#136 取り急ぎ御礼まで
お、これはおっさんにもあるぞ、と思った話なのじゃが、LINEのレスポンスに句点を打つと謎の圧迫感が生じて嫌だ、というのは最近の、というよりももっと古来からある感覚な気がしている。それは職業として日本語に関わってきているからずーっと昔から「。」の所在については観察しておるからでございます。
作品タイトルに句点を入れるブームというのがいっときあって、記憶にある限りだと吉田戦車『伝染るんです。』あたりが嚆矢かなあ、とすると平成初期だ。「伝染るんです」に句点を付与することによって「誰かの言葉感」が増す。テキストに指向性が生まれる。そのあと髙橋しん『いいひと。』(なんか最近話題になってたわね)、最近だと映画「君の名は。」朝ドラ「半分、青い。」なにかってぇと、あえて付けるものとしての句点のニュアンスというのが我々の世代にも存在しており、ことLINEにおいても「わかる」のかもしれない。
もう一つ思い出したことがあって、いわゆるメール、おじさんなども25年も前から日常的な連絡手段として採用している電子メールにおいても――あの作法って、誰が考えたのかも、成立させたのかもわからないけれど、御礼のメールを書くときの「まずは御礼まで」って最後に句点を付けない生理がある。ないですか。あたしはあります。「まずは御礼まで。」だと明確に(生理の問題として)気持ちが悪い。便箋に手紙をしたためるときは(まだやってるけど)原則的に句読点を付けないように書く、という文化がある。
となると、「まずは御礼まで」に読点を付けない、というのは便箋由来のルールではないものと思われる。日本の句読点の歴史は明治20年代から30年代(だと、Wikipediaに書いてある)。本来は読みやすくするための記号(漢文のレ点とかと同じ使い方)だったはづなのじゃが、付与することで、気持ちをぐっ、と押すツールになっているのには違いない。
この辺を突き詰めていってナニが得られるかというとナニも得られない気がするのだが、読点の有無というのは世間で莫迦にしているよりもずっと人間生理に食い込んでおり、わかる、わかるぞーっ、ということが云いたかった記事でございました。
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