
#171 Back to B.S.N.S
前回のアーカイブス(#154)で書いてて盛り上がってしまったので続きをやることにする。Back to Before Social Network Service. SNS以前のSocialでないNetworkはあんなに楽しかったのにな―、という懐古を経て、いまさらBSNSから生み出されるものはあるのか、と山田考察していこうという記事となっております。ならないかもしれません。夕焼け小焼けのアカマンボウ。
2000年初頭の文芸サイト、いまだに生き残っているQBOOKSみたいなのもあるのですが、当時は文藝越人六〇〇というサイトを運営しておりました(アーカイブ)。で、HTMLとCGIを駆使して、毎週お題を出して600字の掌編や小説のワンシーンを書いてはあーだこーだ云う、という活動をしていた。多いときには2、30人は活動していたんじゃないか。このへんの数字は定かではありませんし、当時のログなどは古いパソコンやジオシティーズや契約の切れた有料サーバなどに飲み込まれていっていまやあとかたもございません。
それで、文藝サイト同士の交流企画ということで「バトル仮面舞踏会」(アーカイブ)なるもよおしを半年にいっぺん、ないしは一年にいっぺんやっておった。この「サイト同士の対抗戦」というのもすこぶる楽しく、終わったあとは結果発表も兼ねて新宿三丁目あたりでどんちゃんやったりしておった。いろいろあったが、芸術をやる人特有の頭のおかしな人もいっぱいいたが、楽しい時代でありました。
が、mixiだのGREEだのが出てきてからガラッと様子が変わったのをよく覚えている。これだけ盛り上がるんだから、と「バトカメ」参加サイトを増やした中にSNSのコミュニティがあったのだな、そうすると各SNS用のフォーマットを用意したりして煩雑になっていく。楽しむよりも、運営の苦労の、めんどくささのほうが大きくなっていく。いや、それは致命的な部分ではないな。問題の核心はそこではない。めんどくささに楽しさが勝れば続いていた。それはナニにおいてもそうなんですけんども。
問題の核心は、ルールやお題に対する厳密性が問われるようになったところだ。ちょっとひねったお題ができなくなった。これ、当時のアタシの了見ですが、「教養がないからこのくらいのウイットもわからないやつが参加してきた」とか「このくらいのことがわからない野暮の相手もせにゃならんのか」とか、そんなことを本気で思ってストレスを溜め込んでおったのであったが、今でもわりとそう思ってるか。本当に(文藝周りに)熱心な人が立ち上げた人による個人サイトレベルであれば、やはりみんな基礎教養のレベルはそれなりにあるもんやんか、と、これは当時思っていた部分です。
さて、今振り返って考えてみるとわかる。当時の個人サイトって「なんらかをやりたい人が集まってきて、それから人間関係が出来てくる」のに対して、SNSは根っこの違う人間ととりあえずつながることが目的になっておる。ということは、ルール作りの段階で踏まえてある前提の量と質が全く異なってくる。「このくらいわかるだろう」が通用しなくなってくるのがSNS以前・以降だったんだなぁ、ということだ。
BSNS(と、呼ぼう)の楽しさが再現できねえかなぁ、みたいなことはずっと思っていて、ぢゃあ類似例はあるかい、というと地域寄席なんかはまだそれに近いものがある。いつもの常連が、アンダーグラウンドなネタをやる噺家を囲んでブラックジョークをやるタイプの高座。SNSにどんなネタをやったかを遺すのは野暮の極み、みたいな。あと「画廊」というのも知っている。ちっちゃい画廊でエグいタイプの絵を展示し、小規模ながらもグッズを売ったりする、みたいな。当然クローズドであるし、大量の客は呼べないし、収益性は見込めない。変に話題にもなってはいけない。そういう場の楽しさを、価値観を共有できる人は増えてほしいが、人が集まると途端に崩壊し始めてしまう、というバランスの難しさ。
ということをぐるぐると考えていて、まだ自分にできることがない。
ムラ社会は楽しいんだよなぁ。支配する側にいる限りは、という話に落ち着いてしまう。
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