そうかい、そうかい
世界カーリング連盟の年次会(World Curling Annual Congress)が韓国で開催されている。これは世界中から加盟国・地域の代表者が集まり、カーリング界の重要課題について検討し、意思決定、意見交換などを行うイベントである。
日本からも代表が参加していて、日本協会としての意思表明等を行うはずなのだが、このような会議で何が検討課題に上がり、どのような意見表明があり、日本がどのような投票行動をとったのかということが公式に明らかにされる事はほとんどない。
というか「今度の世界連盟の会議に日本として持ち込んでほしい議題があれば、何月何日までにお知らせください。」みたいな連絡をもらった事は今まで一度もない。
もっともこれは「そこがオカシイ」という話ではなく、私を含め日本のカーラーの大多数は公益社団法人日本カーリング協会(以下「JCA」)の構成員ではないから、やむを得ない面もある。
あれ、竹田はカーリングしてるのにJCAの会員ではないのか?と思われるかもしれないが、まさにそのとおりで、カーリングの競技登録者であっても、JCAの会員という人はあまりいないのだ。どういうことかというと…
JCAの競技登録者は「会員」と一部で表現されることがあるが、これは正確ではない。定款上、JCA会員すなわちJCAの構成員は原則各都道府県カーリング協会(の会長)であって、それ以外の人間には組織の構成員としての権利義務は付与されない。
したがって、誤解をおそれずに言えば、国内競技者のほとんど(2000人ちょっと)は、単に年登録費を支払うことで、JCAの主催するイベント等へ参加する権利を付与される存在にすぎない。両者の関係は「民間のサービス提供者」と「利用者」のそれに類似している。
そして提供サイドは利用サイドに対し、組織運営への意思の反映を構造的には保証していないのである。
もっとも、これも「とんでもねえな」というつもりはない。これは多くのスポーツ競技団体が標準的に採用している組織形態だからである。
歴史的な経緯もあるが、法人としての意思決定や責任の所在、運営のやりやすさ等を考慮してこのように収斂していったものと考えられる。もちろん、団体によっては登録者数等に比例した評議員選出制度を採用するなどの工夫もあるが、競技者に直接運営への関与を保証している組織はほぼない。
運営のやりやすさと競技関係者による「民主的な」意思決定は、必ずしもトレードする関係ではないはずなのだが、現実には両者がトレードオフし、スポーツ競技団体にありがちな構造特性と相乗して「独裁(独善)的な」運営に陥る可能性を常に内包している。
事実そうなってしまっている団体も見受けられるが、構造的な保証が虚弱であるため、独裁(独善)的な体制を防ぐには、現状、(全体からすると極めて少数の)構成員個々人の資質や頑張りにかかっている現状にあると見える。
誤解があるといけないので念のため補足するが、カーリングにおいて競技者の意思が競技団体の運営に全く反映されないわけではない。JCAの構成員である各都道府県カーリング協会はいわゆる「任意団体」が多数を占めるが、個別の規約に基づき運営されている。
各都道府県協会は構成員によって代表者が選出されるといった運営形態が標準で、このことから、JCAの競技登録者である都道府県協会構成員(もそうではない構成員も)JCAに対して間接的にその意思を反映することができる関係には一応ある。(個別にはそうではないケースもあると思いますが)
北海道については若干特殊で、北海道カーリング協会(任意団体)は10数個の単位協会(任意団体が多数)を構成員とする組織形態を採用している。竹田の場合でいうと、名寄カーリング協会(任意団体)に入会し、会費を払って、名寄協会の規約に基づき会長を選ぶ権利がある(会長はソウマさんです)。
そして会長が、北海道カーリング協会の規約に基づき、その構成員として道協会の意思決定に参画している。
だから、私の場合には、JCAに対しては(多重に間接的にではあるが)意思反映することが不可能ではない立場であるといえるのである。
ただし、現状、このようにかなり「遠い」ところから声を上げることになるので、長い過程において相当量が吸収され、減弱し、最終的には環境に何ら影響を及ぼさないレベルまで薄まってしまうことが多いように感じている。
私はこれを「質問をしても返事が来るのが1-2年後、しかも質問とは違う答えが返ってくるから再質問しないといけない」などと表現し、多くの人から質の悪い冗談だと思われているらしいのだが、これはもう知っている人から言わせれば「JCAあるある」で、残念ながらまぎれもない事実なのである。
JCAに話を戻すと、定義としては競技者(カーラー)の意思の反映は保証されないが、会員(都道府県協会)の意思の反映を保証している組織であるといえる。そのような組織的限界がある。(変えろという話ではない。補完する仕組みを充実させたほうが良いとは思うが。)
組織論は人類永遠のテーマであるが、あまりに競技者と競技団体との間の利害や意思に齟齬が生じると、そこから紛争や対立、はたまた爆発的な発展が起きる可能性が高まる。歴史的にはそのような現象が繰り返されてきた。
カナダでは2000年代に協会組織(CCA。現 Curling Canada)と競技者の一部に対立が生じ、グランドスラムが設立されるなどしたが、その一例である。ご存じの通り、これはその後のカーリングを大きく発展させたといえる。組織形態に依存する限界や対立は歴史的必然で、単に悪いという話でもないのだ。
面白いのは、JCAも当初数えるほどしか競技者がいなかった時代に、当時の競技者らが自ら設立した任意組織が母体となっているという事実だ。そのころは今よりは競技者に近い組織だったのかどうかはわからないのだが、数えるくらいしかカーラーがいないとなるとかなり近かったようにも思える。
もっとも、今だって田舎の小さいマチくらいの規模の組織に過ぎないから、もっとざっくばらんに、アタマと膝をつきあわせて運営すりゃいいんじゃないかと思うのだが、運営側はここ10年ぐらいの間、監督省庁やスポンサー、メディアなどあちこちからの有形無形の対応に追われ、それどころではなさそうだ。
そのポジションにいる人には、それなりの苦労があるだろうから、「部外者」があまり結果を求めるのも酷というものだ。世界連盟の会議についていえば決定についての公式発表もあるし、ほかの国の協会がウェブ上で内容の解説をしてくれたりするから、実務上そんなに困ることはない。
でもまあ日本から「我々の代表」として参加してくれている人がいるのであれば、その経験を属人化せず、得たものは余すことなく還元してもらいたいと思っている。加えて言うと、そういった取り組みを契機としながら
現状さほど多いわけではない競技者や競技の周辺にいる人を巻き込み、組織作りをしていく事が長い目で見ると効いてくるように思うがどうなんだろう。
そんな面倒には関わらず、限られた自由時間にカーリングを満喫したい、というカーラーだってたくさんいるだろうとも思うが…。
(2023年9月14日に投稿)