視野・思考範囲の狭さ
最近、自分が読んでいる本がまるで一般的なベストセラー本を読んでいるにすぎないのかとふと思ってしまったのですが、もちろんそうじゃないんですよね。
私は自営の裏方業務をしているので、現在ほぼ自宅で1人で作業をしています。もくもくグループで午前中はいろんな方と時間共有しながら作業をしてはいますが、勝間さんの塾やコーチングプレイス以外の方との交流はあまりありません。
いま私の周りにいる人達はほぼほぼ「勉強熱心」で「自己基盤を確立」している或いはしようとしている、「情報に対して敏感」で「謙虚」で「人を貶めない」人達ばかり。
「傾聴」を心がけ、ひとの意見を「尊重」できる人達ばかり。
その中にいると世の中全体がそうなんじゃないかって錯覚を起こしてしまいます。
いやいや、違うから。
ついつい私たち(いや、私だけかも!)は、自分のいる世界、自分から見えている世界だけが世界のような井の中の蛙的感覚に陥りがちです。
それは例えば、馬に夢中で、朝7時から馬に乗って、8時半に下りて、世話してから仕事に行くような日々を送っていた頃、当然のごとく、馬に乗っている人達の世界が普通に思えてきて、思考と感覚がゆがんでいたことと同じですね。
その中で日々をすごしていると、落馬して蹴られて救急車で運ばれたとか、馬に暴走されて落ちて車いすになっちゃたとか、知ってる人が寒い朝に馬運動してて心臓の大動脈破裂で亡くなったとか聞いても、ああそうなんだみたいなおかしな感覚だったわけです。
自分自身も落馬はするし、馬に跳ねられて暴走されたり立ち上がられたりするし、怪我をしないのは運がいいだけなんだろうとか達観(?)してるわけです。
でも、今改めてその世界から退いてみると、なんと大胆不敵というか、命知らずというか、自分でも本当に驚くばかりです。決して馬乗りの世界が普通ではないし、むしろ変な世界ということに気付くわけです。
話を本に戻します。
もちろん勝間さんの紹介される本を徹底的に読んでいたり、コーチングプレイスでこんな本を読んだとか聞けばそれを読んでみたり、さらに自分でももっと知りたくなって関連書籍を読んでみたりしているので、いま周りにいる人達が自分が読んでいる本を全て読んでいると知っても驚くことでは全くないわけです。
年間最低でも100冊は読もうよという人達の中に身を置いているわけなので当然なんですが、こんなに本を読んでるんだけど、なんとなく世の中に追いついていないといった錯覚を感じてしまったので書いておこうと思いました。
自分の視野と思考範囲が狭まっている。
世界を拡げよう、知見を拡げようと思ってしているはずなのに、当たり前の間隔が狭まっているな、と思いました。
ちょっと外の世界との接点も持たないといけないかもしれないな、とも思いました。自分の立ち位置が見えなくなってしまう感じがして。
ま、どこにいようと自分は自分なので、言葉で書くほどに危機感もなにもないんですけど。
「世界」「世界」と世界にこだわっている自分にも気がつきました。枠を作っている、枠に収まりたいのは自分の思考のクセかな?
いずれにしても、アウトプットの場を内向きばかりではなく、外にも向けてみることも必要なのかもしれないなって思ったので、自分に対しての記憶のためにここに書いておこうと思いました。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
メリークリスマス!よい1日を!!