電話帳から考える人脈
昨日の小話で携帯の電話帳を久しぶりに一通り覗いて整理したと言った。若い頃は暇な時間も多かったのか、友人と電話帳の登録数がどれだけいるかとかの話で盛り上がったことを思い出した。多いのを自慢する人もいたし、少ないのを自慢する人もいた。自分の周りは、自分に似た人が集まるのか、八方美人ではないということを言いたいのか、どちらかというと少ないのを自慢する人の方が多かった気がする。本当のところ、自分は多いのを求めていた時と、少ないのを求めていた時と時期によって両方あったというのが正確な捉え方かもしれない。
今は働き世代そして子育て世代でもあるからそんな電話帳の登録数なんてこれっぽっちも気にしたこともないのだが、今振り返ればその若い頃に考えていたことがどういったことだったかというのを考える。
今は電話帳にデータを残しておく基準などないのだが、昨日一度整理してみて出てきた基準が名前を見て顔が出てくるかこないかということだった。想像するとおかしくなるのだが、顔を思い出せないのに電話をかけても誰にしゃべっているのかわからないし、そのデータを残しておいてもしょうがない。それと今は電話帳のデータはCSVデータとして時々バックアップをとっているから、たくさんデータが増えてくると探しにくくなるという意味で、使わないデータは消去している。まさにこの歳になってくると効率性のみが判断基準となりなんともそれも寂しいのだが、電話帳自体の事を考えることがなかったので仕方がない。若い頃に年配のおじさん達が電話帳の登録数がどれだけかとか微塵も気にしていない様子を見せていたのは今となれば頷ける。そんなどうでもいいこと気にしてられないのである。
40歳になり、人生わかってきたつもりにもなりたくないし、わかってきたとも言えないのだが、人脈とはなんなのかということに対する理解は深まってきていると信じたい。人脈は大事であるが、若い頃は人脈というものに敏感で多くいたほうがいいという思考に捉われていたところが強かったというよりそれは社会的動物の人間にとって自然のことであるに違いない。
もちろん、知っている人は多いほうがトラブルも増えることもあるが、うまく関係を捌ききれれば、後のために役立つことも多いとも思う。そして、会ったことがないより会ったことがある方が話が進むのは早いと思う。電話番号や名刺交換は後々のアクセスを容易にするが、電話番号や名刺を交換しただけではあまりそれは意味がないだろう。やはり、相手の心に印象として残し、ある程度信頼をもたらす関係性を少しでも築かせることが大事であると思う。紹介なんかは仲介の人がある程度の信頼を保証するという点で話がスムーズにいくケースが多いように思う。
まぁおそらく、人脈というよりはある物事に一緒に熱中して自然と信頼を築きいつのまにかそういった関係になっていったというのが理想の一つなのだろう。役に立つとか考えるよりは、まずは自分が役に立てる人になる努力を怠らず、まずはGiveだけの姿勢を持ち、目的に向かって一緒に共有する時間を楽しむということ。それで後で期待しない何かいいことがあればそれをただ受け入れる。たまたま電話帳を見ていて、昔の友人を思い出しながら、今までの人生においての思考の変化を感じていた昨日の夜であった。
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