くらしをあじわう
ゲストハウスでの生活(運営)で一番気持ちの落ち着くのが朝の風景。
まだ日がのぼる前から準備をひとりではじめて、照明のあかりをつけお気に入りの音楽を心地いいくらいの音量で店内に響きわたせる。
この日はトレイシー・ソーンからスタートを切る。ケトルに水を入れお湯を沸かす。コーヒー豆をグラインダーにかけ、少し大きな音を出す。しかしそれは邪魔なものではなく、生活に必要な音だ。その音とともにコーヒーの香りが店内に広がる。1日のはじまりを告げるように。
宿泊のゲストがちらほら起きてきて、朝食を食べながら旅の支度をする姿を見るとぼくはおせっかいをやきたくなる。次の目的地は決まったのか、どのようにしてそこまで向かうのか、あれは持ったかこれは忘れてないか等々、色々と気になってしまう。
カップルや友人同士、グループで宿泊のゲストに対してはあまり積極的にはアプローチをしないのだが、ひとり旅の方には積極的(もちろん空気感は読むが)に話しかける。
美味しいランチを提供しているお店の情報であったり、こだわりを持ってやっているコーヒーショップの情報であったりをお伝えするとともに、このまちの特徴をさっくと、思いっきり主観を交えながらお伝えさせていただく。
ゲストの表情がやわらかくなったらそこからはその人の情報を引き出すことに神経を集中させる。なぜこの地にやって来たのか。なぜこのタイミングだったのか。そもそも北九州という土地を知っていたか。
当然だが、皆それぞれ北九州を訪れる理由は違う。観光や出張、友人に会いに来るなど明確な目的を持った方もいれば、全くの無計画の方もいる。
ぼくが特に興味をそそられるのは後者の方だ。もちろん目的を持った方に対して興味がない、という意味ではない。何の前情報もなく、それらを現地調達でまかなおうという挑戦的な姿勢に惹かれるのだ。
そんな勇気ある方にはぼくの北九州をあじわうツアー(通称らち)にご参加いただく。主には観光客がなかなかたどり着けない、もしくはガイドブックには載っていないローカルなスポットに案内をする。ぼく自身の行きつけのうどん屋であったり、この時期だと地元民しか知らない桜の名所であったりと、まるっと1日を使ってぼくらのまちをあじわってもらう内容になっている。
(地元のうどん屋。北九州名物ごぼう天うどん。)
このツアーの面白いところはやはり、新たな発見が双方に生まれることだと思う。ゲストには「こんな旅の仕方があるのか」と感じて楽しんでいただけたらぼくの役目は果たせたと言っていいだろう。そしてぼく側も実は新たな発見をすることが少なくない。
ごく控えめに言っても、北九州というと観光地としてのイメージは薄いし、実際に観光地のように見てまわるような場所は多くはない。なのでぼくのツアーでも頻繁に行われれば案内する場所も重複してしまう。しかしながら、誰と行くか、でその場所の見方やモノのあじわい方も変わってくる。
とりわけ、若い女性と一緒にまわるとなるとそれはもう特別な場所、時間に早変わりする(半分冗談・半分本気)。
(ゲスト2人をラチして。)
地元のうどん屋に案内して一緒に食べるだけで、こんなにも笑顔になってくれるのか、こんなにはしゃいでくれるのかと驚いてしまう。
一緒にうどんをすすりながら話すのはそれぞれの地元のこと。
「私たちの住んでいるまちにもこんなお店があってね。そこもここみたいに平日でもお客さんでいっぱいになるの。地元民に愛されてるお店でね。しばらく行ってないから今度久しぶりに行ってみようかな。」
こんな風に、ぼくらの日常が誰かの非日常にとかわる瞬間こそがぼくにとっての新たな発見なのだ。そしてその非日常をそれぞれが自身の日常の一部と繋がる光景を見るとぼくはとてつもなく嬉しくなる。
なぜ嬉しくなるのだろうか。きっと非日常の中だけであった場合、ぼくとゲストは単に「店の人間」と「その客」というだけの関係性に留まってしまうところ、それらの体験を自身の日常の一部と繋げることにより、ぼくは「店の人間」から「旧知の友人」になれた、もしくはなれるのではないかと感じてしまうのだろう。
隣を歩いていても不自然ではなく、「最近どう?」なんてどこにでもあるような会話ができてしまうような間柄になれたのならそれはとても素敵なことだと思う。
きっとぼくらはそんな些細なことかもしれない、ささやかなひとときを常に探しているのかもしれない。顔の見えない誰かとの画面越しのやりとりではなく、お互いのその微細に動く表情や息づかいを捉えながらの生きたコミュニケーションにあたたかみを感じ、そこに新たな価値が宿る。
ぼくらゲストハウス運営者はその価値をこれからどんどん積み上げていくことで生き残っていくしかないのだと思う。
ひとつひとつ、ひとりひとりとの繋がりを生み出し、体験を共有し、新たな(もしくはどこかに置き忘れてきた)価値を取り戻す。
くらしをあじわう。
食べることだけではない。日常の中に散りばめられた食材をぼくらは丁寧に選び、想いを込めて、ひとつひとつ料理していくのだ。目の前にいるあなたとともに。