【レポート】場の発酵研究所:第1期#07 [ゲスト]吉田田タカシさん
こんにちは、事務局の渡辺(わったん)です。
9月14日(火)は、場の発酵研究所・第7回でした。
第6回までのゲストは事務局が決定していましたが、第7回以降は研究員と共に話し合って決定しました。そうして決定したのが今回のゲスト、吉田田(よしだだ)タカシさん。
本名の「吉田たかし」は全国にたくさんいて、音楽家として作家登録する時にも同姓同名が多かったそう。そこで1910年頃の芸術運動の「ダダイズム」にちなんで、田を一つ増やして「吉田田タカシ」と名乗っているとのこと。「DADAさん、DADAちゃん」と呼ばれているそうなので、本レポートでもDADAさんでいきたいと思います。
第7回ゲスト:吉田田タカシさん
教育者、ミュージシャン、デザイナー、芸術家
1977生まれ兵庫県多可郡出身、奈良県生駒市在住。学生時代にアトリエe.f.t.を創立。その傍ら、大阪歯科大学、京都芸術大学、天理医療大学などの非常勤講師、バンド活動、デザイナーなど活動は多岐。二児の父。
・「つくるを通していきるを学ぶ」学びの場【アトリエe.f.t. 】主宰 (現在は大阪校、生駒校があり約200名のメンバーの学びの場となっている。)
・バンド【DOBERMAN 】ボーカル作詞担当(国内外問わず様々なライブツアーやフジロックなどの大型フェス多数出演。2020年リリース木梨憲武との共作「ホネまでヨロシク」にて作詞を担当。)
・デザイン(紙ものやWEBデザインから住宅、店舗などの空間デザインまで)
・放課後等デイサービス 【bamboo 】を手掛ける株式会社たのしいにいのちがけ 代表取締役(発達障害と呼ばれる子ども達の型破りな才能を見出し伸ばすスクール)
・【まほうのだがしやチロル堂】オーナー (孤独貧困などの問題を解決する事が主な目的。地域でこどもを育てる・見守るコミュニティースペース
趣味は登山、薪割り、発酵、ジビエ、カレーなど
座右の銘は、「たのしいにいのちがけ」
音楽やデザインから教育にいたるまで、幅広く活動されているDADAさん。まずは3つの主な活動を紹介してくださいました。
アトリエe.f.t
「つくるを通していきるを学ぶ」をテーマに、なにかをつくるプロセスの中で生きるためのスキルを学ぶことを大切にしているアートスクール。大阪市と奈良県の生駒市にあり、大学生のころに立ち上げてから20年以上取り組んでいるそうです。
4歳から40代まで 200名のメンバー(生徒)がいるそうです。例えば「分解戦士を作る」というワークショップでは、家電を分解してチームごと戦士をつくります。チームごとに「かっこいい」「かわいい」といったテーマを決めて、それに沿った戦士を作るため、様々な戦士ができあがります。
他にも、いろんな方法で的にボールを当てる「的当て装置バトル」や、「!?をつくろう」ということで子どもたちが建物全部を恐竜のように装飾するといった取り組みなど、プロジェクトは100以上あるそうです。
まほうの駄菓子屋チロル堂
生駒市にオープンされた、まほうの駄菓子屋チロル堂。1日1回、子供だけが100円でガチャガチャを回すことができ、店内通貨「チロル」をゲットします。運がよいと、100円で2チロル、3チロルをゲットできることも。このチロルでお菓子やカレーを食べることができます。
既に子ども食堂などがありますが、それらは貧しい人たち、孤独な人たちを対象にしている印象があるというDADAさん。チロル堂では、子どもたちが自分で手に入れた通貨を使って買い物をするという、誰でも平等に来ることができることを大切にしているそうです。
またチロル堂の奥にはカウンターがあり、食事ができます。夜にはお酒も飲めます。ここで大人たちが支払ったお金の一部が「チロル」にあてられます。「大人が子どもたちに間接的に奢っているような感じ」。これにより、寄付に後ろめたい気持ちを持っていた大人たちも、「ビールを飲むことが寄付になるのか」と気軽に訪れてくれるようになったそうです。
その他にも、震災復興として石巻市狐崎の漁師町に「もう一度海に出る勇気を」と絵を描きにいったプロジェクトや、生駒の山中にある「森の家 MITERI」という、民家の改修を通じて学ぶプロジェクトなど、様々なプロジェクトを紹介してくださいました。
大きな船と小さなたくさんのボート
アイデアなどはまず絵が頭の中に浮かぶ、というDADAさん。いまの社会についてのイメージを表現した絵を共有してくださいました。
DADAさん:
このボロボロの大きな船は、近代社会や国家、会社といった、大きなもの。「みんな乗っているから、みんな船に乗ってる」けど「どこにいくか、どうなってるか知らない」。
コロナや震災を経て「何を信じていいのか。正しさとは?」という疑問があると思います。
自分のサイズ・家族のサイズで、自分の思う目的地に向かってボートに乗るような、大人こそ自分を取り戻す訓練が必要ではないかと思っています。
芸大生でありバンドマンでもあったDADAさんは、安定しない人生に対して腹を括っていたそうです。最初から安定するなんて思っていない。初めて安い軽トラを買ったときには、自分が車を買うなんて夢にも思っていなかったそう。
DADAさん:
やっぱり一般的には、物質的に安定している方が幸せだという気持ちもあると思います。そんな中、一歩を踏み出す勇気を持てない人が多いのかもしれません。
一方で、DADAさんは8ヶ月だけサラリーマンを経験したことがあるそうです。
「サラリーマンにはなりたくない」と就活もしてなかったそうですが、ご縁があって企業のデザイナーとして入ることができました。でも、どれだけ本気で取り組んでも、サラリーマンはできなかったそうです。自分の能力が発揮できない。「なりたくないんじゃなくて、できないんだ」と 腹括って、アトリエの活動を再スタートさせた、という経緯もあるそうです。
DADAさんの問い:大人が正解信仰を捨て自分の答えをつくるには?
DADAさんから、研究所に対する問いが立てられました。「大人が正解信仰を捨て自分の答えをつくるには?」
DADAさん:
正解信仰とは、「答えはこれですよ」という正解が必ずあるという教育のことです。
先生は答えを知っていて、全てに正解があるという錯覚に陥っているのではないでしょうか。これらは無意識にこびりついています。「幸せってなんだろう?」と、考えたこともない人が多いかもしれません。
一方で今は、かなりクリエイティブな教育を受けている子どもたちもいます。40〜50代のアップデートが必要なのかもしれません。どうしたら、おもろくなるのでしょう?
これは、クリエイターである坂本も思い当たるところがあるようです。
坂本:
活動や仕事をしている中で、「ああやっぱりなあ」と思うことが結構あります。自分で考えて答えを出そうとしないので、協働が生まれにくいと感じる瞬間です。
僕がチームの頭となって考えることが多くて、僕以外で頭を使って考えてる人にはなかなか出会わない。そうすると、自分が思っている以上の活動になりづらいのです。
自分が頭となって、周囲が手足となって動いてくれると、自分が実現したいことは効率よく実現されますが、想像以上の変化は起きません。これは非常にまずいというか、もったいないと思っています。
坂本はそんな危機感から、学びの場をたくさんつくっていく必要性を感じ、場の発行研究所に至っています。しかし学びの場づくりという点では、DADAさんは坂本よりもずっと前から取り組まれてきました。
例えばアトリエ e.f.t などは、アートを教育に応用されています。そこで「正解信仰」にならない学びという点では、どんなところを大切にされているのでしょうか。
DADAさん:
感覚的な何かを非言語で共有していくことが大切ではないでしょうか。場を醸す、というのも非言語の部分だと思います。それは感覚的にみんなで手に入れていくしかありません。
ニュアンスの部分で感じ取り、それが形になっていくこと。それが目に見える結果に繋がっていくと、周囲からは「偶然やん」「たまたま成功したのではないか」と言われることがあります。しかしそれはアートと同じで、非言語の部分を少しだけコントロールした結果なのです。全て支配しなければならないというわけではなく、少しだけ。
例えば子どもたちが、ダンボールを水ノリでくっつけようとしたらうまくいかなくて、木工用ボンドのほうがいいとか、時間がない時はガムテープのほうがいいといったことを、トライアンドエラーを通じて感覚的に学んでいきます。
知識や情報ではなくて、「わからない」「じゃあどうするか」ということも含めて感覚ごと学んでいます。これが非認知能力と呼ばれるもので、幸せな状態に近づくものだということがわかってきました。
一方で、非認知能力を育む教育は成果がわかりづらい、とDADAさんは言います。できるだけわかるようにするために、保護者にヒアリングをして子どもたちの変化を探ったり、表にしたりしているそうです。
DADAさん:
例えばボーイスカウトは何を学んでいるんでしょうか。自然からいろんなことを学んでいて、よさそうに見えますよね。
しかしテントの立て方やロープの使い方だけを学んでいるわけではなくて、自然という大きな力を借りながら共同作業を通じて学び取る生き方のようなものは、言語化できるものではないはずです。しかしこうした過程で得た思考力は、生活の中でもすぐに使うことができます。
スマートフォンが発達して、暗記に頼らなくてもいい時代が来ています。暗記に使わなくてよくなった頭の中の容量は、何に使われていくのか。それはクリエイティブなことではないか、と僕は思っています。
アートは手紙のようなもの
話題提供の終わりにDADAさんから、聞かれることが多いという「アートは何をしているのか」という疑問について。
DADAさん:
手紙は言語で書かれているが、アートは非言語の手紙のようなものです。言葉とは、感覚が走っていて、それを追いかけていくものです。例えば誰もカレーを食べたことがない場で、「カレーは辛くてうまいです」と言葉で伝えても、カレーの本当の辛さを知る人はいません。しかし実際に食べてみると、「ああ、この感じを引っくるめて『辛いけどうまい』と言ったのか」と理解できます。
また例えば、同じ絵を見たとしても、急に泣きだす人もいれば、何も感じないという人もいます。言葉は極度に圧縮されたものですが、圧縮できない何かがあり、そんな感覚を手渡すことがアートなんです。
身体の外部から、あるいは内部から情報を受けとる
大人に向けて立てられたDADAさんの問い。研究所には10代から40代以上の参加者がいて、「実はバブル世代も正解がなかったのではないか」という意見や、「最近の子はクリエイティブな教育を受けているといわれているけど、実際に受けた身としてはよくわからない」といった意見もありました。
理学療法士である参加者からは、「人間は主に視覚から情報を得ていると思われがちだが、実際には肌に何かが触れるときなど、固有受容感覚(体性感覚)と呼ばれるものが7割を占めている。この感覚的な部分に訴えかけていくのに、実際はどんな工夫をされているのか」という質問も挙がりました。
「答えにはなっていないけど、最近こんなことを考えているんです。」とDADAさんが話してくださいました。
DADAさん:
デザインやアート活動をやっていて、唯一足りていないと感じるのが、身体からの情報です。
体の外部から受け取る情報のことを考えがちですが、例えば病気などをした時は、自分の体内から教わることがたくさんあると思います。例えば「やる気」についても、ホルモンバランスや紫外線、腸内環境など、いろんなことが影響しているかもしれません。しかし特に若い時は、「やる気が出ない自分が悪い」と思いがち。
そんなことに30代になってから目を向け始めましたが、そこには今までよりも広い地平が広がっている感覚がありました。自分の体から受け取る情報もまさに、非言語的なものだと思っています。
DADAさんの友人に、安藤隆一郎さんという芸術家がいて、体からの情報をアートに置き換えていくという活動をされているそうです。例えば30〜40kgの物を背負って、海岸に並んでみんなで歩いていくというワークショップなど・・・まさに、話を聞くだけでは理解しがたい内容ですね。
http://kyoto-research.com/kameoka2018-ando.html
発起人の藤本からも一言。
藤本:
評価主義や成果主義になっている社会において、その部分をどうずらしていけるかは今後の「社会の発酵」において重要だと思いました。現時点は、世の中的な価値を無視できないフェーズでもある気がするので、バランスを取っていきたいなあと思います。
また、正解というか、自分の過去(成功体験/自分はこうしてきたぞ)に引きずられるところがあるなあと思います。後輩や未来のある若者に対して、自分の成功体験を語るみたいなことがあるし、講座や研修などをするとどうしてもそうなりがちです。
発酵研究所はそういう教える/教えられるという関係性の枠組みを外していく取り組みでもあるなあと感じました。
最後にDADAさんが場の発行研究所について、「感動しています。どうすりゃいいんだろう、を真ん中に置いて話していく。非認知的で数値化できないけど、学び自体が報酬というか、自分の魂が磨かれていく場だと思いました」と言ってくださいました。
藤本が「教える/教えられるという関係性の枠組みを外す」と言っていましたが、研究所ではまさに、ゲスト講師も正解を持っていません。現在進行形の仮説や問いを共有し、正解を求めるわけでもなく、個々人が思考を深めることができる場。研究所はまだ第1期ですが、学びのあり方の輪郭のようなものが見えてきたのかもしれません。