バス

 僕が旅をしていた頃、多くの場合、その移動手段はバスだった。

発展途上国では日本のように電車網が全国に張り巡らされていることは珍しくて、バスは安いし、本数も多いし、一番手軽な移動手段だった。

そんなバスにも色々あって、僕のような旅行者が乗客の大半を占める小綺麗なものから、地元の人たちも日常的な移動に使うであろうローカル感満載のものまで様々だ。

硬くて石のようなシートの時もあるし、柔肌のようにしっとりとしたシートの時もある。

足が90度の角度から動かせないような狭い座席もあれば、シートが180度倒せるような快適な座席もある。

バスの状態や道路のコンディションによって揺れ方も様々で、縦揺れから横揺れまで、色々な揺れ方をするので、同じバスでも、音楽で言えば演歌からHIPHOPぐらいまでの振り幅があると思う。(自分でもこの例えはよくわからない笑)

今、そんなバスでの旅の記憶を脳の片隅からなんとか手繰り寄せながら、この文章を書いているのだけど、僕の場合、車窓からの景色というものが、なかなか思い出せない。

ペルーで車窓から間近に見た茶色と赤の壮大なアンデス山脈や、ネパールの山岳地帯を走っていた時に見た、山の斜面に広がる段々畑が朝露に濡れて、キラキラと輝く様子など、ところどころの素敵な場面はなんとか思い出せるのだけど。

僕はバスの中で何をしていたのだろう。

最長で20時間以上バスに揺られていた時もあったし、その間の睡眠時間を差し引いても、10数時間はバスの中にいたこともあるはずだ。

はっきりとは思い出せないけれど、意識が車窓からの景色、即ち外界ではなく、自分の内面に向いていたのだろうと思う。

旅をしていると、次から次へと新しい土地へ行くのが楽しくて、飽きる暇がないので、常に外界にアンテナが張られているような状態になる。

だから、バス移動での自分を見つめ直す時間は、意外と貴重だったのかもしれない。

といっても、たいしたことは考えていなかったはずだ。だって今は、そのことを思い出そうとしても全く思い出せないんだもの。

書いていたら、なんだかまたバスに乗りたくなってきた。飛行機じゃなくて、バス。電車じゃなくて、バス。

その時、自分は何を考えるのだろう。きっと、たいしたことは考えないと思うけれど。

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