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「若隆景関でした。」

〈まえがき〉
今回は『相撲』がテーマです。とっつきにくそうですが、どうか、どうかご安心ください。専門的な知識、情報は一切必要ありません。
しかし、予めお伝えしなくてはならないのは、今回のエッセイは皆様にとって大変挑戦的(挑発的といっても良いでしょう)な内容になっているという事です。
それでは、覚悟の上ご覧ください。

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最近、大変関心した出来事があった。
それは、今の僕の『情熱』と『畏敬』の源泉である大相撲中継を見ている時に起きた。

お相撲さんというのは、勝ち越しするとアナウンサーからインタビューを受ける事がある。
その時の気持ちや、次の目標なんかを聞かれたり(まぁアナウンサーもお相撲さんも決まりきった事しか言わないので大して面白くもないのだが)する。
さて、今、強いお相撲さんの中に『わかたかかげ』という名の人がいる。
漢字で書くと『若隆景』となるのだが、ぜひ口に出してみて欲しい。
どうだろう、これがなんとも驚くほど言いにくいのだ。

『わか』の後の『たか』に細心の注意を払うまでは良い。しかしその後、不意打ちのように再び『か』が続き、急ハンドルを切るように『げ』に着地。青パジャマも真っ青だ。

カ行というのは、とても尖っていて鋭く、力強く、頼りになるはずだ。それが何てザマだ。
『わかたかかげ』に並ぶ2つの『か』は、トマト1つ切れない、ひどく刃こぼれした包丁のように頼りない。もはや〈ふんわり〉している。

さらに、お相撲さんは関取である事を表すとき、名前の最後に『関(ぜき)』を付ける。彼の場合は『わかたかかげぜき』となってしまう。

僕は“アレ”を思い出す。

韓国かなんかの遊園地にあるアトラクション。浅い、何というか、パイの皿のような形状の乗り物。それがもの凄い速さで回転し、ベルトも何もせずに乗っている人々が、なす術もなく転げ回ってしまう“アレ”だ。
口の中で“アレ”のように言葉がだらしなく散らばっていく。

『若隆景関』。

問題はここから。
彼は今回、勝ち越した。
久しぶりだったので、インタビューの場が設けられた。
アナウンサーがいつものように質問し、彼もいつものように応じる。
面白くもなんとも無い、いつもの光景。

そして…アナウンサーは最後に、こう締めくくった。

『わかたかかげぜきでした。』

僕は聞き流し、立ち止まり、振り返り、想像し、口に出し…その後は身体がガタガタと震え出した。

「言えない…」

そのアナウンサーは、『若隆景関』にあろうことか更に高難易度の『でした』を付け加え、あたかも当たり前のように(いや、当たり前なのだが)スムースに、滑らかに、そして誰でも聞き取れるように(いや、当たり前なのだが)、見事“言ってのけた”のだ。
“言ってのけた”という言葉は本来こういう時には使わないー例えば皆んなが嫌う上司に、ひとりの平社員が「死ねやクソッタレ!」と言った時などに使うーが、文字通りそのアナウンサーは“言ってのけた”のだ。

どの世界においても、プロというのは畏怖の念をもたれるべきだ。誰にも出来ない事をさも当たり前のようにやってのける。それは誰かに感動を与える事もあれば、誰の気にも留まらない事もある。しかし、どの分野にせよプロは、目の当たりにした者が思わず拍手喝采を送るような仕事をしなければならない。
自分にも言い聞かせねばと思った。しかしそんな事僕に出来るのだろうか…
正直自信はない。

さぁ、皆様、挑戦は始まりました。
言ってみるのです。
アナウンサーになったつもりで。
全国放送のインタビューのつもりで。

僕は未だ一度も言えた事がない。

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