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ASOBIJOSの珍道中㉗:初めての給仕を。
”この紅鮭のサーモンバーガーのバンズなしをちょうだい。”
”はい、かしこまりました。サイドは何にしましょうか。サラダかフレンチフライか、本日のスープが選べます。”
”サラダで。”
”何か、お飲み物は?”
”お湯にレモンのスライスを。”
”はい。そちらのお客様はどうしましょう”
”私は鹿肉のソーセージのホーギー(サンドウィッチの一種)を”
”はい。サイドは…。”
”フレンチフライだね。”
”はい、えぇ、ディップのソースが、選べます。黒にんにくのアイオリソース(にんにくを使ったマヨネーズに近いもの)と、スマックのアイオリソースと、キムチのアイオリソースからお選びいただけます。”
”スマックって何?”
私は口を結んでゆっくりと瞬きをしながら頷いて、両手を胸の前で揉みながら、両の掌に汗がびっしりと湧いてくるのを感じました。
”スマックは中東の香辛料でございまして、少し酸味がある赤い粉末状のスパイスになります。”
これを聞くなり、40歳ほどの、黒いブルゾンにジーンズ姿の男性は、怪訝(けげん)な顔付きであごひげに手をやりました。
”サラダの飾り付けやカクテルなんかにもよく使われていますが、それほど香りが強いものでもありませんよ。”
”わかった。じゃあ、それを試してみるよ。”
”かしこまりました。お飲み物は、どうしましょう”
”水で大丈夫。”
”かしこまりました。”
そうして、私は軽く会釈をして、くるりと踵(きびす)を返して、窓際の客席を離れ、キッチンのすぐ前のパントリー(配膳室)に行き、伝票打ち専用のアイパッドを操作して、注文の料理を探しました。
”大丈夫かい。”
と、私の初めてのシフトに一緒に入った、ベンという給仕の男が、気遣ってくれました。彼は私の二つ、三つ歳上の、地元の好青年で、サイドを刈り上げ、ホイップクリームのようにふうわりと前髪を右側に流し浮かべています。
”あぁ、ありがとう。すぐに覚えられると思うよ、これくらい。…ただ、『サーモンバーガーのバンズなし』って、どうやって打ったらいいんだ…?”
彼は、私の首から下がったアイパッドに、そのふうわりとした前髪を寄せるようにしながら覗き込んで、
”あぁ、ここで、サーモンバーガーを選んでおいて、この特記事項ラベルで、『no bun』を付けとけばいいんだよ”
”なるほどね、ありがとう、ありがとう”
というと、彼はその高い背をすっと伸ばして、ニッコリと笑顔を作ると、
”なんでも聞いてよ。ここはチップも均等割りだから、助け合った方がいいしさ。”
”なるほどね。”
”本日のスープの味見はしたかい?”
というと、彼は、キッチンの呼び鈴を勢いよく、ディンッ!と鳴らして、
”Chef! May I? (シェフ、よろしいですか?)”
とマニュアルに書いてあった通りの、呼び出し用のセリフを大声で唱えました。
キッチンからケィティという名前の、先住民系の顔立ちをした大柄な体格で、青いバンダナを頭に巻いた女性が顔を覗かせると、二つの小皿に盛った『本日のスープ』のサンプルを持ってきてくれました。
”キッチンの黒板に本日のスープの詳細が書いてあるから”
と、ベンはパントリーとキッチンを隔てるステンレス製の扉をスニーカーでバーンっと、大袈裟な音を立てて蹴り退け、私をキッチンへと案内しました。
”『二種類の豆のヴィーガンチリスープ』かぁ…。これが一番難しいんだよね。ビーンズチリって田舎くさいだろう?”
それから、店の玄関の方を振り向くと、白髪の老夫婦の二人組が立っていたので、ベンは、駆けるように、前髪をなびかせていきました。
”やぁ、今日は調子はどう?えぇ、えぇ。少し寒くなってきましたねぇ。でもまだまだ、太陽はシャッキリしてますね!お散歩には良い陽気で!”
と、朗らかに両目を開くと、メニューを両手に抱えてお客さんを店内中央のブース席へと案内していきました。
私はその間に、先ほど注文を取ったお客さんのテーブルに、白湯(さゆ)の入ったマグカップにレモンのスライスを添えて持っていき、続いて、黒いナプキンに包(くる)んだフォークとナイフを持っていきながら、彼の会話に耳を立てました。
”はい、はい。あぁ、トフィーノから。ようこそようこそ。そうですね。ここ『TIMES』も二年前から今のオーナーに変わって、メニューも新しくなりました。いまは、ここバンクーバーアイランドの地元の野生肉や野菜を使った料理を出しております。えぇ、以前の『TIMES』からは少し料理も洗練されましてね。と言っても一応、カジュアルな範囲ですが…。えぇ、はい、お酒もありますよ!”
と、ベンは鷺(サギ)の翼みたいに長い腕をぶわあっと伸ばして、バーカウンターの方へお客さんの視線を誘導しました。
”あそこに並んだタップのビールもすべて地元の醸造所のクラフトビールになります。ウィスキーやラムやウォッカもほぼ全て島内の蒸留所から。こちらのドリンクメニューにオリジナルのカクテルも10種類ほどございますから、ぜひ、ご覧になってみてください。はい、本日のスープですか、えぇっと、本日は、インゲン豆とひよこ豆、それに島内の季節の野菜を使ったチリスープでございます。あまり辛くはありませんが、身体もよく温まりますよ”
と、見事なまでにお店のコンセプトを快活に語り尽くすと、それはそれで、お客さんの方もやや尻込みしながらメニューを眺めはじめ、
”メニューがわかんない言葉ばっかりだ。『TIMES』で前は、マッケンチーズ(マカロニ・アンド・チーズ、典型的な北米の家庭料理)を食べたんだよな…。”
と、夫人と目を合わせ、
”そうそう、どこにでもありそうな、ただの、マッケンチーズっ!”
と、恥ずかし気に白い眉毛を上げて、肩を揺らして笑い出してしまうのでした。
ディンッ!っと、キッチンの呼び鈴がなりました。
すかさず、速足で歩いていくと、先ほどの注文の料理がパントリーの棚に上がっていました。
くるりと湯気を描きながら、こんがりと焼き色の付いた鹿肉のソーセージが、カリカリの細長いパンに、紫キャベツのピクルスと仲良さげに挟まって、白い丸皿からはみ出そうに、堂々と横たわっています。その横に、なんら変哲のないフライドポテトが積みあがって、その横に仰々しく、ピンク色の、例のスマックアイオリソースが花咲くように小皿から溢れています。
”これが、ヴェニソン(鹿肉)・ホーギーね。よしよし、ディップのソースも間違いなし…。”
と独りごち…、そうして、その横を見れば、なんとも洒落た姿の、バンズ無しのサーモンバーガーが…。丸くつやつやとしたバターヘッドレタスに包まれた、大きな紅鮭の切り身も、きゅん、っと恥ずかしそうに、その身を縮こめながら、地元のシーアスパラガスという海藻の一種の漬け物と、タラゴンやディルといったハーブを添えられて、赤いパプリカのゼリーとアイオリソースを抱きしめるようにして眠った、そんななんとも、不憫なのかもエレガントなのかも、一体全体よくわからない姿で、プスリと竹串に刺さっているではありませんか……。
”サーモンバーガー、ウィズ、ノーバン。サラダ・オン・ザ・サイド。”
と、それを私は、いかにも、花束でも届けるかのように、掌の上からそっと、お客さんの胸元の前へ差しだし、おっと、どっちが正面かな、っと、一瞬たじろぎながら、お皿を90度ほどひねって、苦し紛れに微笑みました。
何はともあれ、オフィスで働いているらしきこの二人組は、午前中で仕事を上がったという、幸福な金曜日の優雅な午後の時間を楽しんでいるらしく、高いガラス窓の向こうに広がる、街路樹の楓(かえで)が赤と黄緑に交じって秋色づいたY字路を背景に、陽だまりさえ、なにかのハーブの香りを運んでくるような気配をまとって、丁寧にそのサーモンバーガーをフォークとナイフで食べると、ナプキンで口を拭って、
”ありがとう、ダーリン。”
と、50ドルほどの小計に、税金と25%のチップを付けて、合計70ドル(約7千円)ほどをカードでさっと払って、微笑んで帰っていくのでした。