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#169 お前の値段がわからない

 昔話から入ろう。
 もう20年以上前の話。就職氷河期と云われる中、2月の頭くらいか、夜中急に師匠から電話がかかってきて「お前、就職しないか」という。当時は50社ほど受けても箸にも棒にも引っかからず、来月にゃ大学の卒業式だよ、という折で、あれよあれよという間に神保町界隈の小さな出版社で面接して「とりあえず使ってみようか。で、給料って、いくら欲しいの?」という話になる。あの界隈、ベテランというか擦れっ枯らしが独立して、他の中途採用者と集合離散する、みたいな風潮があり、会社としても新卒採用なんぞ社が始まって以来はじめて、みたいなことであったらしい。「新卒の給料」などと云われても見当がつかぬ人ばっかりの集まりだ。
 それで、"なんとなく"20万ということになり、そのまま給料が上がることもないまま実質馘首クビの自主退社、というお定まりのコースとなる。当時でも手取りでいうと16万円はもらっていたと記憶している。

 その後やっていたウェブサイトの制作、というのにも値段をつけねばならなかった。これは無理矢理にでも金額に「根拠」を産まねばならないということを学んだわけで、実際に掛かるであろう作業時間の見積もり×時給1,000円、みたいな。実にシンプルでした。というか、誰も教えてくれなかった。

 編プロにいたころは、出版社から降りてくる予算が110万だとすると、完成に漕ぎ着けたあとで当時の社長が「なんとなく」決めていたので、単行本一冊あたり15万のときもあった。社長から「迷惑かけたなあ」と思われたときにゃ35万のときもあった。

 漫画原作のときは、落語会の裏で音響と出囃子を回していたときは、社会活動的なサイトの運営をやっていたときは――とつらつら考えるに、あんまり「根拠のある」値段のつけかたをされたときのほうが少ないことがわかる。地域寄席のチラシなんぞ考えてごらんなさい。30人のキャパで2,000円の木戸銭を設定して、小屋が半分(30,000円。フルフルで入ればだけど)持っていく。こんな状態から「1万円おくれ」とはどうしても云いにくい。最近はそんな無茶な地域寄席もなくなったんではないかと思いますが。「修行とはいえそんなんぢゃやっていけない」となったのかな。おそらくそうだろうな。そうであったほうがいい。

 なんでこんな話をしているかというと「noteで有料記事を書くとしたら、いくらくらいだったら(自他ともに)許されるのかしら」というところで決めかねておるのです。
 世の中は広くて、タイトルからしか推し量るしか無いようなnote記事に3,000円も10,000円も払うような現象があるのは承知してはおりますが、今ひとつ破廉恥であるという感想が抜けきらない。この「破廉恥」という感情はなにかってぇと、それは筆者おのれの仕事に対する自信のなさか、むしろそうした値段設定にすることを「身の程知らず」と認識してしまうのか、畢竟筆者てめえの勝手には違いないのだが、それにしても、筆者お前の値段がわからない。ただ、無料記事のクオリティを見て、有料記事はこんなもんだろう、みたいな当たりをつけることは可能で、類推するに「この人は500円もの価値のある記事を書けるのか」という値踏みが発生することはままございます。
 ということは、筆者こちらも値踏みされる、ということだ。

 300円かなぁ。500円はどうかなぁ。300円だったら「騙された」と思っても「授業料」で許してもらえるだろーか。
 個人的には500円で買った記事があかんかったら半月は引きずってしまう。700円で漫画の単行本が買えちゃうしな。以下直近で買った本。

 300円だと親元が3割持っていくとして210円。100部売れて(夢まぼろし)21,000円。収入と呼ぶには程遠い。数撃ちゃ塵が積もるかもしれない、みたいな額面。

 300円かなぁ。そんなんい堂々と、もとい、いけしゃあしゃあと1,000円で売れるようなネタなんぞ、本当に存在するのかいな……
 まぁええです。日の良いところを選んで、なんらかしれっと出します。

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ながちろ
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