國府田マリ子ファンになって二十九年目の記念日

お寺の方に投稿しようかと思いながら理性があるのでこちらに書きます。
29年前の中学一年の十二月第二日曜日深夜零時に初めて #ツインビーPARADISE を聞いた記念日でした。


当時の私は不登校になる寸前の日々…勉強はできない、運動も嫌い。無理やり入れさせられた卓球部、いじめではないけれど今でいうイジリに苦しみ帰って寝るだけの日々でした。
当時聞いていたワタル4を聞いたら寝るという生活の中に消し忘れたラジオ…そこから


↑のリンクがその会です。
なんてこんな明るい声の人がいるだろうかと それが國府田のマリ姉との出会いでした。マリ姉の声を聴いて胸に突き刺さりそのままファンになったという訳です。
早いことに29年目、マリ姉がいたからこそ今の自分があるというのは大げさではない。
不登校、引きこもりと表に出る事がつらい時心の支えはマリ姉でした。

私の聖天信仰の枕で「國府田マリ子ファン歴二十九年ですので聖天信仰は引く一年で」ってよく言いますが…家が傾いて金が無い、グッズも買えない、ライブもいけないなら向こうと繋がる迄なんとかならんかと聖天信仰始めたのは知っている人はご存じのお話で…
聖天信仰では順世の法と言う教えがありますがその人に合わせてご縁がつながると…
二十歳前後でしたかね、谷川俊太郎先生にお会いする機会があり、そこからはせみつこ師匠、マリ姉の事務所のJrで終わった方と繋がる時期がありました。でもマリ姉と繋がらない… 
そんな話を忘れていて…
約十年前にはせみつこ師匠が亡くなられて…一周忌の席で当時はせみつこの著作権を持っていた故副島一郎大人の目の前で谷川賢作氏が「弟子がいないから君は生徒だったからはせみつこの二代目を襲名しなさい。男がみつこはまずいからみつおだ」の鶴の一声ではせみつおを襲名しました。
三年ほどクラウン劇団オープンセサミの旧SSS時代にクラウンネームとしてはせみつおの名跡持っておりましたが…
副島一郎大人帰幽によりウリポはせカンパニーから名跡を返せと言われたので副島大人亡き後で死人ににくちなしと思い返しました。
襲名にあたり後見的な立ち位置の方もいましたが、絶縁されました…
ご本人は私に警告したとかいうてますが直接言われたことが無い警告やらを聞いた覚えが無いんですよね 
って話はどうでもよくて…

そんな感じで十代、二十代はマリ姉の曲を心の支えに生きてきました。

三十代はマリ姉追っかけていても山茶花の宿で(わかる人がいるかしら?)…ねぇ… 人並みに表の世界に目を向けてみたんですが…
火炎太鼓の道具屋と紺屋高尾の久蔵を掛け合わせたこぢらせぶりでして…寝ては夢、起きては現つでも目の前行けば舌をつる… 目を合わせられない…
誰が考えたんでしょうね、KIRINのまま三十歳になれば魔法使い、三十五歳で大魔法使い、わたしゃ三十七で阿闍梨だってネタはさておき…
別のマが付く人に惚れたが中二病こぢらせて…向こうさんから不審者扱いだろうなと思ってはおります。國府田のマリ姉と並んで命恩人なので死ぬまでにはお礼伝えないととは思っているんですがね…
とある場所で心が壊れてと話した時にドン引きされた顔が脳に焼き付いていて、修行中に逃げたいと思うと脳内で逃げたらこれより気まずくなるという恐ろしさをバネに生きてました。

話変わりますけれど、九月に私心不全で意識不明になった時に誰も居なかったことをいい事に「マリ姉ありがとう、マ〇〇さんにお礼言うまでは死ねない」と言った後に家族と救急隊が来たところで記憶が…


昨年心臓の手術を受けたのですが、私は三歳の時に共産党系の病院で医療虐待を受けていて手術しなきゃいかんけれどしたくないと悩んでました。
Twitterで国府田マリ子さんが出ている番組の感想つぶやいた時にマリ姉からリプを頂いて手術を受ける決心をしました。
その時に二十七年掛けてきた聖天様への願掛けは解いてライブにいこうと決めました。

グダグダな文章ですみません。
死ぬまでマリ姉のファンでいますし、来年の十二月第二日曜日には三十年のお祝いをしたいです。


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