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絶対に叩かれないテーマを考えた ーこれからの「家事」の話をしようー

第1 私は人に講釈を垂れたい

 私の自己顕示欲は人一倍強い。

 また、同様の理由から私は自分の考えや知識について講釈を垂れるのが好きだ。講釈を垂れる職業に就いているわけではないが、縁があってたまにそういう機会をいただく。そういう時は他の全てを差し置いてでも準備をし、喝采を得て静かに心のイチモツをおっ起てているのである。しかしながら、私は極めて常識的な紳士なので、むやみやたらと後輩に講釈を垂れるようなことはしない。あくまでも機会を与えられたときにその欲求を発散させるのみである。

 もっとも、「いやなら見るな」が成り立つインターネット上であれば、別に好きなだけ講釈を垂れてもいいのであろう。小学校からインターネットにどっぷりつかっていたデジタルネイティブな私には、そのような発想は早くからあった。それにもかかわらず、生来の筆無精がたたり、今まであまりウェブ上に自分というものを発信してこなかった。どこか昨今の国民総発信者時代に取り残されている感覚を味わっていた。自分の垂れた講釈がバズる快楽を味わうことは、私の人生における3大やり残しタスクである(あとはクラブで踊りあかすこととシステマを習うことである)。

 そんな中でこのキナリ杯である。大変良い機会をいただいた。これに参加することを機に、気合を入れ、今後は自分というものをウェブ上でも表現していきたいと思っている。自分の思考をさらすことはさながら人前で恥部を丸出しにするようで恥ずかしさもあるが、それによって得られる快感を想像するともう居ても立ってもいられない。

 しかしながら、バズへの道は茨の道であることは当然理解している。私は仕事上、相当多量の文章を書いているものの、その内容は非常にお硬い。昔はクラスのひょうきん者でとおっていた私の文章力もそんな仕事にかまけている間に相当退化してしまったに違いない。今後たくさんの文章を書き、長年の垢を落とすように洗練されたオモロな文章を書く能力を磨いていく必要があるのだろう。そうして初めて、垢が落ちきれいさっぱりとした恥部を皆さんにさらすことができるようになるのだ。この文章はその第一歩である。恥ずかしいがまずはこのまだまだ垢にまみれた恥部を皆さんに見ていただきたい。

第2 現代のネットにおいて凡人が書くべきテーマは何か

 さてキナリ杯の唯一といってもいいルールは面白い文章を書くことである。自由である分、何を書くかが難しい。私が書くべきテーマを決めねばならない。

1 創作物を書くのはどうか

 短編小説などの創作物は早々に選択肢から外した。寝る前のファンタジックな妄想を除き創作などしたことがないし、そもそも私は講釈を垂れたいのである。

2 体験談などを面白おかしく書くのはどうか

 実体験や自らが本当に思ったことを書くのも難しい。幸いにして平々凡々な人生を送っているため、人様に話せる面白な話題がない。それにしつこいようだが私は講釈が垂れたくて仕方がないのだ。

3 趣味の話はどうか

 次に考えられるのは「好きなもの」の話題である。趣味の話について語ったり講釈を垂れたりは鉄板であろう。
 私は多趣味だ。趣味は何と聞かれれば、クライミングやアニメゲーム漫画等と答える。スポーツが好きだがサブカルにも知見の深い気のいいお兄ちゃんのセルフブランディングをするのに余念がない。さらに他の一般的な趣味についても、釣りと電車と相撲以外の話題はなんとなく一通り話せる。趣味の話をするのは大好きだ。
 しかしながら、知識が広い分、とにかく浅いのである。詳しい人とちょっと話していけばボロが出る。

 こんな人間がウェブ上で好きなものについて講釈を垂れることの恐ろしさよ。考えてみてほしい。仕事上で講釈を垂れる機会をいただいた場合、そこにいる聴衆はほとんどが自分よりそのテーマについて知識のない人である。講釈を垂れやすい場面を主催者側がお膳立てしてくれているのである。なんとありがたいことか。それに比べ、ウェブ上には様々な人間がいる。各ジャンルについてめちゃくちゃ詳しい猛者たちが日々ネット上をパトロールして浅い情報をしたり顔でつぶやいてる奴がいないか、間違った情報をつぶやいてる奴がいないか見張っているのである。こんな人に見つかったが最後、底の浅い私などひとたまりもない。盛大にマウントを取られ私の自尊心は傷つき静かに記事を削除することになる。趣味の話をするのは非常に危険だ。

4 法律の話はどうか

 次に考えたのが法律の話である。私は法律で飯を食っている。仮にもプロなのであるから多少講釈を垂れたって許されるのではないか。

 しかし、ちょっと考えてやめた。法律という話題は非常にデリケートなのである。法律学は、万人が納得する正解を出すのが非常に困難な学問でありながら、それに従って人の人生を左右する結論を導く必要がある。一つの論点についてですら、学派、イデオロギー等で考え方が激しく対立し、苛烈な議論に発展することがままある。このさながら宗教戦争のような学問について偉そうに講釈を垂れたならば、ff外(ちなみに私のツイッターのフォロワーは8人でなので近似値全ユーザーがff外である。)の詳しい人から間違いを指摘され、思想の強い人から人格を否定され、私は路上の軍手のようにインターネット上に打ち捨てられてしまうであろう。法律の話は危険極まりない。


 さて、キナリ杯に参加しようと決めたのは随分早かったが、こんなことを考えていたらいつの間にか5月27日だった。


5 テーマを決める秘策 ー絶対に自分が一番詳しい話題を見つけたー

⑴ さじ加減こそが無敵のテーマだ

 そんなこんなで悶々と日々過ごしていたがあるとき天啓が降りてきた。自分より詳しい人からのマウンティングや批判が怖いのであれば、自分が一番詳しいテーマを選べばいいのである。そして私が間違いなく一番詳しいもの、それは「私の中のさじ加減」である。私が万物に対し、「丁度このくらいの塩梅でいいな、十分だな」と思うラインの正解は私のみが決められる。そうと決まったら、何のさじ加減について書こうか。

 私が法律と同じくらい長年親しんでいるもの。それは家事である。私は大学入学のタイミングで一人暮らしを開始したため、それなりに家事歴は長い。
 ただし、当然ながら、料理研究家の人のように立派な料理をしているわけでもないし、松居一代のように凄い棒を開発したわけでもない。普通に考えれば偉そうに講釈を垂れられるものではない。でも、「一人暮らしの家事はこのくらい適当でいいのではないか」という私の中のバランス感覚・さじ加減について、私以上に詳しい人はいない。これについて話そう。

 当然、「そんなものを読んで何の意味がある」と思われるだろう。しかし、例えば初めてするものについて、「どのくらいまで突き詰めてやるのがいいのだろう」と、さじ加減がわからないことは往々にしてあるのではないか。初心者には、他者が当然にしていることをあえて言語化して伝えてほしいと思うときがある。「塩少々ってどれくらいだよ」というのは鉄板のあるあるネタではないか。他者のさじ加減を知りたい人も存在するのだ。するに違いない。私がそのさじ加減を教えてあげる。

⑵ 本当に叩かれる可能性はないのか

 このノートを読み終わった方の一部は、「けしからん。もっと真面目に家事をやれ」と思われるだろう。しかし、このノートはあくまでも、正しい家事の仕方を語るものではなく、私の家事におけるさじ加減を伝えるものである。このノートの正解は私の中にしかない。よって、この批判は当たらない。私の勝ちは揺るがない。

⑶ 小括

 こうして、私はやっと叩かれないテーマを手に入れた。代わりに、対象読者が「家事のさじ加減に悩む一人暮らし初心者向け」という極めて限定的なものになってしまったが、やむを得まい。叩かれるよりはましである。自信を持って書き出したい。この時点で5月28日の夜だ。






 本当はわかっている。心の中の冷静な私が叫んでいる。なんだそのテーマはと。自尊心が傷つくのを恐れすぎて、思考がおかしな方向に行ってしまったのである。テーマを思いついた瞬間、天啓が降りてきた感じがしたのは事実だが、実際はなんだかよくわからない電波を受信してしまったのだろう。文章化する間に冷静になった私にはそれが明らかだった。
 でも仕方がないのだ。私の筆の速度を考慮すればもう書き始めなけば間に合わない。今から他のことを書くにはもう遅いのである。私は小学校時代の夏休みを思い出していた。朝顔の観察日記を書いていたが、8月の中頃には枯れてしまった。でももうどうしようもない。1からやり直す時間はないし面倒くさい。私はその後枯れて風化していく朝顔を毎日絵に描き、9月1日、提出した。後日返却された日記には先生からの「お疲れ様!」というなんともいえない一言が書かれていた。


 人にはダメだと分かっていても進むしかないときがある。負けると分かっていても戦わなければならないときがある。それがいまだ。やるしかない。

第3 一人暮らし初心者に向けた家事のススメーこのくらいやれば十分じゃないかー

 以下では、これから一人暮らしをするが、どの程度家事をやればいいのだろう、大変なのかな、不安だなとお悩みの初心者さんに、一例として私の家事に対する心構えをご紹介したいと思う。きっと、このくらい適当でよいのかと安心されることだろう。

1 家事を分類してみよう

 さてまず家事をそれっぽく分類してみたい。分析的でちょっとnote っぽいだろう。大分類は、ゼロからプラスを生み出す家事(価値を生み出す家事)とマイナスをゼロにする家事(汚れ等によって目減りした価値をもとの状態に戻す家事)である。さらに後者はやらなきゃ社会的に死ぬ家事と死なない家事に分けられる。これに従い分類した図が次のものである。これらについて順番にさじ加減の話をしよう。

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 なお、もしかしたら気付かれた方もいらっしゃるかもしれないが、私はExcelが苦手である。


2 ゼロからプラスを生み出す家事 ー料理ー

⑴ 料理の必要性

 料理は食うものを生み出す家事であり、唯一といっていいプラスを生み出す家事である。だから料理は全くする必要は無い。食費さえ確保できればいくらでも美味しい食事が買える。やる気がなければ自炊はあきらめ、必要最低限の食器だけそろえればいい。
 しかし一方で料理はハマれば楽しいし自分好みの美味いものが家で食えるというのはなかなかオツなものである。興味があれば安い調理器具をホームセンターなどでそろえてみればよい。包丁まな板お玉菜箸中華鍋があればとりあえず何とかなる。

⑵ パスタに関する一考察

 自炊に手を出したいという人は、パスタが安くて手軽でオススメという言葉を耳にしたことがあるのではないだろうか。私個人としては勧めない。料理をしようと思えば後述の洗い物は避けられずこれが結構めんどうくさい。特にめんどうくさいのが鍋フライパン類の処理である。パスタは、正攻法で作ろうと思えばパスタを茹でる鍋とソースを作るフライパンが必要になる。そこまでしてできるものがパスタ1品というのはなんともコスパが悪い気がする。現在ではレンチンでパスタを茹でられる便利な道具や方法もあったりするが、ソースを乳化させるためのゆで汁が確保できないなど決して万能ではない。安いのは間違いないが労力と完成品の満足度のバランスは十分に考えられたい。
 本当に楽をしたければ、レンチンで食べられるご飯や冷凍うどんがオススメである。特に冷凍うどんはレンチンして卵を入れめんつゆをかければそれだけで釜玉うどんになる。アレンジも効きやすく常備しておいて間違いは無い。パックご飯は、レトルトカレーを併せると簡単に一食できるので強い。

3 マイナスをゼロにする家事のうちやらないと死ぬもの

⑴ 洗濯

ア 洗濯の必要性

 洗濯はしないと社会的に死ぬ。毎日洗ってない同じ服を着て許されるのは無人島に漂着した者だけである。ということで洗濯は誰しもが避けて通れない家事である。

イ 洗濯機を買うべきか

 さて一人暮らしを始めるにあたり洗濯機を買うかコインランドリーで済ませるかという選択があるだろうが、私としては洗濯機を買うことをおすすめする。洗濯の頻度及び重要性やコインランドリー代、仕上がりを待つ時間のことを考えれば十分に元は取れる。

ウ 衣類乾燥に対する一考察

 次に、乾燥機をどうするか問題がある。よく、ドラム式(乾燥までできる。)にしたら干す手間がはぶけた、洗濯物を干すという行為にここまで時間が取られていたとは、もう2度と洗濯物は干したくないと言う人がいる。が、一人暮らし初心者の皆さんは気にする必要はない。そもそもドラム式はデカくて高い。別に乾燥機を入れようと思えばさらにスペースを食う。一人暮らしをする段階で購入を検討するものではない。
 また、やってみればわかるが、洗濯物干しはRTA(リアルタイムアタック)のようなものである。とにかくチャートさえ構築してしまえば大した作業ではない。コツは無駄な動きをしないことである。まず、洗濯機及び洗濯ネットから出した洗濯物を洗濯物干しエリアに持っていく。そうしたら、同じ動きで干せるものをできるだけまとめて身につけるんだ。なにをいっているかわからないとおもうが、例えばタオルは全てまず一回肩にかけたらいい。Tシャツは反対の肩にかけよう。靴下とかパンツとか、洗濯バサミに留めて干すものはそれぞれ指の間にでも挟めばいい。そうしたら、それを一気にハンガーや洗濯バサミに干していく。
 こうすることで、いちいち腰をかがめて洗濯物を拾い、体を起こしてハンガーに手を伸ばすという手間が省ける。これだけで30秒は変わってくる。RTAにおける30秒なんて永遠にも等しい価値を持つ時間である。なお、干す時にパンパン叩いてシワを伸ばすなんてことはしなくていい。みんなそんなシワが気になるような服は着ないはずだ。Yシャツは形状記憶のものを買えばいい。無駄なことをすることは無駄である。このようにすれば1回あたり5分と掛からないちょろい家事である。

 洗濯物を畳む必要はない。取り込む際に種類別に分けて、なんとなくわかるようにまとめておけば十分だ。

⑵ 洗い物

 洗い物はしないとどんどんたまって虫とかカビとかがやってきて、周囲に異臭をまき散らし、腐乱死体を隠してるのではと思った近隣住民に通報され、警察が来て下手すれば社会的に死ぬ。特に、近隣住民に対し、「・・・っス」としか挨拶をしていないあなたは、常日頃から何かやらかすのではないかと近所の主婦から噂をされているので、特に気を付けたほうがいい。

 洗い物はとにかくめんどうくさいが、やるしかない。洗い物もRTAだ。まずチャートを構築することが勝利につながる。なるべく無駄な動きが発生しないように、計算をしながら手を動かすことである。まずは流しにおいてある食器を片っ端から食器用洗剤をつけたスポンジでこすっていく。流すのはまとめてでいい。1枚ごとにこすって流してとするとスポンジを置いたり拾い上げたりする無駄な時間が生じる。また、水切りにどのように食器を置くかを考え、そこから逆算して、こすった食器を流し台にどう置くかや、流す順番を考える。当然のことであるが、流し終わった食器を片手で水切りに運んでいる最中、もう片方の手は次の食器を流し始めている。あとは些細なことであるが、食べ終わった食器に水をはっておくと、汚れが落ちやすくなるし、お湯で洗ったほうが油汚れがよく落ちる。

⑶ ごみ捨て

 ごみ捨ても洗い物と同様の理由から、しっかりやらないと通報され社会的に死ぬ。これについては工夫の余地や近道はない。地道にすることが肝心である。ただ誠実に、曜日を把握して忘れないように、遅れないように。これができない人は将来結婚記念日を忘れるタイプだから気を付けたほうがいい。

4 マイナスをゼロにする家事のうちやらなくても死なないもの ー掃除ー

 掃除はやらなくても最悪死なない。よって家事の中では後回しだ。しかし当然ながらするに越したことはない。
 床材次第であるが、掃除機が1台あれば十分だ。フローリングならクイックルワイパーでもなんとかなる。頻度は自由だ。さすがに気になるなって思ったときが吉日だ。
 ルンバは勧めない。ルンバの動線を確保するのはそれなりに手間だ。ルンバは床に十分な空きスペースを確保できるセレブのものだ。
 棚とかのほこりはたまにウエーブでもかけておけばよいだろう。
 ただし当然ながらアレルギーがある人は定期的に掃除をしたほうがいいに決まっている。そこのさじ加減を決めるのはあなただ。

 トイレや風呂の掃除は、ドラッグストアに行けば色々と工夫された商品がある。セットしておけば汚れが付きづらくなったり、こすらずに汚れが落ちたりする。店員さんに聞いてみればよい。頻度はやはり自由だ。気にならないうちはする必要がない。

5 その他電化製品の手入れなど

 電気ポット、加湿器、除湿機など、定期的なお手入れが必要になる電化製品は多い。健康被害につながる恐れもあるから、説明書に従って適切にすべきだ。

 ただこれだけはいっておきたい。加湿器のフィルターなこど、お手入れをすれば長持ちするが、手入れを怠るとワンシーズンしか持たない消耗パーツなどがある。これの手入れはしなくていい。手入れをしようと思うと、クエン酸と洗面器を買ってきて適切な濃度の水溶液を作り、つけ置くなどする必要がある。想像するだけでも鬼めんどくさいのがお分かりだろう。ダメになったら新しいのを買えばいい。金で済むことは金で解決すればいい。
 もっともあくまでもさじ加減の正解は己の中にしかない。最終的にはあなたが決めることだ。さじ加減を決める権を他人に握らせてはならない。冨岡義勇も言っていたではないか。だから、私のさじ加減を真似して何か問題が起きたとしても、私を叩かないで欲しい。それによって生じる不利益を、自己責任の一言で甘受できるものだけが適当に家事をしてもよいのである。


6 育児について

 さて、代表的な家事は以上である。
 最後に、育児について少しだけ書きたい。

 こんな私でも結婚し、先月長男を授かった。縁あって現在育児休業を取得し、日々おむつをかえたりミルクをあげたりしながら育児に邁進している。

 育児はゼロからプラスを生み出す作業だと思う。なんせ、自分のしたことがすべて唯一無二の価値を持つ息子の健やかなる成長につながるのだ。大変尊い。

 ただ、とにかくさじ加減が難しい。助産師さんや先輩パパママには、「育児で完璧を目指すと疲れちゃう。」とアドバイスされるものの、どうしても不安になってしまい、やや過剰気味に世話をしているように思う。そんな風に日々感じながら過ごす中で、ふと家事を完璧にやろうとしてすぐ挫折した一人暮らしを始めたころのことを思い出し、今回のテーマを思いついた次第である(その天啓が誤りであったのは前述のとおりだが。)。
 今後もいろんな人から体験談を聞きながら、育児のちょうどいい塩梅を探っていきたいと思う。でもきっとしばらくは過保護な父親からの脱出は難しいだろうな。
 

第4 最後に

 育児はそういうわけにもいかないが、(少なくとも一人暮らしをする限り)家事はどこまでも自由である。力む必要はなく思うようにすればいい。

 もし、一人暮らしをするが家事をどんな感じでしたらいいかわからないとお思いの読者の方がいて、本稿を読んでこんなに適当でもいいのか、なんとなく安心したと思っていただけたのなら、嬉しい。

 それ以外の読者の方には、物事を過度に恐れすぎるとかえってパフォーマンスを下げ、失敗してしまうという教訓が伝われば、本稿の目的は果たされたといえよう。



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