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#97 愉しい自虐

 自虐ネタが好きであったが、最近「流行らないらしい」と云うのでちと封印している。封印にはもう一つわけがあって、高校演劇の現場に出るようになったからだ。あんまり高校生が命を斗している現場でネガティヴなことをほざく中年男性というのは存在価値がないように思える。むしろ、率直にダメなもんはダメだし、イイもんはイイと云うわかりやすいおっさんのほうが需要がある気がする。そのくらいのことは考えて現場に行く。

 とはいえ、ぢゃあ自虐とか、それに付随するペーソスというのはどこかで学んできたものなのであるが、それがどこからかというと今ひとつ明確に思い出せない。どっかいったシャチハタを探すノリで――家元談志は世相や他人を斬って、返す刀で自分も斬るというのをテクニックとして持っていたが、厳密にはアレではない。「ヒロシです……」も方向性としては違う。そこまで露骨に「あるある」ではない。「さよなら絶望先生」、殿山泰司、柳瀬尚紀、世界の料理ショー、あの当時の「カミさんが怖い」ネタはたしかに自虐……ではないんだが、テイストはむしろあっちのほうが近いような気がしてきた。ああ、そうなると、「クレイジーキャッツ」「青島幸男」まで遡れるのか。

「帰りに買った福神漬で/一人寂しく冷や飯食えば/古い虫歯がまたまた疼く/愚痴は言うまい零すまい/これが男の生きる道」

ハナ肇とクレイジーキャッツ「これが男の生きる道」 青島幸男作詞

 ああ、この辺に源流の一旦はある気がする。これを「面白い」と思ったあたりからだんだんと自分でやってみてエスカレートしていったのだとすると、だとしたら「自虐」というよりも、惨めさを笑いに変える方向だということになる。この感覚は令和の今の世には割合に絶滅危惧種で、貧困とか生まれについて必死さの度合いがまったく違うということなのかもしれぬ。

 なお「お前のは自虐ネタではなく、ただの自虐だ」と云われたことがある。

 そういえば、あたくしののご尊父がお亡くなりになったときに通夜葬式の手伝いをしにいったんですが、うちの師があんまりに周りの手伝いから「先生」「先生」って呼ばれるもんだから、葬儀屋さんがアタシに「なんの先生なんです?」って聞きに来たことがあった。文藝です、なんぞと答えたときのレスポンスが、
「文藝かぁ、俺たちゃここんところ請求書しか読んでねえなぁ」
 てぇんで、こんなのが「愉しい自虐」なんではないかと思っておったのですが、書き起こしているうちになんだかそうでもない気がしてきた(なんなんだお前は)。

みなさんのおかげでまいばすのちくわや食パンに30%OFFのシールが付いているかいないかを気にせずに生きていくことができるかもしれません。よろしくお願いいたします。