見出し画像

ASOBIJOSの珍道中①:LAを経由して


 うとうとと、眠れたのか、眠れなかったのだかハッキリとしない時間を過ごして、目を開けると、機内には、辺りの窓から差す、すみれ色の光が充満していました。私は、しばらくぼうっと外を眺めてから、日記帳を取り出し、こう綴りました。

2月15日
機内の窓から望む空がすみれ色に染まっている。上空1万メートルの夜明けだ。こんなにロマンチックに染まり切った空を見たことがない。行き慣れた海外。学生の頃のような英語での暮らし、旅。そういうものは過去のものであって、今、私とMARCOさんの目の前には自分達のこれまでの体験の繰り返しとは全く呼べない日々が待ち受けている。脱したのだ。
思わぬ所で、人生の大部分を当たり前の安定みたいなものによりかかって生きてきた。すっかり田舎者の日本人になってしまっていた自分がいる。しかし、今日からは、また一人の Nobody、真っ白な、肩書きも何もない自分が、生まれ、育っていく。これまで培ってきた、ささやかな両手両足の技能と精神を携えて。真新しい人生の1ページ。こんなに真白に、澄んだ時間が流れてくるとは思いもしなかった。


 こう書き終えるや否や、飛行機は着陸体勢に入りました。すると、隣のMARCOさんは一層固く目を閉じて、身をこわばらせます。そうです、普段は何事にも勝気で、車の運転も自転車の運転も、怖い物なしでびゅんびゅんとぶっ飛ばす彼女ですが、飛行機は大の苦手なのです。
 いよいよ着陸が近づいて、飛行機が大きく左に傾きながら旋回しだすと、もう檻に入れられた猫のようにブルブルと震え上がっています。これは、と思って、腕を強く掴んで、
 ”おぉ、危ない!”
 などと、からかいますと、
 ”ぶっころすぞ、てめぇ!”
 などと言いながらも、その目はもう涙目で、オロオロと、なんとも愛しい有様。
 ”あぁ、もう飛行機なんて二度と乗らねえ”と、いつものセリフを決めながらスタスタと、私たちは成田からモントリオールへと向かう道のりの経由地、LA(ロサンゼルス)に下り立ちました。

 LAには2泊する予定で、事前に予約していたホステルへ向かおうとしましたが、ここでまず一苦労です。空港の到着ロビーで、案内係らしき中年男性を見つけ、滞在先であるベニスビーチへの行き方を尋ねますと、
 ”タクシーは高いからやめたほうがいい。50ドルはくだらない。Uber(ウーバー、個人タクシーを呼ぶアプリ)でも30はかかるね。一番いいのは高級ホテルの送迎バスに乗って、近くまで行ってからタクシーに乗ったらいい。私の息子も高級ホテルで働いているから、大丈夫だ。"
 と。この、最後の一文の意味が全く理解不能で、
 ”送迎バスは、そのホテルの客しか乗れないんじゃないのか?”
 と尋ねますと、
 ”いや、私の息子が働いているから大丈夫だ。もう5、6年は真面目に働いて、立派なやつなんだ。”
 と、、、、。

 さて、気を取り直して、一旦、落ち着いてご飯でも食べようかと空港内を歩き回りました。重たいスーツケースを押して。しかし、その到着ロビーではカフェくらいしか見当たらず、隣のロビーまで歩いてみようか、と、歩き、そこでも食事らしい食事を出している場所が見つからず、またもう一つ、と歩き、歩き、歩き、なんだかんだ1時間以上も迷い猫のようにさまよい疲れ、なんとか一つのピザ屋を見つけ、そこでピザとオレンジジュースを注文して席につきました。
 カードで支払いを済ませようとするMARCOさんが、
 ”あれ、これ何?”
 と言うので、
 ”とりあえず NO にしといたら?”
 と適当に応えますと、どうやらそれはチップだったらしく、それまでとても上機嫌で”コンニチワ〜!”などと、はにかんでいたオールバックの店員さんが、露骨に無愛想になり、一瞬たりとも目を合わせてくれなくました。
 まあ、そんなこんなで、ピザの一枚が19ドル(2500円)もする物価の高さにも驚かされ、10時間以上のフライトで疲れた胃も、ひどく固く脂っこいピザにムカムカさせられ、何もかもがこうも噛み合わないのか…。と、呆れるほどのもどかしさに、"あぁ、いよいよ日本を離れたんだね"、と苦く微笑んだ私たちでした。
 ちなみに、その後、携帯の電波も繋がらないので、しぶしぶ普通のタクシーに乗ったのですが、たったの20ドルでした。
 

本記事執筆時点では、カナダでのワーホリ生活が6週間ほどが過ぎた所です。時間を追って、少しずつ書いていこうと思います。「スキ」ボタンを押していただくと、美味しい料理の写真がでますよ、チャオ!

一空 2023・3・28


いいなと思ったら応援しよう!