物事には、必ずいくつもの側面がある
この間、とある人から、「一人暮らしはいいよなぁ。だって、給料イコール全部自分のお小遣いでしょ?僕なんか、お小遣い制だぜ」と言われた。まあ、確かにそれは否定できないのだが、このひと言って、状況によっては、かなり人を傷つける危険性をはらんいるのではないか、そう思ったのだ。
物事は、単一の「面」だけでは構成されていない。紙のように、表があれば裏がある。立方体のように、表があれば裏があり、そして上下左右に面がある。「たった一つの見方しかできない」ということはあり得ない。
つまり、何が言いたいかと言うと、先ほどのひと言を、例えばこんなシチュエーションで言われたらどうする?ということだ。
たとえ一人暮らしで、給料=自分のお小遣いであったとしても、
・離れて暮らす親に仕送りしている
・奨学金の返済など、借入金を抱えている
・結婚したいのにできない
・好きで一人で暮らしているわけではない
とか、その人の置かれている状況によって、受け取り方が全く違ってくるはずなのだ。
私の場合は、確かに給料=自分のお小遣い状態に近いが、それでも、自分が好きで独り身を貫いているわけではない。あわよくば、私だって扶養に入りたいよ(入らないけど)
それに、「お小遣い制」という制度の導入に至ったのは、彼の家庭の方針であって、そんなにお小遣いが少ないなら、もっと稼ぎを増やせばいいじゃん、と毒づきたくもなったものだ。(もちろん、私はこんな嫌味を言って帰すわけではなく、「そうですね。ハハハ」と言って終わらせたのだが)
言葉は、一度放ったら、もう戻ってこない。
カジュアルな会話の中に、無意識のうちに、相手を傷つける矢を含ませて放つのはいとも簡単なことである。
言葉を放つ前に、必ず、「このひと言、相手はどう受け止めるだろう」と考えること。おしゃべりな私にとっては、今回の件が、よい反面教師になった。
次の書籍代に充てさせていただきます。ありがとうございます。