見出し画像

横浜地涌唱導講

地涌唱導講について

色々と思うところがあって私の個人的な信仰の実践と考えを発信するために法華系単立横浜地涌唱導講を立ち上げることにしました。


講本尊の三宝尊

御本尊は三宝尊になります。七日に要唱寺にて開眼唱題行をしてきました。


いままで勉強する縁が八品派の縁が強かったのですが完全に八品派から決別して実家の宗旨である富士門の勉強をし直そうと思ってます。アンチ日蓮本佛論派ではありますが。
今の基礎を作ってもらった八品派については昭和法難供養のみ続ける所存です。今の私が天台宗無動寺修験道に籍があるのは松井日宏上人の御加護だと信じておりますので…
なんちゃって富士なのは否定しません。
日興遺誡置文に御書を先に学んで天台は後にと書いてあるのですから…
大正大学で天台宗学んでいるので継続します…僧籍は日蓮大聖人も開宗前に在籍していた天台宗にありますし学費は自分で出してるので…
謗法とか過去の私の行いについて色々と思われる方もおられると思いますが、こんな小者に気に掛けるよりも無視決め込んで頂きたいです。

講での衣について

薄墨の素絹の由来を大阪の唱導林のお上人から教えて頂いた正宗のページで拝見して黒しか持っていないので講は安楽律法流(安楽律法流は「薄墨」と決まっているそうです。)とは関係ないので特注の天台素絹作りたいと思います。多分鼠色になると思いますが…
薄墨の衣が作れる業者は日蓮宗の専門なので…また日蓮宗の素絹だと色々と言う方がおられそうなので…斉藤大法上人の処へ法の弟子として入門したののなら宗派ごと僧籍変えろとか…いう方もいたので…
得度の師、法の師、他人様は皆師でも書きましたが宗派遷る訳では無くて法を学びに入門しただけなんですけれど…
インド仏教には部派はあっても宗派は無く大乗仏教の場合は初期仏教から順番に積み重ねていくそうで…チベット仏教もそのような話を聞きました。
基本的に話が嚙み合わない人とは関わる気はありませんので…
これ以上この話に言及するとネットスラングでいう処の日本仏教dis太郎にならないといけませんので…
これ以上悪業を増やしたくないので衣の話に戻しまして…
日蓮宗興統法縁寺院の住職から
出家した宗派は天台でも日蓮大聖人の富士の法縁を受けているのですから薄墨を着るように
と言われてまして…
縁を切った別門流の方で『お洒落で薄墨着る』と言う方がいましたが…
正直言って聞いた時心の中で( ゚д゚)ポカーンとしてました。
ちなみに薄墨の衣は富士門の教えでは『忍辱の鎧』と説くそうです。
お洒落と鎧では全然意味が違います。
その忍辱の鎧着れる身か?
と言われると…黙るしかないですが…
私は松野殿御返事に説かれている

受けがたき人身を得て適ま出家せる者も・仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談(ゆげぞうだん)のみして明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生なり、法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども法師となる義は一もなし・法師と云う名字をぬすめる盗人なり、恥づべし恐るべし

松野殿御返事 日蓮

法師の皮を着た畜生の自覚はあります。半僧半俗の修験者と言っても中身は大道芸人の願人坊主ですから行も碌にできませんし

袈裟には紋刺繍入れる予定ですが、勿論白です。
紋は富士門系なので↓です

判る人には判る鶴丸紋です。 キャプテン今こと神智学者にして日本郵船欧州航路船長であり私が没後門人を名乗る今東光大僧正の父上今武平大人家の鶴丸紋です。使用していいか直接ご縁が有る今武平大人の孫娘の御主人に連絡して確認許可を頂きました。
富士門と言えば鶴丸紋、居候している寺も鶴丸紋、勝手に没後門人を自称している今東光家も鶴丸紋ですし…
と言う事で、今東光大僧正の姪に当たる方から許可いただきました。
そいや私自称今東光大僧正没後門人と自称國府田マリ子大姉護持僧ですからね…
マリ大姉は今のところ黙認して頂いてますが…怒られたら止めようと思いながら今年で三年目?になりますね。

薄墨(鼠色)の衣を新調するにあたりご喜捨のお願い

もし地涌唱導講の法衣購入にあたりお志を御包いただける方がおられましたらご連絡ください。
メールはjiyushodoko@gmail.comまで
noteからの支援も歓迎します。
法衣にお名前を入れさせていただき施主家先祖代々有縁無縁恩枯仇敵霊位の供養をさせて頂きたく思います。

講の護法尊として聖天様をお祭りします。


聖天様を護法尊としてお祀りいたします。一応天台宗の修験者なので密教的要素は否定しませんが地涌唱導講の信仰は唱題行をメインに行きます。
元々生駒の聖天様とのご縁は14歳の夏に唱題行中に感得した御縁なので…
今まで八品(はっぽん)聖天とお呼びしていた聖天様の冠名を地涌聖天といたします。ビナヤカ信心の人に供物の量がとか言われたことも有ったので…
さてでは地涌唱導講の聖天信仰とは何か?と聞かれたら、最終的目標は霊山往詣、娑婆即仏国土建設の為に法華経への帰一だと思います。
が、それぞれの気根によるので軽々しく言える訳ではありません。
常々申しておりますが、天下泰平仏法興隆無くしてなんぞ信心だという事です。
現世利益を享受してビナヤカ信心を自慢する人に出会ってきたからこそ個人的には我利我利な現世利益を追い求める聖天信仰には否定派です。
ここまで来るまで25年かかりました。
まずは天下泰平・世界平和を祈ることから始めていかないと物事は上手く行きません。争いや天候が好くないと私たちの生活は上手く行きません。
修身治国平天下という言葉が中国の古典に有ります。まずは自分を修め家庭もととのえて国をよくして天下を治めるの意味だったと思います。
その自分を修めるにも天下がやすらかでは無ければ上手く行きません。
自分自身の今の環境もまた小さな天下です。
上は世界中、下は自分の周囲の太平を祈る事が大事だと思います。
現世利益を求めることは否定しませんが、過度な我利我利の祈りは否定する次第です。
正しい信心ならば寄り添う聖天尊の眷属衆のみならず法華経擁護の諸天善神が福徳を必ず授けてくださいます。
聖天信仰についてはおいおい書いてまいります。
普通の聖天信仰は最後は観音様の本師である阿弥陀様の極楽往生を願うべきですが、法華の聖天信仰は本師釈迦牟尼仏による仏国土を目指すことです。
その為に地涌唱題行をするのです。

手探りながら信心を積み重ねていきたいとおもっております。
令和七年一月聖天縁日
寂光庵智晃日聴
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経

いいなと思ったら応援しよう!