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ダメ男に恋をした話 -ヤクルトファンになった私の半生ー

第1 注意事項

本稿は、NPBのプロ野球チームである東京ヤクルトスワローズに恋し、振り回された私の半生を語るものである。

なお私は成人男性である。うら若い女性の恋愛体験記でもなければ、BL話でもない。紛らわしいタイトルによって誤解をさせてしまったのであれば申し訳ない。

また、この記事では、私自身がヤクルトファンでありながら、ヤクルトファンの方を不快にする可能性のある自虐的な表現が出てくる。球団に対して失礼だと思われる方もいるだろう。大変申し訳ないが、そのような表現が許容できない方はお読みいただかない方がいいかもしれない。


この記事を書き始めたのは6月2日。新型コロナウィルスの影響で延期したプロ野球開幕に向けた練習試合として東京ヤクルト対中日の試合がテレビ中継されている。たった今村上がホームランを打ったところだ。14対1でヤクルトが勝っている。やっと野球が見れる喜びと、シーズン始まったらこんなに上手くいかないだろうなという諦観が交錯する感情で筆をとった。


第2 私は恋に落ちた

突然だがあなたは子供の頃戦隊ヒーローのなかで何色のレンジャーが好きだったろうか。情熱的なリーダーの赤?知的でクールな青?ミステリアスな俺様キャラの黒?紅一点のピンク?カレーが好きな黄色?作品によってイメージが統一されていない緑?

私はどのような作品でもクールで知的な青が好きだった。

人は自分と全く違うかまたはよく似た人に惚れやすいという。私は小さな頃ほんの少し人より成績が良かった。そこに自分のアイデンティティを見出していたようにも思う。だからこそ知性で戦う青色に魅力を感じていたのだろう。

私の子供の頃のヤクルトはまさに黄金時代であった。セ・リーグの優勝といえばヤクルトか巨人という時代だった。
当時のヤクルトの代名詞といえば、名将野村克也が提唱したID野球である。膨大なデータを統計的に分析し、他チームが嫌がる野球をするその姿は球界に新しい風を吹かせていた。そして攻守ともに間違いなくヤクルトの柱だったのは野村監督の愛弟子、古田敦也捕手であった。キャッチャーでありながら4番を打つ打力、盗塁阻止率6割を超えたこともある強肩、歴代最高峰のキャッチング能力、キャッチャーでありながら眼鏡をかけている特徴的なルックスなど魅力に溢れていたが、なんといっても「球界の頭脳」、「ヤクルトと戦う際には投手ではなく古田と戦わなければならない」などと称されたほどの高度なリードに私は魅了された。
当時のヤクルトのチームカラーはブルーであったが、知的な野球で強豪チームにのし上がったヤクルトはまさしく戦隊物のブルーだった。私が恋に落ちるのは必然だったのだろう。
ちなみに当時私は東京都渋谷区に住んでいたが、ヤクルトの本拠地神宮球場まで1時間で行けることを知ったのはファンになった後であった。このことからも、ヤクルトファンになったことについて運命を感じたものである。

当時のヤクルトには、古田以外にも、美しいサイドスローから繰り出されるシンカーで試合を締め、オフシーズンにはコスプレして大都会を熱唱する高津臣吾(今のヤクルト監督だ)、投げてはノーコン剛速球、しゃべっては人を食ったような発言を連発しなぜか神田うのと付き合っていた石井一久(いまや楽天のGMだ)、延々とさお竹屋の物まねをしていたホームラン王ホージーなど魅力的な選手が大勢いた。

その後野村監督は勇退したし、選手の入れ替わりもあったが、人柄、実績共に完璧な若松監督のもと、2001年にも日本一に輝き、私は強豪チームのファンであることを満喫していた。

この頃のヤクルトは、いってみればインテリで明るく友達も多い大学生のようなものだ。誰が見ても魅力的だったろう。頭の良い人がタイプだった私は、彼にすっかりメロメロであった。選手が頻繁に怪我をしたり、流出するなど、ん?と思うこともあったが、この頃は気にならなかった。恋する乙女は盲目なのだ。


第3 マンネリ期

2002年からは優勝から遠ざかる。しかしそれなりに幸せだ。Aクラスには定期的に入るし、岩村や石川など新たなスター選手が出てくる。中でも早稲田大学時代から注目し、入団の時点でファンになることを決めた青木宣親が、2年目にとんでもない成績で首位打者、新人王を獲得したときはとても嬉しかった。若松監督のあとは、あの古田がプレイングマネージャーとして監督になった。

黄金期ほどの刺激はないが、楽しいこともたくさんある。頑張っている彼を応援することが、私は幸せだった。


第4 ダメ男であることに気付いた日

そんな恋に溺れていた私にも、あるとき転機が訪れる。2007年だ。

この年は、十分な補強はなく、計算していた戦力も上手く機能せず、けが人も続出し、チームは、私がファンになって以来初めての最下位に沈んだ。
またこの年のオフは、新外国人グライシンガーと、2001年に日本一に貢献し、ペタジーニが退団後、不動の4番として君臨していたラミレスの去就が注目された。真相は定かではない。しかし、私が聞いた話では、フロントはグライシンガーの残留に向けて動き、長年の功労者であったラミレスをないがしろにした。ラミレスはヤクルトへの愛情から、複数年契約であれば年俸はそれほど気にしないとしていたものの、フロントは複数年契約を提示せず、結果ラミレスは巨人に流出した。グライシンガーの残留交渉にも失敗し、同じく巨人に流出した。また、功労者高津に対し、最終戦の翌日に戦力外通告を言い渡し(このせいで、高津はファンの前であいさつをする機会を失い、ファンは激怒。後日当時の球団社長鈴木が謝罪する騒動にまで発展した。)、古田も監督を辞任し、翌年の監督は巨人OBの高田に決まった。

この時私は気付いた。いや、それまで気付かないふりをしていたのだろう。この球団、とんでもないダメ男だと。
それまでも、違和感はあったのだ。当時のヤクルトは、とにかく金払いが悪く、そのせいで選手が大量に流出したり、設備がひどかったりした。球団から選手やファンへのリスペクトを感じなかったのである。この年のオフの対応はそれが如実に表れていた。
というか、そもそも私の前(90年代後半以降)では強豪チーム面をしていたが、野村監督が来るまでのヤクルトはお笑い球団(弱かったがなぜかバラエティ向けの選手がそろっていた)だったのである。90年台以前の平均順位はわりと、というかだいぶひどい。
ついにその本性があらわになった。
私の感情は爆発した。弱いのは仕方がない。でもプレーをするのは選手だし、お金を落とすのはファンだ(もちろんスポンサーが支払っている額は莫大であるが、スポンサーが付くのもファンがいるからである)。そんな、球団を支える根幹である選手・ファンに対するリスペクトに欠ける球団を応援してもつらいだけだ、私はファンをやめるぞと。


インテリ大学生だと思って付き合っていた。大好きだったから欠点は見えなかった。いや、見えないふりをしていたのだ。ほんとは気付いていた。彼は高校時代までイケてなかった。それはまだいい。でも彼は就活をしていなかった。思えばそれまでも何かおかしかった。私は彼に定期的にお金を渡していた。でもそのお金はどこに行ったの?なにに使ったの?私のことどう思ってる?本当に私のこと考えてる?私のこと金づるか何かだと思ってない?尊敬しあえる関係にはなれないの?

もうこれ以上付き合えない。私はヒモ男を養う気はない。

ソフトバンクファンがうらやましかった。ソフトバンクは3高(順位と年俸とフロントのやる気がいずれも高い。)だ。本当のいい男だ。


第5 ダメ男が改心した

しかし、私は彼を見捨てることはできなかった。2008年シーズン初めは試合を見なかったものの、どうしても結果が気になってネットでチェックしていた。ゴールデンウイークの頃には普通にテレビで毎日観戦しながら応援していた。

ダメ男の怖さがここにある。一度どっぷり惚れさせる。あとは適当に放置するが、定期的にちょっと優しさを見せる。ここでいう優しさとは勝ち試合のことである。当時のヤクルトは弱かった。しかしたまに勝つのだ。一度勝たれてしまうと、その後10連敗しても見捨てられない。あの時の感情が忘れられない。きっとこの人はまた私にあの時の喜びを与えてくれる。私が応援してあげなければ。

半ばあきらめながら彼にお金を渡す(ファンクラブに入り球場にいって金を落としグッズを買う)日々。これも一つの幸せなのかもしれない。


でも、あるとき彼に変化が訪れる。2008年オフ、この年FA権を取得した五十嵐亮太に対し、彼は十分と思える金額を提示し、結果五十嵐は残留した。この頃からヤクルト球団の金払いが少しずつ良くなり、選手やファンへのリスペクトも感じられるようになってきた。

ヒモ男がバイトに行き始めたのだ。


第6 ダメ男が成功した

外れ外れ1位指名だった山田がなんかすごい活躍しだした。ライアン小川が16勝して新人王と最多勝を獲得した。バレンティンが60本打った。その間、球団はしっかり年俸を払っている。FAで選手も獲得し始めた。選手が流出しない。つば九郎が全面に押し出され、ファン向けのコンテンツも増えた。

彼は改心したのだ。真面目になった。とても魅力的だ。どうしてこの人を見捨てようと思ったのだろう。彼を見ているのが楽しい。彼も私を見てくれている。

そして運命の時が訪れる。2015年。東京ヤクルトスワローズは2001年以来のリーグ優勝を果たした。功労者の石川や館山も報われた。私は泣いた。ありがとう東京ヤクルトスワローズ。


もうバイトをするヒモ男ではない。立派な社会人になった。これで心配はないだろう。


第7 やっぱり駄目だった

とかいってたら、2年後には記録的な借金を作り最下位に沈んだ。

うん、私はやっぱり欠点に目をつむっていた。やっぱり明らかに怪我が多い。原因の一つは、とにかく戦力が少ないことだろう。他の球団は、育成枠といって、通常雇う選手の他に、いわば練習生のようなものを多数抱えている。単純にいえば、戦力候補や試合を回すための駒が多い。ヤクルトは育成枠を抱えるコストをケチっているのか、これをほとんど抱えないため、選手が休みづらい。そのせいで無理をする選手が出てきて、結果怪我をしている。


彼の本性は変わっていなかった。結局借金まみれのダメ男なのだ。


第8 それでも私はあなたが好き

2019年も最下位だ。オフも、引退した館山を楽天のコーチとして引き抜かれてしまったり、バレンティンが流出したりと、球団の対応には疑問が残る。相変わらず育成枠はほとんど使われていないから、今シーズンも選手が足りなくなるだろう。
確かに球団の姿勢は着実に良くなっている。あの頃とは雲泥の差だ。でも私は疲れた。同じくヤクルトファンの妻に、球団から山田と石川がいなくなったら私もファンを引退すると宣言した。

でも2007年を経た私はもうわかっている。私はこの人を見捨てることはできない。選手が躍動する姿に一喜一憂し、なんかいろいろ歯車がかみ合って優勝したならば、また大粒の涙を流すのだろう。


もう彼なしでは生きられないのだ。私は生涯ヤクルトファンだろう。だからお願い。できる限りでいいから頑張ってね。無理はしなくていいからね。


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