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すべての人が人を支えている。

大事な願いを私も一緒に守らせてほしい

いつも私たちの活動を応援してくださっている風柴さん。
ずっと成し遂げたいことがあったと大事な思いを話してくださいました。

成し遂げたいことがあっても、全てを1人でやろうと思ったらわからないことや不安に思うこともあるかもしれない。
諦めてしまおうと思うこともあるかもしれない。
でも私たちと一緒に活動する中で、自分にも既にできていることがたくさんあるということに気づいてくれたら、思いを実現することにつながるのではないだろうかと思ったのです。
大事な願いを大事にしながら夢を実現していただきたいなと。
なので、その素敵な思いを持ってぜひ私たちの活動に参加してほしいとお願いをしました。

私は最初に活動をはじめた時、何もわからなかったし、不安もありました。でも、活動を続けていると、日々目の前のことに対応することに集中して、自分の志、大切にしたかったことを忘れてしまうことがあります。
風柴さんが自分の思いと向き合い一方踏み出す姿に勇気づけられたし、風柴さんの気付きに触れることは、私にとって自分との対話を深める機会になっていますし、これから歩む道を見直す大事な学びになっています。

長く活動し、いろんな人に「ノウハウを教えて欲しい」と言われることがあります。
苦労したことがあればあるほど、「私が乗り越えてきたストーリー」があるのですが、それは面白い話くらいにしておきたいと思っています。
「こんな風にすれば乗り越えられる」という一見ノウハウに見えることを押し付けてしまうと、「人を支えたいと思い、志しを持つ人の心」を踏みにじってしまうし、本来は自分で体験して気が付いて、その人にしかできないことを成し遂げる必要があって、その道中こそが価値なのに、邪魔してしまうことになるなと思っています。
時に老婆心が顔を見せることもあるのですが、こうして人は老害になってしまうのだろうなと自分に言い聞かせています。

支援者は支援者を最優先すべきなのか

風柴さんは先日シェアディナーにお手伝いに来てくださいました。
風柴さんは先輩に、
「本気で福祉をやりたいなら、自分や家族より支援者を優先する覚悟はあるの?」と聞かれたと話されていました。

私も、この問いについて考えてみました。

私は人を救える、守れる人になりたかった

私は、児童養護施設に勤め始めたころ、自分の事情よりも救うべき人のこととを最優先するべきだと本当に思っていたし、そうせざるを得ない職場環境でした。
今考えるととても持続可能ではないのですが、救うべき人のために自分の人生をかけることが美徳のようになっていました。

先輩に「子どもたちが抱っこしてと言うから抱っこするのではなくて、抱っこさせてと言える大人になってね」と話してくれました。
求められたことに応じるのではなくて、私が子どもたちと共にいさせてほしいと伝えることで初めて充電できるのだと。
私が子どもたちのためにしたいことをするのではなくて、こどもたちがしてほしいことをしよう、と自分に問う日々を過ごしました。

私は、子どもたちはこれまで大変な思いをきてしてきたので、私は子どもたちがどんな状況にあったとしても、私に何をしたとしても、子どもたちがそうせざるを得なかった理由を理解して受け入れたいと思っていました。

でも、子どもたちとトラブルになった日、私がそれを受け入れて子どもたちの元に戻ろうとしたところ、別の先輩が「ここは人間らしい職場だから嫌な事は嫌だと言ってもいいよ。子どもたちのことを受け入れて戻ろうとしなくていいよ。」と言ってくれたのです。
私は心がすごく楽になったし、そう言ってもらって初めて子どもたちのことを受け入れられると感じました。

これまでの私は受け入れたい、受け入れられる自分になりたいと思っていて、受け入れているかのように振る舞っていただけでした。
本当は「自分よりも子どもを最優先して受け入れるべきだ」と言われていること自体に悲しみ、怒りを感じていたのです。
そして、その怒りと悲しみは、「みんなが当たり前にできている。自分ができないのは、自分自身が至らないからだ」という解釈し、自責の念を持っていました。
私は職員として子どもを許すべきだと思っていたし、人として子どもを支えたいと思っていたので、自分が本当に苦しかったり傷ついたことを差し置いて子どもたちのためになすべきことをしなければと本気で思っていたのです。
でも、それは私自身の心身の健康を蝕んでいきましたし、自分では抑えることができないほどの悲しみと怒りを感じるようになりました。

人を支えたいと志し活動する人は、私と同じような経験をしている方も多いかもしれませんね。

自分の声を聴きながら、スタンスを決める。

今は、「自分自身と自分の大事なものや人を大事にすること」が大切だなと思っています。
そして、自分の大事なものよりも、目の前の人を優先する覚悟を持つ必要はないと思っています。

自分自身や大事なものをないがしろにした時、自分自身が「私の本当の気持ちや願いを聞いて欲しい。」と伝えてくれていると感じます。
なので最近は、緊急で対応する必要があるときは
「私はこの人を守りたいと思っていて、こんなことをしなくてはいけない。そうすると結構大変そうだけど、大丈夫そうかしら」と自分に相談するようにしています。
困難な状況に向き合うことに変わりがなくても、
自分の心身を無視して突き合わせるのではなくて、
自分の心身に相談して納得の上で一緒に取り組んでもらえると力が湧いてきます。

それと同時に「私はこんな風にしたいんだけど、一人でやるのは大変そうなので一緒に考えて欲しい」と仲間に伝えるようにしています。
周りの人が知っていてくれる、というだけでも力が湧いてきます。

自分を一人にしない。
自分をやりたいことの駒にしない。
すごく難しいけれど、チャレンジをしています。

守りる人は自分に悲しい言葉をかけている

守りたいものや存在がある事は弱くは無いし、大切なことです。
それを大事にすることは甘えではありませんし、言い訳でもないです。

新しいことにチャレンジしたいと思った時、一方踏み出す不安があるのは、その願いが大切な願いだから。
人を守りたい時、「もっと成長しなければ人を守るに値しない」と思うのは、人を傷つけたくないし大切にしたいと言う強い願いがあるから。

でも、そんな時は私と一緒に
「他の人が自分と同じことを言っていたらなんと言うだろうか。」と考えてみて欲しいのです。
きっと「あなたが生きていてくれることが周りの人を支えているよ。」と伝えるのではないでしょうか。

「こんな自分では人を救えない」と言う言葉。
この悲しい言葉を自分自身が聞いています。
人を救いたいと頑張る人こそ、自分自身を悲しませる言葉を自分にかけているのです。

大事な願いを大切に、を一緒に

1本踏み出すことが怖いと思うことも、
心の準備が必要だと感じたことも、
大切なことに飛び込もうとする時ほど起こることです。
そう思いながら生きているあなたがこの世界にいてくれることに、私は救われる気がしています。

この経験は誰かの歩みを支える力になるし、人の思いを理解する助けになると思います。

風柴さん、今日も素敵な気づきをシェアして下さりありがとうございました。

一緒に生きていきましょう。
自分の世界も大事に。
そして周りの大事な人も大事にしてくださったら嬉しいです。
私もチャレンジしていきたいと思っています。


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