高度成長と戦後
今回巡ったヨーロッパの都市は、その歴史的景観を後世に伝える事に努力しているように思われた。中世からの建造物と街並み。それらを守るための近代的な建物の規制、その高さ制限などだ。しかし、外から見えない内部は近代的にリフォームした建物も多く、その見事な工夫にヨーロッパ人の価値観を感じることができた。
日本では当たり前にある飲み物などの自動販売機も町の通り沿いに見ることはほとんどなかった。木造建築を中心とする日本の街並みはその耐久性ゆえ、ある程度の年月で建て替えられてきたため、近代的な建物との融合も容易だった。そのため、自動販売機も自然に街並みに溶け込んだのだろう。
今回の旅行先でも、ホテルのロビーなど建物の中には自動販売機を置いてある事もあった。しかし、日本で日常使っていたものとは明らかに形態が違っていた。つまり構造システムの古さが目立ち、使いにくいのだ。
使用できるコインが一種類で、箱に釣り銭がテープで貼ってあるタバコの販売機。イタリアのホテル内の飲み物のそれは、故障のためお金を入れなくても飲み物が出てきて、その情報は直ぐにツアー仲間に伝わり、大学生のいたずら心も災いして私も含め、たくさんの宿泊客に恩恵を与えてくれた。
この珍事件などからも、当時の機械文明の発達による日本での便利な暮らしは、ヨーロッパをはるかに超えていて、私は初めて日本を海外から眺め、多分野でのその優位性をある意味では誇りにも感じることができた。
戦後40年近くが過ぎ、私たちの年代は戦争をどこか遠くの出来事として成長してきた。しかし、今回の旅行先もいわゆる西ヨーロッパ諸国であり、西ドイツには行けても、東ドイツには行けず、東ヨーロッパは未知の何か得体の知れない地域だった。また、このころは今と違ってヨーロッパで見かける東洋人旅行者は、ほぼ間違いなく日本人で、中国人、韓国人を見かけるのは本当に稀だった。
ヨーロッパ人にとって当時日本は、地球の裏側にある決して身近な国ではなかっただろう。そんな国から旅行客が大挙して押し寄せるようになった。しかも私たちは若い大学生。どんな思いで私たちを見つめていたのだろう。
旅も後半となり、パリからロンドンに空路で移動した。翌日、ホテルの朝食時、レストランに向かうとツアー仲間の何人かが列を作り、その集団にいつもと違う雰囲気があった。朝食に時間がかかっているというのだ。朝食は円形の大きなカウンターの中央に年配の給仕の女性がいて、入れ替わるカウンターの宿泊客に簡単な朝食をサービスしてくれるというスタイルだった。
しかし、欧米人には素早く準備してくれるのに、私たち日本人は明らかに後回しにされているという。私もカウンターに座り朝食の提供を待ったが、やはりかなり待たされた。後から来た欧米人は食事を済ませ次々に帰っていく。
英語の得意な仲間が、丁寧に給仕の女性に早く提供してくれるように頼んだが、全く無表情で無視されてしまった。欧米人には笑顔を見せてサービスする女性。気分が悪くなり、もう部屋に戻ろうとした時、やっと目の前に朝食が提供された。しかし、彼女と目が合うことはなかった.
後に添乗員が彼女の夫が40年近く前の戦争で亡くなったらしいと教えてくれた。イギリスが主要国となる連合国軍と日本は戦ったのだ。彼女は夫の命を奪ったかもしれない日本に対して嫌悪と怒りを抱えながら生きて来たのだろう。しかも目の前にいるのは、そんな国から呑気に遊びに来ている若者の集団。
私は第二次世界大戦が遠い過去ではなかったことを痛感した。そして、友好的な人ばかりではなく、いろいろな過去や思いを持って日本人を見つめている人がいることを知った。今後、海外では勿論のこと、自身の普段の言動に気をつけていかねばと心に留めた。