アヘン戦争
早速、今日はアヘン戦争について書いていきます!
まず、アヘン戦争は、イギリスで中国茶がブームになったことが始まりでした。
当時、清王朝はイギリスとの貿易を洋行という組織に独占させていた為、お茶の値段はどんどん上がっていきました。中国茶の対価を銀で払っていたイギリスは、銀がどんどん中国に流出してしまうのは困ると考えました。
そこで、すでに支配下にあったインドを使った三角貿易により、インド経由で銀を回収することを思いつきます。
このときにインドが清に売りつけたのが、アヘンという麻薬で、これが非常に厄介でした!
中毒性が非常に高く、中国であっという間に広がり、人々の体に深刻な被害を及ぼしたのです。しかも、このインドとの貿易により今度はイギリスから受け取った銀がどんどんインドに流出してしまい、これを止めようとした清王朝は、アヘンの密輸を取り締まろうとしますが、この活動は止めることができませんでした。
そんな時、林則徐という人が特命大臣に任命され、国内のアヘンの取り締まりを図ります。外国商人にアヘンを持ち込まない誓約書を提出させ、持ち込まれたアヘン2万箱を処分しました。これに怒ったイギリスは、1840年に中国に艦隊を派遣し、アヘン戦争が始まります。
イギリス艦隊にビビった清は、林則徐を左遷し、後任の琦善が交渉を進めます。が、内部の反対などにより条約が締結できず、戦闘が再開してしまいます。イギリスは、厦門、福州、寧波、上海、鎮江を落とし、南京に迫りました。
1842年、清王朝は敗北を認め、イギリスと南京条約を締結します。これは、香港の割譲、多額の賠償金、洋行の廃止、5港の開港など、清にとって不平等なものでした。
この南京条約により、イギリスはウキウキのはずでしたが、思ったほどの結果にはならず、もっと有利な関係にしたがり始めます。これが、後のアロー戦争のきっかけともなるのですが、今日はここまで。
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