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稀勢の里の姿から考える、スポーツ選手の理想の引き際

横綱稀勢の里が引退しました。左腕の筋断裂という大怪我の影響で、横綱昇進後は36勝36敗98休。「史上最弱の横綱」との悪評はもちろん本人の耳にも届いていたはずですが、それでもなお、土俵に上がり続けました。ファンとしてはこれ以上痛々しい姿は目にしたくなかったので、「やっと引退したか」という感想が大半ではないでしょうか。

引退会見では「一片の悔いなし」と言い切った稀勢の里ですが、これは表面上でしょう。横綱としての地位や名誉がズタボロになっても現役にこだわり続けたのですから、「必ず復活できる」と少なくとも本人は信じていたはず。それが叶わなかったのですから、後悔していないわけがありません。

晩節を汚しまくり、「横綱の権威が失墜した。あり方を見直すべきだ」という論調さえ生み出してしまった稀勢の里ですが、では彼はいつ引退するのが正解だったのでしょうか?

アスリートはどういう引き際が幸せか?

アスリートの引退には大きく分けて3パターンがあると思います。

1つは本人が燃え尽き、完全にやりきり、納得の上で現役生活を終えた選手。最近で言えば吉田沙保里や川口能活。少し前だと浅田真央や松井秀喜、中田英寿なんかが該当するでしょうか。引退会見では晴れやかな表情を浮かべ、ファンに惜しまれつつも第二の人生をスタートさせる選手です。4年に1度の五輪を最大の目標とする選手にとっては、五輪は引退を決断する大きなきっかけとなります。恐らく、来年の東京五輪をもって現役を退くアスリートは続出することでしょう。

2つ目は、故障や不調で思うような結果が残せなくなり、やむを得ず現役を退く選手。今回の稀勢の里もそうですし、おそらく大半のアスリートはこのパターンに該当するでしょう。プロ野球やJリーグを始め、プロ契約を結んでいる選手の多くは「戦力外」等の契約解除で現役引退を強いられます。自分の決断で引き際を決められる選手はごくわずかですから、仮に本人が納得していなくても、自らの意思で現役生活にピリオドを打てるのなら、晩節を汚したとしても、まだ幸せな方なのかもしれません。

そして3つ目が、外部の要因により辞めざるを得なくなった選手。母国の政治的・経済的理由で現役を続けることが困難になるケースは、世界を見渡せば今でも少なくありません。国内では極めて稀ですが、最近では監督就任の為に現役引退を"無理強い"された巨人前監督の高橋由伸が該当します。

アスリートにとって避けては通れない「現役引退」の4文字。誰もが好きで始めた競技ですから、少しでも長く現役生活を続けたいと願うのは当然のこと。高橋由伸の監督就任に伴い、同じく現役引退を"無理強い"された井端弘和はかつて、こんなことを言っていました。

「後悔?そりゃあるよ。来年もやり続けるつもりだったんだから。でも思うんだけど、どういう引き際であれ、アスリートはみんな後悔するでしょ。少しでも長くやりたいのは当然なんだから」

そういう意味では、稀勢の里が会見で述べていたように「一片の悔い」がなく引退する選手なんて、一人もいないのかもしれません。

戦い続けた稀勢の里を讃えたい

少し話が逸れてしまいましたが、では稀勢の里はいつ引退を決めるべきだったのか?もし仮に、奇跡の逆転優勝を果たした2017年春場所直後に故障を理由に引退を決めていたらどうでしょう?

「もし故障がなかったら」「あそこで無理をしていなければ」と「たられば」を条件に、「悲劇の横綱」として後世に語り継がれていたかもしれません。

少なくとも「史上最弱」という不名誉な形で歴史に名を残すことはなかった。だから引き際は早いほうが良かったーー少し乱暴ですが、こんな意見に同調するファンも少なくないはずです。

でも私は、最後まで戦い続けた稀勢の里の判断は正しかったと信じています。

まもなく52歳となる三浦知良は以前、現役にこだわり続ける理由をこう語っていました。

「毎年オフにトレーニングをしていると、自分の年齢を忘れてしまうんです。引退よりも、まだなんとかなる、いけるんじゃないか、そういう気持ちが強くなる。筋力だってまだ上がる。もっと上手くなれる。願っていれば、それがすべて可能になるんじゃないかって、そういう気持ちになるんです」

今なおピッチに立ち続けるレジェンドを見て「晩節を汚すな」「早く引退すべき」と思うファンはいるでしょうか?個人的にはむしろ、何歳になっても、たとえまともに走れなくなっても、このまま永遠にプレーを続けて欲しい。いつまでもカズのプレーを見ていたい。52歳になってもなお、無邪気にボールを追い続けるカズの姿から、勇気を与えられているファンは少なくないからです。

稀勢の里も同じです。確かに見ていて痛々しかったし、もがき続ける姿に胸が痛くなりました。永遠に降格することなく、ひたすら金星を大安売りしてしまう「横綱」が果たして「横綱」であり続けて良いのか、と感じることもありました。

でも、そんな稀勢の里から私はたくさんの「勇気」をもらいました。どれだけ批判を受けても土俵に立ち続ける姿。懸命にリハビリに励む姿。辛かったでしょう。情けなかったでしょう。自分自身が歯がゆくて仕方がなかったでしょう。それでも稀勢の里は、「いつか願いが叶う」と信じてリハビリを続けた。勝ち負けやプライドを超越した、我々には想像できない「何か」を探し続けて、この約2年間、「横綱」であり続けたのです。

恐らくその「何か」は、全盛期で惜しまれつつ引退していたとしたら見つけることはできなかったでしょう。もがき、苦しみ、ついにその「何か」を見つけることができたから、稀勢の里は現役生活にピリオドを打つと決めたのではないでしょうか。

安直な表現になってしまいますが、ファンに「勇気」や「感動」を与えるのがアスリートの本望だとしたら、第72代横綱の稀勢の里寛は、十分にその役目を果たしてくれました。

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