表現を試す興味深い経験となった。ありがとう、奈良。
(タイトル画像は、初夏の室生寺五重塔。写真は全て筆者撮影)
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