ASOBIJOSの珍道中㉓:ウォークインドクターへ
”ほっ!うぁっ!なんで逃げるの……。”
とMARCOさん、ソファにちょこんと座って寝ている猫に忍び寄って、強引に抱きかかえようとするも、大慌てで逃げられてしまいます。
私たちが移り住んだユウタとサニー夫妻の家には、茶色い縞(しま)模様の入った猫のパンちゃんと、少し紫がかったグレーの斑(まだら)の、フィギーと呼ばれる猫がいました。”パンちゃん”は、まさにふわっと焼けた食パンみたいな色をしていて、”フィギー”は甘く熟したイチジクの実のような、濃い紫色の毛色で、どちらもやや警戒心の強いメス猫でした。実家に電話をしても、家族よりも愛猫の顔を見たがるほどのMARCOさんは、どっちがなんだったか、ウぅ~ん、と悦(えつ)な声を上げながら、そのふわふわの和毛(にこげ)に鼻をうずめ、フガフガと臭いを嗅いじゃ、嫌がって逃げられるという有様でした…。
”病院に行くなら早めに行って並んだ方がいいよ。”
とユウタが、丸くくびれたガラス製のコーヒーサーバーから湯気を立てながら、言いました。ユウタは、LAで生まれ育った日系アメリカ人で、大学から東京に移って、つい3、4年前まで日本に住んでいたので、日本語が達者です。容姿は背がすらりと高いのですが、両親ともに日本人・日系人ですので、カナダでは私と横に並んで歩いていれば兄弟かと勘違いされるほど、”日本人顔”で、ヒゲを生やしていたり、流暢に英語を話して、スピーカーから流れて来るヒップホップのラップに情感を込めてラップを口ずさむ姿なんかを見なければ、なかなかアメリカの生まれ育ちとは気づかれないほどです。
サニーは少し赤みがかった髪が長い白人女性で、映画『ロスト・イン・トランスレーション』の女優・スカーレット・ヨハンソンのような、しゅっとした顔立ちで、彼女も英語教師として東京に長く住んでいたので、「日本のコンビニが恋しい…」と時々こぼすような女性でした。彼女は日本にいた頃から生け花を嗜(たしな)み続けているので、家のあちこちで出くわす、まるっとしたり、ぷっくりとしたカタチの、小さな砂糖入れや茶飲み、花瓶や植木鉢などで、日々の暮らしを、端整で、慈(いつく)しみのあるものに縁取っているのでした。
さて、ナナイモの大学職員として出勤するユウタの車に乗せてもらって、MARCOさんと病院に向かいました。
”見て見て、なんか汁が出てきた…”と、言いながら喜ぶ、MARCOさんの「喉元のキ〇タマ」を診てもらうためです。
カナダには、”ウォークインドクター(飛び込みで診てくれる医者)”と”ファミリードクター(掛かりつけ専門の医者)”と呼ばれる制度があって、私たちのような町の市民でないものは、まず、ウォークインドクターに診てもらって、必要に応じて専門医や大きな病院へ紹介状を書いてもらうという仕組みになっていました。
この仕組みがまたやっかいでして、そこら中にウォークインクリニックがあるわけでもなく、ナナイモという小さな港町には、一応ダウンタウンと呼ばれる中心街があるのですが、そこには一軒しかないのです。
スーパーマーケットや薬局や日用品店が併設された商業施設のようなところの開店早々、7時半ごろに私たちが到着しますと、既に、このウォークインクリニックの前には診察を希望する患者たちの列ができていました。
車いすに乗った老人、顔色が悪く、マスクをした女性、子供を連れた母親などなど…。
”やっぱりユウタの言う通り、スーパーの開店前に並んどかなあかんかったんかねぇ…”
と、喉元のしこりが赤々と腫れあがったMARCOさんも少し心配げ…。
8時に病院が開くようなので、しばらく並んで待っていますと、続々と私たちの後ろにも列が続いてきました。モントリオールと比較して、ナナイモは人種構成がグッと白人中心になり、町を歩く人の割合もざっくり言って、8割くらいが白人と言ってもいいくらいなのですが、やはりファミリードクターを持たずに、ウォークインクリニックに並ぶ人々にはインド系ですとか、アジア系、ヒスパニック系の人々の姿が多く混じっていました…。
”癌って言われたらどうする~?”
”私の遺産全部あげるわぁ。”
”まじかぁ、一生金に困らんなるやつやん…”
などと、ふざけながら、待っていますと、病院から、マスクをした事務員のような女性が出てきました。"Good morning!"などと、快活に声を掛けながら、列の前にいる人から順番に整理券みたいなものを手渡していって……、はい、はい、はい、2時半に来てね~、などと声を掛けて、診察予約を済ませているようでした。
”こんな朝早く来て、午後に来てって…、激痛とか抱えてる人大変やな…”
と眺めていますと、
”はい、ごめん、今日の診察はここまでです~”
と、特売品のブリでも売り切った魚屋みたいな明るい顔で、にっこりと、高らかに宣言したじゃありませんか!
”えぇ~”っと、声も出ない私たち…。
長い列もぶわぁ~っと散っていく中、私たちのすぐ後ろに並んでいた、髪に赤い花模様のスカーフを掛けたインド系の女性が、
”Wait. please….My baby has a fever….(待ってください、この子、熱があるんです)"
と、焦げ茶色のスカーフに包んで抱えた乳飲み子を見せながら、潤んだ瞳で見上げて懇願しますが、事務職員の女性は、なんとも礼儀正しく、明るく丁寧な英語で断ってしまうと、ため息一つこぼすことなく、スタスタと帰っていくのでした。そうです、自由と責任の国、そりゃあ情けの余地など、ございません…。
”いいねぇ、医者だって定時で帰れるのよ…。充実の社会制度やん…。”
そして、翌日改めて、今度は、商業施設が開く7時前に行って、車いすの人たちと一緒に外で待ち、”冬に風邪引いてこんなことしてたら死ぬで…”などと言いながら、前日よりも前の方に並ぶことで、なんとか、昼過ぎの診察の予約表を勝ち取ったのでした…。まこと、特売のブリを買うより大変な話です…。
近くのファミリーレストランで、エッグベネディクトなんかを食べながら5、6時間つぶして、ようやく医師に診てもらえたMARCOさんでしたが、二、三、会話をして、触診で痛みがないか、などを診てもらい、
”アテローム(粉瘤)じゃないか…”
で、話が済むと、”一応腫れているから…”ということで、抗生物質と抗炎症剤を出されて、それで一週間ほど様子を見てくれとのことでした。
”様子が悪くなったらまた来てくださいね”
と朗らかにマスク越しに笑う、親しみやすい若い男性医師でしたが…、もう二度と来ずに済むことを心底願った私たちでした…。
それから、一万円ほどの支払いを済ませ、私たちが加入していた海外旅行保険へ申請するための手続きや書類などをあれこれと事務員と確認したのですが、”結局こういうの、お金が返ってきたためしがないんよね…”と、こぼすMARCOさん。
社会制度に定評のあるカナダは医療費が無料だとは言いますが、ワーホリで来た私たちは、あくまで旅行者扱いですので、自前で高い海外旅行保険を買う必要があったのです。しかも、大抵、こうした海外旅行保険というのは申請がやっかいで…、問い合わせもなかなか電話もつながらないもので…、MARCOさんも頑張って、あれこれと申請の手続きをしていましたが、結局あれから一年以上経ったいまも返って来ていないんだとか…。保険料、二人で30万近くもしたというのに……。