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#52 フォニイくらべ

 昔から同じ曲の「うたってみた」を聴き比べるのが好きだ。最近は「フォニイ」が好きだ。

 原曲はこちら。

 ながいこと(ニコニコ動画以前から)ネットに張り付いている身からすると、ボーカロイドで無数の楽曲が作られてのち、いろいろなひとが人間の声で「歌ってみた」として楽曲を再構築する様子には感慨深いものがあるのじゃ。昔は「ボーカロイドのためのうた」として作られていたものが、「ボーカロイドで仮歌を設定したものを、生身の人間が(Vtuberの声帯担当の人も含む)命を吹き込んで完成品にする」みたいなコペルニクス的展開を遂げていると思われる。この辺の意識の変容はもちっと掘り下げてみると、たぶん面白い。人類がそもそもボーカロイドに「飽きた限界がきた」のか、とれとも技術的に進歩して「やぱり人間のほうが面白いよネ」となったのか……。

 で、本題。「歌ってみた」くらべのいいところは、ヴォーカルを中心にして「どう表現していくか」で競う差が歴然ハッキリと出る、という点に限る。おじさんはホロライブが好きなので自然とホロライブの話になるが、上記のオリジナルに対して星街すいせいのcoverがでる。

 すいちゃんは圧倒的にすごい。何を歌っても星街になるところが全盛期のキムタクみたいな感じを受ける。なにを演じさせてもキムタクになるみたいな。オリジナル曲も結局すいちゃんはすいちゃんになるところが、存在としてすごい。

 Vtuber同士は基本的にてぇてぇのであるが、ただ、それ以前にクリエイターとして(それがトークであっても歌ってみたであっても)しのぎを削る現場であることが好きだ。これはニコニコの初期の歌い手にもあったんだけど、まもなくして出たのが尾丸ポルカ版のやーつ。

  これ、ものすごいんですよ。明確に先行するカバーすいちゃんとは違う表現を追おうとしている。むしろこっちのほうがオリジナルに近いながらも、非常に戦略的に、本人にしかできない仕事にしている。すごいのよ、これ。オリジナルの「ペルソナ」も「HOLOGRAM CIRCUS」もとてもよい歌唱で、戦略的ストラテジックというと戸川純なんかを思い浮かべる。一曲の中に一人で何人もの人格を演じ分けてくるあたりとか。

 で、天音かなた版

 この子はMIXに長けておるので、音の重ね方がすごく面白い――のみならず、わりとこう音の強弱とかテンションのアップダウンとかのテクニカルな部分を(わりあい露骨に)を一曲に詰め込もうとしてくる。文字通り「表現の宝石箱やー!」みたいな作り。

 ね?(圧)面白いんですよ。面白いんですよ!

 まだやるのか、という声が聞こえるが、もうひとつだけ。雪花ラミィ版。

 これはね、ゴロちゃんなんですよ。ナニ、知らない? あるかな。

 あるところにはあるものだ。おわかりいただけるだろうか。このひたむきさに全振りした感じ。本人は歌唱に自信がないような話をしていたが、その分のひたむきさを全のっけしてくる感じがとてもすき。実は一番何回も聴いてしまう。

 とかなんとか、本日は「KING」も、古くは「脳漿炸裂ガール」であり「え?あぁ、そう。」であり「炉心融解」であり――「自分は(この曲を)どう表現するか、歌い上げるか」でしのぎを削っているのを観るのは面白いぜ! という話でございました。わりとその「歌ってみた」というジャンルネームそのものに匿された部分があってですね、曲の(役柄の)解釈を披露する場だと思って観る(聴く)と、その辺を理解ってやっている作りてのものはホン、っとうに面白いんじゃ。

 などと居間で酒飲みつつ聴いていたら娘がおおむね「フォニイ」覚えちゃってね、「如何して愛なんてものに群がりそれを欲して生きるのだ」って歌う5歳児、どう思いますゥ?――どうも思わへんわジイチャン!

みなさんのおかげでまいばすのちくわや食パンに30%OFFのシールが付いているかいないかを気にせずに生きていくことができるかもしれません。よろしくお願いいたします。