腹弱が教える本当に気持ちのいいトイレ
1 トイレを作るならプロに聞け
少子高齢化、雇用問題、そして新コロナウイルス。我々は激動の時代に生きることを強いられている。
そのような中で、新たにトイレを作る。そのようなリビングプランをたてる方も多いだろう。しかし、あなたの作るトイレ、本当にそれでいいんですか? 私は問いたい。本当に満足の得られるトイレですか?
確かに自宅のトイレは好きに作ればいい。壁をGBアドバンスのごとくパープルクリアにしようが、便器をゲーミングPCのごとく7色に光らせようが構わない。しかし、店など万人が使用するトイレは最大公約数的な「良きトイレ」を目指してほしいのだ。そして、そのために必要なのはプロの意見をよく聞くことである。何事も素人判断が一番良くない。キュレーションサイトで自分の病状を判断することなどあってはならないのだ。いいから病院に行け。
2 トイレのプロとは誰か
さて、トイレのプロとは誰だろうか。TOTOの人? INAXの人?
いいたいことは分かる。確かに彼らはプロだ。トイレを作ることで金を得ている。それは間違いない。
しかし、彼らですらトイレについて教えを乞うている人々がいる。それは顧客、すなわちトイレユーザーである。そして、その中でも頂点に立つ存在。それが腹弱(ふくじゃく)人間である。人一倍トイレに依存して生きる腹弱こそ、トイレ界のぺルソナ、ターゲットユーザーといっても過言ではない。
そして、私は自他ともに認める腹弱である。以下では、私の思う優先度の順番に、あるべきトイレのファクターというものをお教えしたいと思う。私が提示するファクターがそのまま最大公約数だと主張するつもりはないが、最大公約数を導くための資料として活きることがあれば幸いである。
ネタっぽく書いているが、割とマジの要望である。一説によると、人は、1年のうち80時間以上をトイレで過ごすらしい。総務省統計局によれば、令和2年7月1日現在、日本の人口は概算で1億2596万人。そうすると、日本人全員が、1年間にトイレで過ごす時間を合計すると、100億7680万時間≒4億1987万日≒115万年となる。この計算の意味はよく分からないが、とにかくトイレが豊かになれば日本人の生活も豊かになると思わないだろうか。そんなことない?
3 トイレにおける重要ファクター
3⑴ 第1位 荷物フック
まずこれは基本的には設置されている(ドアを開けた際に壁に当たらないようにするストッパーがそのまま荷物フックになることがほとんどである。)ので、あえて意識しておく必要はないだろう。
ただし、個室のドアが引き戸の場合、これがないパターンがまれにある。特に多目的トイレについてはフックがない方が多いかもしれない。
そしてこれがないと便の難易度が一気に跳ね上がる。リュックならまだよい。背負ったまま、蓋やタンクに干渉しないように前かがみで用を足す姿は進軍中の兵士のようであるが、やむを得ぬ。しかしトートバッグを使っていたり、乃がみの食パンの入った紙袋を持っていたりするともうどうしようもない。遺骨のようにひざ上において用を足すのか? 拭くときはどうする? 私が実際にこれを経験した後に食べたパンの味は、いつもよりほろ苦く思えた。
というかそもそも多目的トイレはおむつ替えとかもするので、荷物フックは絶対にあったほうが良い。
設置されていないと割と致命的であるにもかかわらず失念されやすいものということで、優先順位1位とさせていただいた。
3⑵ 第2位 ウォッシュレット
最近は基本装備のようになっているが、やはり絶対にあったほうが良い。使用しない派も多いとは聞くが、選択肢があるに越したことはない。贅沢とは選択肢が多いことであるとは誰の言葉であったか。
さらに贅沢をいえば、ノズルにカバーがついていたり自動ノズルクリーン機能があればよい。しかし実際の清潔さには直結しない気分の問題であり、マストではない(これは、ノズルは肛門に対し斜めに位置し水を発射する以上、物理的に噴出口にウーコがつくことはないからである。ウォシュレット使わない派の意見として、「噴出口が他人のウーコまみれできたない」というものがあるが、ノズル掃除をしてみるとそうではないことが良くわかる。)。
ウォッシュレットは、アナルが弱い人(女騎士的な意味ではなく、便のキレが悪かったり、痔になりやすい人の意味である。)には必需品だ。というか、拭くだけでウーコがトイレットペーパーにつかなくなる人ってどんなアナルをしてるんですか? 物理的に考えると、ハムスターの水飲み器とか織田の鉄砲隊みたいに、肛門付近のウーコが拭き取られたら、その奥に控えた第二陣が前に出てくるから腸内のウーコが0になるまで付着し続ける気がする。少なくとも私の肛門力では、水で洗わないとどうにもならない。
3⑶ 第3位 除菌用アルコール
個室の壁に設置されている、トイレットペーパーにつけて便座を拭く用の薬剤は欲しい。小汚いおじさんが座った直後の便座に座るのは、気分が良くないからである。
お前も小汚いおじさん側の人間だろうといわれればぐうの音も出ないし、そもそも便座に接触しているのはせいぜいがフトモモや尻周りなど、排せつ物がつくような場所ではないのだから、そんなこと気にするなといわれれば確かにそうだねと思ってしまう。
この感情の根底にあるのは、物理的な不浄ではなく観念的な不浄を問題にする「穢れ」の思想かもしれない。
かつてはそんな考察をしつつ、消毒の必要性について自問自答したものであるが、コロナの脅威が叫ばれる昨今ではやはり肌が触れるものは消毒できた方が良いだろう。
3⑷ 第4位 水洗レバー
水を流す方法は自動、ボタンなど色々あるがとにかくこれは辞めていただきたい。
理由はいわなくてもわかるだろう?
ネットワークにおけるセキュリティレベルは、その集団の中でもっとも意識が低い者の水準に固定されるという。つまり、99人が真面目にセキュリティポリシーを守っていたとしても、1人が不注意であればそこから侵入され、一度侵入されればバックドアなどによって情報が筒抜けになってしまうということである。
このレバーもそうである。99人が手で押していたとしても、1人が足で押せば汚れてしまうのだ。そのため、本当は手で押したい人も疑心暗鬼になり、足で踏む。そうやって足で踏む人が増えていく。思考の悪循環が続く。簡単なゲーム理論、レベル1のライアーゲームだ。水洗トイレのジレンマと名付けよう。
そのような状況を避けるためにも、このレバーだけはやめてほしい。これでなければ何でもいい。
3⑸ 第5位 トイレの数
トイレの数はスペースとか予算によって決まるので、いってもどうにもならないことは承知している。しかしあえていいたい。個室は複数ほしい。これはもちろんウーコが聴牌している状況で、1個しかない個室が埋まっているとそれはもう大変ということもあるが、それだけではない。
実は、軟便気味の人も便秘気味の人も原因は同じ、腸内フローラ(要するに腸内環境)が悪いことであるといわれている。すなわち、軟便気味の人は同時に、思うようにウーコがなかなか出ずに苦しむこともあるということだ。
これを読んでいる腹弱の方、あなたにも覚えがあるのではないだろうか。腸内で火事が起き、トイレに駆け込み便座に座る。第一陣は勢いよく出たが、まだ中に子供が残っているようだ。しかしそれがなかなか出ず、困ったという状況を。
家のトイレであればゆっくりウーコと対話し、出てくるまで粘るのか、残便感を抱えたまま退室するのかを判断したらいい。しかしこれが個室が1個しかないトイレで発生すると困ってしまう。もしかしたら外に腹弱の同志が待っているんじゃないか。そう思うとおちおちウーコとの対話もできない。早く出てあげなきゃと焦ってしまう。なお私は、外に待っている人がいる気がして残便感を抱えながらも個室から出たところ誰もいなかったので、出戻りしてウーコとのソクラテスメソッドを再開するということがよくある。
しかし個室が複数あればそのような心配もなくなる。私が多少長めに対話をしたとしても隣りの個室がロットを守っていればそう長い待ち時間は発生しないだろう。そういう安心が人の心を豊かにする。
3⑹ 第6位 手洗い場には紙が欲しい
エアータオルの無意味さは今までも散々擦られ続けてきたが、昨今感染症対策のために、エアータオルを設置していたトイレにおいても、これを使用禁止にした上でペーパータオルを設置しているところが多い。なので今更特にいうこともないだろう。ペーパータオルで拭くのが当たり前だが一番乾く。
第4 終わりに
私は、日頃から行動範囲の使用可能なトイレを頭に入れた上で、設備によって優劣を付け、急な便意の際にはその激しさ、トイレの優劣及び距離をもとに向かうべきトイレを決めている。しかし世の中のトイレがもっと良くなれば、そのような必要もない。ただ自然に、近くのトイレに行けばよい。
私は常人の3倍はトイレで過ごしている気がする。これを先ほどのデータに当てはめると、人生のうち約2年をトイレ内で過ごす計算になる。なんだか悲しくなってきた。
願わくば私の人生、そして全ての腹弱民の人生がより豊かになるよう祈りを込めて。
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