いつの間にか「頑張って」しまっていた
人に「頑張ってね」と言うのが嫌いである。
「頑張ってね」と声をかけるのが嫌いだ。「頑張る」という言葉は、自然体ではなく、どこか息をぐっと止めて踏ん張る、ちょっと無理しているような印象を、私に与えるからだ。言わずもがな、「頑張る」を「顔晴る」に変えて相手に押し付けてしまうような、胡散臭さMAXな感じもものすごく苦手だ。
なんでだろう。
恐らく、知人・友人にうつ病を経験した人が多いことが、一つの要因なのではないかと思う。うつ病経験者が口を揃えて言うのは【頑張ってね、という励ましの言葉がプレッシャーになる】ということだった。私は、それを聞いてからというもの、「頑張れ」と励ましのつもりで言ったひと言であっても、相手にとってはものすごく重荷になりかねないということを知った。
「頑張れ」の代わりに何を使うか
じゃあ、代わりにどんな声掛けをするのかと言うと…「楽しんでね」を使うことが多いかもしれない。これも捉えようによっては、価値観の押し付けになりかねないなぁ…と思ってしまうことがある。
だって、楽しくないことだって、世の中にはごまんとあるのだ。それを、楽しんでね」って声掛けしたところで、楽しくなるだろうか。そして、楽しい、楽しくないを決めるのは私じゃなくて、本人なのである。
で、気付いたこと。私もいつの間にか「頑張って」しまっていた
そんなことをつらつらと考えているうちに、実は私も頑張ってしまっていたのではないか、とふと感じた瞬間があった。
ここ最近、暇さえあればずっと仕事のことについて考えている。そして、感染症が落ち着いてからというもの、「誰かに会って話を聞かなきゃ」とスケジュールをパツパツに詰めてしまいがちだった。自分自身の将来の成長や、第二領域につながるだろうと思っていた行動が、自分の余裕をなくし、首を絞めていたのだ。
いつの間にか、息継ぎが少なくなってしまっていた自分に、気付けて良かった11月の終盤。「やることリスト」も大事だが、「やらないことリスト」の方がもっと大事。今月残り10日間は、やることを断捨離して、自分の余裕を生み出していきたい。
皆さんの中にも、いつの間にか「頑張って」しまっている方がいらっしゃるのではないかと思う。日々、精力的にこなすのはもちろん素敵なことだけど、身体や心の声に耳を傾けて、「休息は足りている?」「本当にそれは私がやりたいこと?」と問うてみるのも、よいと思う。
人生は長い。気張らず、楽しめるのが一番である。
次の書籍代に充てさせていただきます。ありがとうございます。