小説『ダンジョン大国 日本 〜引きニートの俺は部屋を出て危険なダンジョンを攻略する〜 』
【あらすじ】
ある日、日本中にダンジョンが発生した。
悪質なトラップがダンジョンへの侵入を阻み、数多のモンスターが徘徊する。
ダンジョンでは少なくない数の命が散った。
そんなダンジョンの発生にある者は喜び、ある者は驚き戸惑い、そしてほとんどの者は何もしなかった。
何がダンジョンだと。
普通に日常生活を送れるじゃないかと。
だが、一部の者は立ち上がった。
ダンジョン攻略の先駆けとなる者がいた。
共通点があればと自身が体験したダンジョンの情報をネットにアップする者がいた。
動画を配信する者がいた。
たがいに励ましあって攻略する者たちがいた。
誰に求められなくとも、理解されなくとも、彼らは立ち上がった。
これは、ダンジョン攻略を目指して戦う、勇者の物語である。
「余裕だろこんなの! お前らどんだけ引きこもってんだよ!」
※「小説家になろう」に投稿していた短編の改稿版です
=== 開幕 ===
ある日、日本中にダンジョンが発生した。
悪質なトラップがダンジョンへの侵入を阻み、数多のモンスターが徘徊する。
ダンジョンでは少なくない数の命が散った。
そんなダンジョンの発生にある者は喜び、ある者は驚き戸惑い、そしてほとんどの者は何もしなかった。
何がダンジョンだと。
普通に日常生活を送れるじゃないかと。
だが。
一部の者は、立ち上がった。
ダンジョン攻略の先駆けとなる者がいた。
共通点があればと、自身が体験したダンジョンの情報をネットにアップする者がいた。
動画を配信する者がいた。
たがいに励ましあって攻略する者たちがいた。
誰に求められなくとも、理解されなくとも、彼らは立ち上がった。
これは、ダンジョン攻略を目指して戦う、勇者の物語である。
=== 拠点 ===
「ははっ、ダンジョン。ここがダンジョンか」
薄暗い部屋で、パソコンに向かって毒づく一人の男。
着古したスウェット、無精ひげに伸びっぱなしのボサ髮で、ぽりぽりと首をかく。
少しだけ口の端が上がってるのは、男なりに笑っているのだろう。
乾いた笑い声をあげて、男はイスを半回転させた。
扉を見つめる。
「ってことはこれがダンジョンのゲートか。ずいぶんしょぼい入り口で」
木目調の安っぽい扉は、いつもと変わらずそこにある。
両親が寝静まった深夜に、こそこそ隠れ出る時だけ使う、扉が。
「ダンジョン、ダンジョンか。んじゃアイツらはモンスターだと。ははっ」
笑ってるのにほとんど表情が変わらなくなったのはいつからか。
コダマ カズヤ、24歳。
およそ3年、安全な拠点で生活してきた男である。
カズヤはじっと、部屋の扉を見つめた。
安全な拠点から、危険なダンジョンの入り口を。
実家の二階の自室から、廊下に繋がる普通のドアを。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
ある男が一本の動画をライブ配信した。
「ここが、引きこもりでニート、『引きニート』の俺の部屋。俺の生活スペースでーす」
きっかけは視聴者の何気ないコメントだった。
Ineetyou:なんで部屋から出ないの?
男の答えはこうだ。
「部屋の外は危ないし怖いしモンスターがいるからな。ダンジョンみたいに!」
普段はほとんど視聴者数がいない、馴染みの顔ぶれだらけの配信ライブはなぜか盛り上がった。
コメントが続々と寄せられ、男は悪ノリしていく。
BT15:んじゃそこはダンジョンのある街? 迷宮都市?
「そこは拠点ってことで」
RyoSuke0805:扉の外が一階層で地下に潜ってくタイプのダンジョンか
Gokua:うち平屋だ
Shimoyamaaaa:つまりオカンがモンスター!
XXXXXX:草生える
Ineetyou:初期モンスターなのに強すぎませんかねえ
もはや配信者の男は関係なく、コメント同士のコミュニケーションさえはじまる。
R_Skywalker03:お前らダンジョンを舐めてるな? もうひとつの扉の先、三階層からがダンジョンの本番なんだぞ?
BT15:行動パターンが読めないモンスターとの遭遇!
Shimoyamaaaa:待て待て待て、フィールド型にしてもダンジョン広すぎない? 一番奥ってどこ?
CoooooL:会社
XXXXXX:なにそれこわい
hatarakitakunaiMAN:ぜってえたどり着けねえ。四天王と対面して倒さなきゃいけないんだろ?
CoooooL:じゃあコンビニ
zawatake:ハードル下がりすぎィ!
Daisu765:モンスターがいてトラップがあって。たしかにダンジョンみたいなもんか
「よし、俺ダンジョン行ってくる」
XXXXXX:バカだバカがいる
R_Skywalker03:おい待て、そんな装備で大丈夫か?
けっきょく、引きニートの男は台所にたどり着いたものの、家の外には出られなかった。
けれど。
「5年ぶりに一階に下りた……」
BT15:うおおおお! 勇者だ! 勇者がいる!
CoooooL:ダンジョンを攻略する。まさに勇者
RyoSuke0805:……俺も出てみようかな
hatarakitakunaiMAN:続け勇者よ! 俺は出るぞ!
Daisu765:働けおまえら
深夜の謎テンションである。
動画サイトやライブ配信、SNSに匿名掲示板。
ネット界隈において何が盛り上がるかなど誰にもわからない。
過去、掲示板では「視聴したスレ住人の知能が下がってる」と言われたアニメが爆発的なヒットを見せ、「妻に『愛してる』と言ってみるスレ」はもはや定番となり、はるか昔には「電車男」が一大ブームになった。
SNSや動画投稿サイトでは今日も謎のコンテンツがバズり、話題になることを狙ったものはたいてい失敗している。
ともあれ「引きニートにとって外はダンジョンだ」というネタは盛り上がり、整理され、ルールが決まり、報告や相談用のサイトさえ作られた。
以下は、部屋の外をダンジョンに見立てた設定とルールの一部である。
・ダンジョン攻略動画のアップロード、ライブ配信は必須ではない
・部屋を拠点として、扉の向こうをダンジョン第一階層とする
・家の二階に部屋がある場合、一階がダンジョン第二階層とする
・マンション、平屋の場合は階数に応じる
・つまり、ダンジョンは無数に存在して形は一定ではない
・各ダンジョンやモンスターの情報を書き込む場合はサイト内の専スレで
・ダンジョン攻略に挑む者を勇者と呼ぶ
・ダンジョンの最深部はファミリー○ートとする
・ダンジョンマスターに金銭を渡し、ファ○マで秘宝を得て帰還した者を「真の勇者」と讃える
・最深部に挑む勇者に入手すべき秘宝は示されるが、最深部の中の情報は一切明かさないこととする
勇者が軽い。
軽いが、ガチの引きニートにとって、コンビニに行って帰ってくるのは難題なのだ。
真の勇者が讃えられるのは当然のことである。喝采せよ。
ちなみに、最深部がセブ○イレブンではなくファミ○になったのは店舗数が理由だった。
業界第一位の店舗数を誇るセ○ンは、そこそこ近くにあるゆえに。
別にファ○マにダンジョンマスターはいない。いないよね? マクドナ○ドには魔王がいるかもしれない。
とにかく。
こうして、ある日、日本中にダンジョンが発生した。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
「余裕だろこんなの! お前らどんだけ引きこもってんだよ!」
急浮上した動画に気付いてチェックするカズヤ。
さっそく作られたサイトで設定とルールを確認したところで、カズヤがパソコンに突っ込んだ。
勢いのまま、専用サイトに用意された掲示板に書き込む。
“俺ちょっとダンジョン攻略してくるわ。ここでライブ配信しまーす。https://www.〜〜〜:”
そう、カズヤは自分のチャンネルを持つ零細ゲーム実況者だったのだ。
すぐに、掲示板が新たな書き込みで埋まる。
名無しの勇者:おめでとう! これで今日から君も勇者だ!
雪国勇者:危険なダンジョン攻略への挑戦をあっさり決意するとはさすが勇者!
かませ勇者A:おいおいおい、こんなひょろっちいヤツが勇者かよ
かませ勇者B:なあ新人勇者よォ、センパイ勇者にはおごるもんだよなァ?
冷やかし勇者:テンプレおつ
真の勇者08:かませ勇者には反撃していいぞ新人勇者
自宅警備員X:そっちのダンジョンはどんな感じ?
ベテラン勇者LV.1:いいか新人、自分を過信するな。ダンジョンじゃ調子に乗ったヤツから死んでいくからな
(自称)陽キャ勇者:死なないけどね! 死なないよね?
勇者が軽い。
あとロールプレイがノリノリすぎる。
“続きはライブ配信でよろしくー”
最後に書き込んで、カズヤはイスから立ち上がった。
デスクにあったミニ三脚を手にしてスマホをセットする。
「んじゃ軽くファーストアタックしてきまーす」
手慣れた手つきで配信をはじめて、(カズヤ的には)いつもの挨拶をする。
チラッと見えた視聴者数は、すでに過去の自己最高記録を塗り替えた。
上機嫌でくるっとターンしてダンジョンの入り口に向かう。
光を飲み込む暗闇がぽっかりと口を開けているわけでもなく、見張りの兵士が守るゲートがあるわけでもなく、門に『いっさいの希望を捨てよ』と書かれているわけでもなく。
いつもと変わらない、木目調の安っぽい扉がそこにある。
「さて、ここからダンジョン攻略スタートです!」
引きニートといっても、カズヤが部屋の外に出ることはある。
同じ家で暮らす両親が寝静まった深夜に。
だからこれは、いつもと変わらない行動のはずだ。
ダンジョン第二階層——実家の一階までならば。
「ダンジョンか。そういえば俺、いつから家の外に出てないんだろ」
押し下げるタイプのドアレバーに手をかけて、カズヤがポツリと呟いた。
さっきまでの勢いはどこにいったのか、声は小さく震えている。
一度目を閉じて。
伸び続ける視聴者数に背中を押されて。
カズヤはガチャリと扉を開けた。
入り口を潜って足を踏み出す。
ダンジョン第一階層へ。
つまり実家の二階の廊下へ。
新たな勇者の、ダンジョン攻略がはじまった。
ちなみに、カズヤが大学入学後に溶け込めず中退してニートになってから、およそ5年が経つ。
最後に家の外に出たのは約3年前のことだ。
引きニートだが10年は引きニートしていない。
ただ、「お前らどんだけ引きこもってんだよ」と突っ込める立場ではないだろう。カズヤに自覚はない。
=== ダンジョン第一階層 ===
ダンジョン第一階層は薄暗い。
壁にある小さな窓からほのかに明かりが差し込んでいる。
さらに、第二階層に降りる階段の横に足元を照らす光があった。
カズヤが第一階層の通路に足を踏み出すと、木の床がギシッと鳴る。
勇者カズヤが攻略に挑むダンジョンは家屋型であるらしい。
実家なので。木の床、というか単なるフローリングだ。階段の足元灯は便利ですね。
「ダンジョン、ダンジョンね。ははっ」
家族が寝静まった深夜、カズヤが部屋を出るのはいつものことだ。
食料の確保、トイレ、シャワー、ゴミ出し。
ワンルームじゃない以上、部屋から出ないとできないことは多い。
ライブ配信中にもかかわらず、カズヤに説明セリフはない。
薄暗いダンジョンで大きな音を出せば、モンスターが聞きつけて出てくるかもしれない。ダンジョンの攻略には隠密性が求められるのだ。
「第一階層も第二階層も、モンスターがうろつく気配はなしっと」
それでもぼそぼそと視聴者に向けて呟きながら、カズヤは足音を殺して通路を歩く。
モンスターを警戒しながら忍び足で進み、やがてひとつの小部屋の前に立った。
「カギは開いてる。明かりもついてない。罠はないってことか」
右手でドアレバーを下げて木の扉を引き開ける。
左手で壁面の仕掛けを押す。
小部屋はまばゆいほどの光で満たされた。
「まあ最初に用を足しておかないとな。なんだろ、いつものことなのに気分が違う」
小部屋に入って、カズヤは白い陶製のイスに座った。
トイレである。ちゃんとスウェットもパンツも下ろしている。スマホは外に置いてきた。
「はあ、やっぱり深夜は落ち着く。昼間だとモンスターが徘徊してるからなあ」
カズヤが攻略に挑むダンジョンは、第一階層からモンスターが出現するらしい。
母親である。モンスターて。
「よし。んじゃ下に潜るか。第一階層から第二階層へ」
カズヤの言葉は水音とともに流れていった。
勇者カズヤのダンジョン攻略は続く。
=== ダンジョン第二階層 ===
カズヤはそろりそろりと第二階層に繋がる階段を降りていく。
行く手は暗い。
端に足を置いても、木の床は時おりギシッと軋んでそのたびに肩をすくめる。
かなりの時間をかけて、ついにカズヤはダンジョン第二階層に降り立った。
ダンジョン第二階層に降りてすぐに、頑丈な鉄扉が目に入る。
ダンジョン第三階層への入り口は、侵入を拒むがごとく二重三重に施錠されていた。
玄関なので。チェーンもかかっている。内側から。
いまは用はないとばかりに、カズヤは鉄扉をちらっと見ただけで進む方向を変えた。
名無しの勇者:いま三階層への扉あっただろ!
冷やかし勇者:スルーかよ
真の勇者08:仕方ない。いきなりは危険すぎる
自宅警備員X:ファーストアタックはまず様子見から。勇者の鉄則だよね
ベテラン勇者LV.1:無理すると続かないからな
視聴者のコメントをスルーしたカズヤは階段の登り口をまわって、鉄扉を背にして通路を進む。
乾いたくちびるをぺろりと湿らせる。
ダンジョン第二階層、カズヤが無視した小部屋には二体のモンスターが眠っている。
これまでよりいっそう慎重に、音を立てないように行動するのは当然だろう。
物音で目覚めて不意に遭遇したら命が危ない。危なくない。メンタルは危ない。
息が詰まる時間が過ぎて、ダンジョン第二階層の深部が見えてきた。
開いたままの入り口をするりと抜ける。
内側から扉を閉める。
小部屋の扉がすべて閉まっていることを確認すると、カズヤは手を伸ばして壁の仕掛けを押した。
部屋の半分が明かりに照らされて、一部の金属が光を反射する。
明るくなったダンジョン第二階層の小部屋で、カズヤはふうっと安堵の息を漏らした。
必ずしも安全というわけではないが、ひとまずの安全は確保できたようだ。
だが。
モンスターは、勇者が油断した瞬間に襲いかかってくるものだ。
勇者カズヤと、カズヤが攻略するダンジョンに生息するモンスターも例外ではなかった。
カズヤの気配を感じたのか、あるいはその鋭敏な耳で物音を聞きつけたのか、単純に明かりに反応したのか、それとも優れた嗅覚で嗅ぎつけたのか。
カズヤがカチャカチャというわずかな爪音に気付いた時にはもう遅い。
「うわっ!」
モンスターは、二本の前脚でカズヤの腰あたりを素早くホールドした。
後脚で立ち上がって、鋭い牙をカズヤに近づける。
ハッハッハッと荒い息で、ベロンと舌を出して。
黒い瞳で、もう逃がさない、とばかりにじっとカズヤを見つめる。
立ち上がらなければ体高は1メートル弱。
嗅覚・聴覚で勇者を見つけ出し、灰と銀の毛並みで誘惑する、鋭い爪と牙を持ったモンスター。
シベリアンハスキーである。
「あー、びっくりした」
モンスターに襲われたにもかかわらず、カズヤは冷静だった。
そういえばひさしぶりだな、などと言いながら、恐れずモンスターの顔に手を近づける。
頭を撫でる。
顔をわしわしする。
モンスターは仲間を呼ぶことなく、気持ちよさそうに目を細めた
名無しの勇者:あああああ! ハスキーかわいいぃぃぃぃいいい!
ベテラン勇者LV.1:大人しくて賢いな
自宅警備員X:名前、名前はなんていうの!?
真の勇者08:初遭遇したモンスターをテイムするとは。この勇者にはテイマーの才能があったのか?
冷静な勇者:テイムって。間違ってないけど
「そういえばひさしぶりだなあ、ハス美」
自宅警備員X:ハス美www
ベテラン勇者LV.1:テイマーの才能はあっても名付けの才能はないんだな
名無しの勇者:俺わかったかも。ハス美ってもしかして…………メスじゃない?
雪国勇者:もう勇者はいいからハス美映せ!
ひとしきり撫でまわし、視聴者向けに全身を写してモンスター紹介して、カズヤはまた歩き出した。
「さーて、宝箱を漁るとするか」
目的地は小部屋の奥。
安置されていた宝箱に手をかける。
宝箱はでかい。
上から下までの高さはカズヤの身長を超えて、横幅は1メートル弱。
ひとつの宝箱が仕切られているのか、開け口はいくつも存在していた。
宝箱、というか冷蔵庫である。
中身がちょくちょく変化するランダムタイプの宝箱だ。妖精の仕業か。
カズヤが冷蔵庫を開けたのを見て、すかさずハス美が後脚で立ち上がる。
ぐっとカズヤに体を押し付けて冷蔵庫の中を覗き込む。
中にお気に入りの美味しいオヤツが入っていることを知っているのだ。賢いモンスターである。
「おっ、ポーションも携帯食料も入ってる。はいはい、ハス美のもね」
言って、カズヤは三角形の携帯食料が乗ったお皿とポーションの容器を宝箱の向かいの段差に置いた。
続けて真空パックの封を切って、専用の皿に何切れかのささみを出す。
カズヤは立ったまま携帯食料を頬張り、ゴクゴクとポーションを口にする。
食事中でも「モンスターに侵入されたらいつでも逃げられるように」と構える勇者の鑑である。テイムした犬型モンスターはオヤツに夢中でモンスターに気付きそうもないので。気付いてもカズヤを裏切るまである。なにしろ最近ではカズヤよりモンスターに懐いている。
それにしても。
もしカズヤがモンスターに見つかっても、せめて逃げる前に感謝は伝えるべきだろう。もごもごと、言葉にならない言葉であっても。
「どうだ、ハス美? 美味しかったか?」
食べ終わったハス美にカズヤが話しかける。
もはやライブ配信中であることなど忘れたかのような振る舞いだ。
ハス美は無言で、閉じた宝箱——冷蔵庫——の扉をカチャカチャ引っ掻いた。開けて、ここ開けて、とばかりに。
「ダメダメ、夜中にあんまり食べると太るぞー」
自分のことは棚に上げて、気を紛らわそうと灰と銀の毛並みに両腕をまわす。
しゃがみ込むと、ハス美は「遊んでくれるの?」とカズキに顔を近づけた。
だが。
スンスンと鼻を鳴らしたハス美が、目を見開いて、口も開けてベロンと舌を出す。カズヤから体を離す。
「え? ハス美?」
真顔に戻ったハス美がふたたびスンスンとカズヤの匂いを嗅いで、またべろーっと舌を出す。
犬好き勇者:臭いのに何度も繰り返すハス美かわいい
名無しの勇者:アホの子かな?
自宅警備員X:これフレーメン反応ってヤツだ! 動画で見たことある!
かませ勇者A:おお、勇者よ、風呂に入らないとは情けない
冷やかし勇者:マジで。風呂ぐらい入れ
ライブ配信の視聴者はすっかりダンジョン攻略のことなど忘れている。テイムされたモンスターに夢中だ。
着古したスウェットを自分でも嗅いでみて。
ようやく気付いたのだろう。
カズヤは、宝箱があった小部屋を出た。
仕掛けを押して明かりを消すことは忘れない。
侵入した痕跡をできるだけ消しているつもりらしい。バレバレである。
一度ダンジョン第二階層の通路に出て、すぐにカズヤは隣の小部屋に侵入した。
テイムしたモンスター、シベリアンハスキーのハス美は、扉の前で大人しくお座りしている。ハス美いかないよ? おふろはこわくないけどいかないよ? とささやかな抵抗だ。
ハス美を置いて中に入ったカズヤはガチャリとカギを閉める。
施錠できる小部屋に安心したのか、鼻歌まじりに上下のスウェットを脱ぐ。
全裸だ。ダンジョン内で。勇者ではなくニンジャなのか。
勇者らしい体つきを露わにしたカズヤは、中折れ式の戸を開けた。
回復の泉である。
おふろ——回復の泉である。
浸かってのんびりすると体力と気力が回復するのだ。回復の泉である。
「あー、生き返る。ダンジョン探索って言っても、ここまではいつも通りなんだよなあ」
泉のお湯をかぶって汚れを落として、清浄な泉に身を浸す。
ちゃぷちゃぷと手遊びしながら、カズヤはこの先の探索のことを考えていた。
カズヤは完全に部屋から出ないタイプの引きニ——勇者ではなく、深夜になると食料やトイレ、風呂を求めてさまようタイプの勇者だった。
そう、初のダンジョン攻略とはいえ、これまでしてきた行動と違いはない。ここまでは。
「まあ行ってみるか。掲示板に:ちょっと攻略してくるわ:って書き込んじゃったしな」
回復の泉から上がる。
深夜とはいえ、季節は夏の終わり。
まだ冷え込む季節ではない。
体と髪を拭くのもそこそこに、カズヤは新たな装備一式に袖を通した。ジャージの上下である。
カギを解除して、カズヤは通路に出た。
ダンジョン第三階層に続く頑丈な鉄扉は、回復の泉があった小部屋からまっすぐだ。
だからカズヤが迷ったのはダンジョンの地形のせいではない。
ダンジョン攻略なのにマッピングしてなかったせいでもない。
カズヤは鉄扉の前の段差に座り込んだ。
ダンジョンの第三階層は裸足では攻略できない。
震える手で足元の装備を整える。
履き古したサンダルに足を突っ込む。
準備ができても、カズヤは座り込んで動かなかった。動けなかった。
すぐ横の小部屋にモンスターがいるのに、じっと座り込んでいた。
うつむいたカズヤの脳裏によぎるのは、ライブ配信の先にいる視聴者、ではない。
スマホこそ構えているものの、ライブ配信のことなどすっかり忘れている。
カズヤが思い出したのは、さっきまで見ていた掲示板だ。
モニターの向こうで、勇者たちは戦っていた。
モンスターと遭遇して逃げ帰る。
わずかな時間を第一階層で過ごしただけで拠点に戻る。
最深部に挑んですごすごと引き返す。
あるいは成し遂げる。
日本中に発生したダンジョンで、勇者たちは戦っていた。
ほかの勇者の活躍を思い起こしたせいか、あるいは:ちょっと攻略してくる:って言ったのにいつもと変わらないんじゃ情けない、とでも思ったのか、それとも配信中なことを思い出したのか。
いや。
カズヤは、両足を割って入ってくる温もりに気がついたのだ。
先ほどテイムしたモンスター——長い付き合いのハス美——が、カズヤの足の間に入って顔を覗き込んでくる。
心配そうに。
優しい。
ただ口にはリードを咥えている。
おさんぽいくの? ハス美、いっしょにいってあげてもいいよ? とばかりに。
優しいうえに賢い。
「ははっ。ハス美はあいかわらずだなあ」
目に涙を溜めながら頭を撫でる。
やわらかな毛並みを、温もりを感じる。
「よし、行くか」
そう言って。
カズヤは立ち上がり、頑丈な、二重三重に施錠された扉に手を伸ばした。
勇者が勇者であるのは、勇気を持って物事に臨むからだ。
その意味では、ダンジョン第三階層に挑むカズヤはやはり勇者なのだろう。
たとえ「ダンジョンをダンジョンと認識できない者たち」がなんと言おうとも。
ダンジョン第三階層の入り口の鉄扉が開く。
玄関の扉が開く。
ガチャっと響いた音は、やけに重く聞こえた。
=== ダンジョン第三階層 ===
ダンジョン第三階層は、ダンジョンなのに夜空が広がっていた。
ポツポツと用意された明かりが家屋を照らす。
勇者たちが攻略するダンジョンは、第三階層から様相が一変する。
人によっては第二階層や第十階層から一変するらしいが、それはいいとして。
様変わりするダンジョンのほとんどはフィールド型だ。
目の前に山野が広がるダンジョンもあれば、何もない平地や田畑が広がるダンジョンもあるのだという。
ダンジョンによっては、あるいは時期によっては、灼熱の地や雪におおわれた極寒のダンジョンもあるようだ。
幸いなことに、カズヤが攻略するダンジョンは「都市型」と呼ばれるものだった。
多くの勇者たちが挑み、情報も多いタイプである。
というか郊外の住宅街である。
バブルの頃に開発がはじまって、あまり発展しなかったよくある「新興」住宅地である。
「ファミ○か。前はたまに行ってたんだけど」
頑丈な鉄扉をゆっくりと閉めて、カズヤは数段の階段を降りた。
初めてのダンジョン第三階層なのに手足は自然と動く。
鉄扉前のわずかな空間を抜けた。
引っ張ることなく、引っ張られることなくハス美が並んで歩く。
都市型ダンジョンの第三階層は、レンガ調の細い通路と、馬車さえすれ違えそうなコンクリートの通路が続いている。
モンスターの姿はなく、近づく馬車の気配もない。
ダンジョン第三階層は眠っているように静かだった。
終電後となれば、郊外の新興住宅地は静かなものだ。
深夜に開いている店はコンビニぐらいだろう。
ちなみに、カズヤの家から一番近いコンビニは歩いて10分のセブンイ○ブンだ。近い。さすが店舗数日本一。
目的地であるファミ○ーマートは歩いて30分ほどの場所にある。
勇者たちが挑むダンジョンの中では恵まれている方かもしれない。
一歩、二歩。
カズヤが第三階層の通路を進む。
サンダルのかかとが擦れてジャッジャッと音を立てる。
ゆっくり歩くカズヤの隣で、ハス美はちゃっちゃか軽快に爪音を響かせる。
深夜のダンジョン第三階層は静かで、二人の音がやけに大きく聞こえた気がした。
「往復で1時間ぐらい? モンスターもいないし馬車も走ってないし余裕だろ余ゆ——」
カズヤは途中で黙り込んだ。
足を止める。ハス美も止まる。
耳を澄ます。耳がぴこぴこ向きを変える。
『パアパパ、パァパパパパパパパパパー』
目では見えない、はるか向こう。
ダンジョン第三階層の大通路からモンスターたちの咆哮が聞こえてきた。
深夜のダンジョン第三階層に現れて暴走するモンスター集団、ではない。
郊外名物、国道を疾走する暴走族である。
咆哮というか空吹かしの音である。
威嚇という点ではだいたい同じ意味——ではない。たぶん。
爆走するモンスターがカズヤのいる通路に入ってくることはない。
あっても単体で、大通路を走る時よりも静かなものだ。
カズヤはキョロキョロとダンジョン第三階層を見渡した。
通路は直線だらけで隠れられる物陰はない。
建ち並ぶ家屋に隠れることは可能だが、どの家屋も施錠されて、中には複数のモンスターが生息している。逃げ込んだら大変なことになるだろう。マジで。
ぽつりぽつりと等間隔で生えた木の幹は、とても隠れられるような太さではない。
ハス美は、どうしたの? おさんぽいかないの? とカズヤを見上げている。
「深夜の大広間には最悪のモンスターが出るしなあ。昼間なら休憩できるんだけど」
ダンジョンの最深部に向かう途中、第三階層には大広間がある。
明るいうちは休憩できるが、夜、それも深夜となれば様相は変わる。
用意されたベンチや水が出る魔道具に油断して野営しようものなら、不意に現れたモンスターに襲われることだろう。
意味不明な言葉をわめきちらしながら直接攻撃を加えてくるモンスターはまだかわいいものだ。
最悪なのは、優しげな微笑みを浮かべて近づいてくる、特定の装備を身につけたモンスターである。
『君、こんな夜中に何してるの? ちょっと話聞いてもいいかな?』
即死魔法だ。死なないけど。
とにかく、その魔法に対抗策はない。
下手に防ごうと、逃亡しようと、戦おうとしたら、彼らの住処に強制転移させられる。
小部屋に連れ込まれ囲まれて、拠点へ帰るまで長い長い責め苦を受けることになる。
ダンジョン攻略に挑む勇者が苦手とする、最悪のモンスターである。お仕事ご苦労様ですお巡りさん。
逡巡するカズヤのはるか前方。
コンクリートの通路の先に馬車が見えた。
深夜のダンジョン第三階層の闇を切り裂くように、無遠慮に煌々と輝く明かりが近づいてくる。
第三階層に逃げ場はない。
カズヤは無言で背を向けた。
ダンジョン第三階層に入ってから、わずか十数歩。
今日から勇者となったカズヤの、ダンジョンへのファーストアタックは終わった。
だが、この時カズヤは忘れていた。気づいていなかった。
拠点に戻るまで、そこはダンジョンなのだと。
モンスターが徘徊しているのだと。
なお、わずかな時間の散歩でも、ハス美が文句を言うことはなかった。
引き返すカズヤにも抵抗しなかった。
きっと、数十秒でも、ひさしぶりのカズヤとの散歩に満足したのだろう。
むりしないでね、ハス美たのしかったよ、またいこうね、と。
ガチャガチャと重い鉄扉を開けてカズヤがダンジョン第二階層に戻る。
第三階層用に装備したサンダルを脱ぐ。
ふうっと息を吐いて肩を落とす。
ハス美がぺろっとカズヤの手を舐める。
「カズヤ?」
ビクッと、カズヤが固まった。
「どうしたのこんな夜中に」
勇者カズヤ、二度目となるモンスターとの遭遇である。
カズヤ は にげだした!
ダダダッと勢いよく階段を上がって拠点へと走る。
モンスターはその場に立ち尽くして、無言で逃げたカズヤの背中を目で追うだけだった。
テイムしたモンスターも後を追わない。追い詰めない。
今度こそ、カズヤのダンジョン攻略、そのファーストアタックは終わった。
途中からはライブ配信していたことさえ忘れて。
苦い記憶を残して。
=== 幕間 ===
名無しの勇者:モンスターはなあ。邪魔だからって倒すわけにはいかないから
ベテラン勇者LV.1:倒してしまっても構わんのだろう?
冷やかし勇者:構うだろ
名無しの勇者:ダメ、ぜったい
情報屋勇者:そういえば倒さなきゃ進めないタイプのダンジョンもあったって
名無しの勇者:は?
名無しの勇者:……え? はい?
勇者in難波:モンスターやんな? モンスターだけどモンスターじゃないモンスターやんな?
情報屋勇者:いつもは拠点で半拘束されてて、抜け出してダンジョンに潜って
名無しの勇者:んんー?
自宅警備員X:待って笑えない
(自称)陽キャ勇者:ネタだよね? そういうネタだよね?
情報屋勇者:モンスターに遭遇したらボコされて拠点に死に戻りだって
冷やかし勇者:草枯れる
勇者in難波:嘘やろ
名無しの勇者:難易度ヘルモードかよ。地獄かよ
情報屋勇者:掲示板に書き込みがあったのもなんとかで、けっきょくギルドが介入したって
名無しの勇者:ありがとう冒険者ギルド! ありがとう真の勇者たち!
自宅警備員X:マジで笑えないですぅ……
名無しの勇者:介入て。「勇者とモンスターの問題です」とか言われんじゃねえの?
名無しの勇者:ソース! ソースくれ!
情報屋勇者:ダンジョンの場所が、たまたま冒険者ギルドと領政府に繋がりがある領地だったおかげで、早めに対処できたんだって
冷やかし勇者:領地w 領政府w
名無しの勇者:あー、真の勇者さんが元老院に当選したってニュースになってたとこか
名無しの勇者:元老院て。それっぽい言葉使えばいいってもんじゃねーぞ
雪国勇者:言い換え力を競う勇者たちの遊び
名無しの勇者:はあ。ダンジョンもいろいろあるんだなあ
名無しの勇者:なんか俺恵まれてる気がしてきた。攻略がんばるわ
名無しの勇者:俺も俺も
ベテラン勇者LV.1:焦るな、後輩勇者たちよ。まずはレベルを上げるのだ!
名無しの勇者:そうそう、モンスターは倒せないから地道な訓練でレベルを、って上がらんわ!
脳筋勇者:レベルは上がらないけど体力値は上がる。筋肉もつく。筋肉は裏切らない
名無しの勇者:仲間のふりしたモンスターと違ってなぁ!
=== 拠点/再 ===
ダンジョン攻略へのファーストアタック翌日。
昼過ぎに起きたカズヤは、パソコンの前にいた。
濁った目で、暗い顔で。
だが。
名無しの勇者:ファーストアタックで第三階層!? マジかよ有望じゃん!
ベテラン勇者LV.1:昨日のテイマー勇者か
仮免勇者:ダンジョンの入り口を見つめて三日が経ちました。俺、勇者やめようかなって
自宅警備員X:焦らない焦らない。人は人で俺は俺
名無しの勇者:いろんな勇者がいていいんだって。みんな勇者なんだって
名無しの勇者:ダンジョン第二階層から第八階層までは落とし穴で一直線でした。すぐ帰ったけど
犬好き勇者:ハス美かわいかったなあ
かませ勇者B:おうおう、やるじゃねえか新人勇者。あん時は絡んで悪かったな
かませ勇者A:お前はまだ二階層止まりだもんな! 新人勇者に先越されてんぞ?
ベテラン勇者LV.1:いいか新人、できなかったことよりできたことに目を向けろ。ダンジョンじゃ前向いてないと死ぬからな
(自称)陽キャ勇者:だから死なないけどね! あっでも後ろ向きすぎると死にそうな気がする
掲示板にダンジョン攻略の結果を報告すると、カズヤは褒め称えられた。
最初の攻略でフィールド型の階層まで到達したのは誇れることだったらしい。
“お前ら優しすぎかよ。ちょっと元気でてきた”
かませ勇者A:はっ、これだから新人勇者はよォ。いいか、出るのは元気じゃねえ、勇気だ
かませ勇者B:俺たちは勇者だからな!
名無しの勇者:かませ勇者がなんか言ってる。ねえそのロールプレイ疲れない?
犬好き勇者:いいからはよハス美うつせ! 毎秒アップしろ!
カズヤの口に笑みが浮かぶ。
同類で同志の勇者たちはどこまでも優しく、どこまでもふざけている。
まるで、自分もそうされることを求めているかのように。
“ありがとうお前ら”
そう書き込んだカズヤの目は潤んでいた。
人は強い心を持つから勇者になるのではない。
勇者になったから強くなるのだ。
戦うことなく逃げ出したモンスターの姿がカズヤの頭をよぎる。
薄暗いダンジョンで明かりに照らされたモンスターは、シワが深く、目尻を下げて、立ち去るカズヤをしょんぼりと見送った。
その姿は、記憶にあるより小さく思えて。
“俺、もうちょっとがんばってみるわ”
ファーストアタックと報告を終えて、カズヤは決意を新たにした。
ダンジョン攻略に向けた、カズヤの特訓がはじまる。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
真の勇者08:まずは目的地を見定めろ。話はそれからだ
“ファミ○……おっと、ダンジョンの最深部は、ウチから行ける距離にふたつあるんだ”
かませ勇者A:マッピングは終わってるだと!? やるじゃねえか新人勇者!
かませ勇者B:おいおいおい、こりゃあマジで先を越されるかもなあ
“片方は歩いて30分。でも都市型ダンジョンでモンスターの数が多い”
雪国勇者:難易度はそこまで高くないけど、低いわけでもないね
名無しの勇者:馬車や二輪車も使えないとなるとなあ。夜は数が減るけど最悪なモンスターがうろついてるし
“もうひとつは片道一時間弱だけど、モンスターが少ない農地だらけのフィールド型ダンジョン。ただ、途中でモンスターの巣がいくつかあるんだ”
名無しの勇者:モンスターの……巣……?
(自称)陽キャ勇者:郊外都市、農地のあたりに存在する巣。そうか、工場、おっと、モンスターの巣ね!
名無しの勇者:もうちょっとうまい言い換えありそう
ベテラン勇者LV.1:そのタイプの巣は活動時間以外は静かなはずだ。そっちがいいんじゃないか?
アドバイスに従って、目指す最深部を見定める。
○ァミマへのルートを調べる。
カズヤが住む実家から、徒歩で行けるファ○マはふたつだ。
一方は新興住宅地の中を30分ほど歩いた先に、もう一方は田畑の隙間を抜けて工場がちらほら建つエリアを一時間ほど行った先にある。
セブン○レブンであれば歩いて10分ほどで、すぐに真の勇者になれたものだが。
初期設定の妙である。ちなみにローソ○は徒歩圏内に存在しない。マチカフェぇ……。
“時間よりモンスターの方が怖いからなあ。遠いけどそっちにする”
かませ勇者B:はっ、まあ戦い慣れてねえ新人勇者にはいいんじゃねえか?:
ベテラン勇者LV.1:テイムしたモンスターがいるなら対抗手段になるだろう。それに、遠くても支えになってくれるはずだ
犬好き勇者:うらやましい。俺にもハス美を!
真の勇者17:遠いのか。ならば体を鍛えるべきだろう。行き倒れては話にならない
(自称)陽キャ勇者:あとは装備も整えないとね! かっちり系より動きやすい装備を!
目標を決めたら、あとはそこに向かって突き進むだけだ。
勇者たちのアドバイスに従って、カズヤは行動をはじめた。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
「よし、これで2往復。……けっこうキツイな」
階段を上がると、途中で追い抜かれたハス美が待っていた。うえであそぶ? ハス美とあそぶ? とカズヤの足にまとわりつく。
昼間、モンスターが出払ったダンジョンで、第一階層と第二階層を結ぶ階段を昇り降りする。
運動らしい運動を何年もしてこなかったカズヤはそれだけで息が上がる。
「はは、遊んでるわけじゃないんだ」
カズヤの言葉がわかったのかわかってないのか、ハス美はたたーっと階段を下りていった。
階段の下でカズヤを見上げる。
「……もう一往復するか」
テイムしたモンスター以外のモンスターがいない日に限ってだが、カズヤは毎日のように階段昇降を繰り返した。
勇者の基本である、足腰を鍛えるために。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
「これはまだ着れるかなあ? どうなんだろ、みんなに聞いてみるか」
がさごそとクローゼットを漁って装備を探す。
装備というか服を探す。
あと中学のジャージは外に着ていけない。聞くまでもない。
先輩風勇者:そんな装備で大丈夫じゃない。ほかにないのか?
ベテラン勇者LV.1:たしか新人勇者は宝箱に食料やポーションがあったり、回復の泉に着替えがあったりしたな
自宅警備員X:あー、そういうタイプか。ならなんとかなるんじゃない?
かませ勇者A:けっ、テイマー勇者は甘ちゃん勇者かよ。恵まれた環境はちゃんと活かすんだぞ?
“え? どういうこと?”
(自称)陽キャ勇者:ダンジョンの第一階層や第二階層に出現するモンスターには複数のタイプがある。中には、モンスターからサポートNPCに変貌を遂げるタイプも存在するんだ!
冷やかし勇者:NPCて
名無しの勇者:ノンプレイヤーじゃないから。せめてサポートキャラって言ってください
“それは……その……”
ベテラン勇者LV.1:何、すぐに変わるわけじゃない。まずはフラグを立てないとな
「それはちょっと無理かもなあ。あ、ネット注文して受け取りと支払いをお願いするぐらいならなんとか……? 手紙だっていいんだし……」
拠点にある装備ではダンジョン最深部に挑めない。
頭を抱えたカズヤに提示されたのは、新たな装備の入手方法だった。
けっきょく頭を抱えているようだが。
ともあれ。
目標を定めてダンジョンを調べ、真面目に訓練に取り組み、装備に頭を悩ませて。
ダンジョン攻略に向けて、勇者カズヤは一歩一歩前に進んでいた。
=== 拠点 ===
特訓をはじめてから2週間。
初日は連続2往復で息を切らしてカズヤも、5往復できるようになった。進歩である。
二階と一階の階段五往復程度で、などと思ってはいけない。
3年も外に出ないと、運動する機会はないのだ。
まれに勇者になる前から筋トレを欠かさないタイプもいるが、それはいいとして。
「メモは取った。あとは……モンスターをサポートキャラにする、フラグの立て方を教えてもらわないとな。どうやって話しかければいいのか」
カズヤはついに勇者専用掲示板に書き込もうとして——異変に気付いた。
キーボードを叩く指を止めて耳を澄ませる。
慌ててイスから降りる。
ダンジョンの入り口の扉に耳を当てる。
ダンジョン入り口の扉というか、木目調の安っぽいドアに。
ダンジョンはいつになく騒がしかった。
実家は人の声に満ちていた。
さっと身を翻して、カズヤはふたたびパソコンに向かう。書き込む。
“マズい! 大量発生したモンスターの声が第二階層から聞こえてきた!”
自宅警備員X:モンスターが大量発生?
先輩風勇者:そうか世間はシルバーウィーク……ダンジョンがモンスターの繁殖期を迎えたのか
今度はドアに耳を当てるまでもない。
「ただいまー! ほら、あっくん、たーくん、じいじとばあばにただいまは?」
「じじ、ばば、ただいまー!」「まー!」
「わふっ!」
「はあー、ひさしぶりハス美!」
「はすだー! おっきいねえ!」「わんわん!」
ダンジョン第二階層から、大きな声が聞こえてくる。
よく見知ったモンスターのひさしぶりの声と、そんなに喋れるようになったのかと衝撃を受ける声と、上機嫌なテイムモンスターの声が。
手を動かす。
“やばいやばいやばい。ゴブリンとコボルト、好奇心たっぷりで無邪気な小型モンスターの声がする”
冷やかし勇者:小型モンスターて
(自称)陽キャ勇者:不謹慎すぎィ! まあいまさらだね!
自宅警備員X:あーそれはヤバイ。拠点は鍵がかかるタイプ?
ベテラン勇者LV.1:繁殖期か。俺も警戒しておこう
名無しの勇者:バリケードだバリケードでなんとか安全を確保して篭城だ拠点の安全を確保するんだ
かませ勇者A:警戒しろよ新人勇者、ほかの勇者どもも。こっちの手の内を知ってるモンスターに、小型モンスター。ヤツらは遠慮も何もねえからよ
かませ勇者B:ガチャガチャ鳴らされる拠点の扉、ガンガン打ち付けられる破城杭!
タタッ、タッタッ、トン、トンと、第二階層から階段を上がってくる足音が聞こえる。
小型モンスターは体重も軽いのだろう、小さな音で、けれど確かに近づいてくる。
「小型モンスターが二体。足音を隠してるけどもう一体。はあ、覚悟決めるか。いや待て、ハス美が止めてくれるかもしれない。無理かなあ」
呟いて、カズヤが身構える。
最後にひとつ書き込んだ。
“くる! スタンピードだ!”
安全なはずの拠点に、ダンジョンからモンスターが押し寄せる。
モンスターのスタンピードである。
違う。
親戚の襲来である。
たいてい悲劇になることは違わない。
カシャカシャと、木製の扉に爪が当たる音がする。
しばらくすると音は止んでドアレバーが下りる。バンッと勢いよく扉が開いた。
カズヤの拠点——部屋のドアは、鍵がかけられるタイプではない。
「カズにいー! こんにちは!」「はー!」
ダンジョンから攻め込んできたのは二体の小型モンスター、ではなく二人の甥っ子だった。行動は小さなモンスターになる時もある。怖い。
ハス美は小型モンスターを止めるどころか一番に飛び込んできた。
カズヤのヒザに足を乗せて、ドヤ顔でカズヤを見つめる。ハス美、あんないしてきたよ、えらいでしょ、とでも言いたいのか。アホ賢い。
「もう二人とも。カズヤは引きこもってるんだから放っておきなさい、ほら行くわよ」「えー? カズにいとあそぶー!」「あしょぶ!」
続けて現れたのは小型モンスターの母モンスター、違う、カズヤの姉である。小さなモンスターの母であることは違わない。怖い。
「あれ? カズヤ、なんかちょっと小綺麗になってない? ヒゲそった?」
姉がカズヤを見たのは一瞬だ。
それでも、変化を感じるほどにカズヤは変わっていたらしい。
勇者の特訓の成果である。
「俺、いま、外に出る準備してるんだ」
「えっ!?」
「こないだ失敗したし、少しずつだけど」
目を伏せたままモゴモゴと、うまく回らない口で告げる。
カズヤの声はやけに大きかった。
ひさしぶりの会話すぎてボリュームがうまく調整できなかったらしい。
モンスター は おどろき とまどっている!
「でもその、外に着ていく装び……服と靴がなくて。ウォーキング? 風のヤツを」
机上の紙片にチラッと視線を落として、勇者カズヤはモンスターに畳み掛けた。
ダンジョン第二階層、ときどき第一階層に現れるモンスターよりも与しやすいと思ったようだ。
紙片に書かれていたのは、モンスターをサポートキャラに変化させるためのキーワードである。
「そう、そうなの。うん、お母さんに言っておく」
「お母さん? ママ?」「ままー!」
「ふふ、違うのよ。ママじゃなくてばあばのこと」
好奇心旺盛な小型モンスターは、わからないながらも話を聞いていたようだ。
勇者カズヤから、興味はママとばあばに移ったらしい。幸いなるかな。
「ありがとう」
「カズヤのやる気がなくならないうちに買ってきちゃうわ。ほら行くわよちびたち。お買い物だー!」
「あっくんちびじゃないよ!」「にいに、おっきい!」
母モンスターと手を繋いで、きゃっきゃとはしゃぐ二体の小型モンスターは去っていった。
見送ったカズヤはぐったりとイスの背にもたれかかる。
ハス美がついに体ごとイスに上がる。
おさんぽ? ハス美とおさんぽようのおようふく? と、尻尾をぶんぶん振って嬉しげだ。
「あー、こらこら、もう大きくなったんだから重いって。はあ」
ほぼメモを口にしただけの、わずかな会話。
たったそれだけで、勇者カズヤはMPを使い果たしていた。
モンスターのスタンピードを乗り越えても、ダンジョン攻略への道のりは遠い。
=== 拠点 ===
「体調よし、装備よし、持ち物よし」
安全な拠点で、カズヤがメモを見ながら指差し確認する。
(自称)陽キャ勇者:ヨシッ!
犬好き勇者:ハス美は? ねえハス美は?
ベテラン勇者LV.1:気負うなよテイマー勇者。何度でもやり直せばいい
先輩風勇者:そんな装備なら大丈夫だ!
名無しの勇者:テイムモンスターいたら擬態しやすいよなあ
なお、すでにライブ配信ははじまっている。
自分ではじめたクセに、視聴者に優しくないのは零細配信者のサガか。
カズヤの格好はグレイのパーカーにくるぶしあたりで絞られた黒いズボン。
つば付きのキャップは日よけのほか、モンスターの視線を遮る効果もある。
スタンピードをきっかけにサポートキャラとなったモンスターが、あの日すぐに買ってきたものだ。郊外にも存在してくれてありがとうユニク○。
装備のほかに「これはプレゼントね」と電動バリカンとセルフカットのやり方をプリントした紙を手渡された。
キャップから覗くもみあげはスッキリしている。無精ヒゲもない。
身軽さを武器にするタイプの勇者の正装である。
都市型ダンジョンを攻略する場合は、別バージョンとしてかっちりタイプの正装も存在する。
パーカーのポケットには念のためにと、ダンジョン最深部までのマップが入っている。
それともうひとつ、大事なもの。
カズヤはポケットから取り出して、それを見つめた。
「これで……ダンジョン最深部を攻略するんだ。勇者の証を手に入れるんだ」
ダンジョンマスターに手渡すと、ダンジョンの秘宝と交換してもらえる、攻略に必須のキーアイテム。
5,000イェンである。
お釣りももらえる。
サポートキャラから手渡されたものだが、出所はサポートキャラ、もとい、姉ではない。
対面してフラグを立てたわけではない。
だがこれは、第二階層に生息するモンスターが用意したものだという。
第三階層の攻略に失敗して逃げ帰ったカズヤを、泣きそうな目で見送ったモンスターの。
わずかな間、目を閉じる。
5,000イェンを手にした指にぎゅっと力がこもった。
慎重にポケットにしまう。
最後にカズヤは、スマホに視線を向けた。
告げなければ決意が揺らいでしまいそうで。
宣言する。
「今日、俺は真の勇者になる。行ってきます」
旅立つ勇者の健闘を祈る、勇者たちの言葉であふれかえったコメントを見ることなく。
カズヤは、ダンジョン入り口の扉を開ける。
扉の前には、キリッとした顔のハス美が待っていた。
ハス美、おともするよ! とでも言いたげに。
勇気と5,000イェンを持って、勇者はふたたびダンジョンに挑む。
テイムしたモンスター、ハス美と一緒に。
ライブ配信を見守る、勇者たちとともに。
ちなみに、玄関——第三階層への扉の手前——で、ハス美のお散歩セット(ビニール袋とスコップほか)も忘れず手にした。えらい。
=== ダンジョン第三階層 ===
ダンジョン第三階層の扉を開ける。
ズズッとサンダルをひきずる音はしない。
カズヤの足にはNの文字が輝いていた。NEETではない。
初挑戦した時と違って第三階層、フィールド型ダンジョンは明るかった。
モンスターの巣への出入りが活発になる朝と昼を避けた、隙間の時間だ。
片道一時間弱の最深部に行って帰ってくれば、拠点に戻る頃にはちょうど昼時になるだろう。何事もなければ。
逆に、第三階層の攻略に手間取ると、昼時のダンジョン最深部はモンスターであふれることになる。
それでもカズヤはこの時間を選んだ。
タイムリミットで自らを追い込む、勇気ある決断である。さすが勇者。
「行ける。俺は行ける。俺は勇者、勇者なんだ」
呟くカズヤの横を、するするっとハス美が通り抜ける。
ためらうカズヤを勇気付けるように。
ライブ配信に写り込むように。
犬好き勇者:ハス美ヨシッ!
冷やかし勇者:自重しろ、いまいいところなんだぞ
自宅警備員X:がんばれテイマー勇者。ハス美にいいとこ見せろ!
先行したハス美が立ち止まってカズヤを見上げる。
だいじょうぶ? おさんぽいける? とでも言っているかのように。
「うん。俺は、一人じゃないんだ」
ふうっとひとつ息を吐いて、カズヤが歩き出す。
特訓——階段昇降——で鍛えた足で、大股で歩く。大きく手を振る。
モンスターへの擬態である。
犬の散歩してる風である。
格好もぱっと見も普通、ハス美の存在もあって、これなら外を歩いていてもモンスターに襲われることはないだろう。
最悪のモンスターに声をかけられることも転移魔法を使われることもないだろう。ないはずだ。不審者じゃないんで。犬の散歩してるだけなんで。
レンガ風の通路を歩き出したカズヤは、すぐに曲がって狭い通路に入った。
いつもの散歩ルートとは違うはずなのに、ハス美が抵抗することもない。賢い。
通路の直線は続くが、その先に家屋はない。
しばらく歩くとダンジョンはふたたび様相を変えた。
農地が広がり、細い通路と広い敷地の家屋がポツポツ存在するフィールド型ダンジョンである。
カズヤが暮らす住宅街は狭い範囲だったらしい。
いまいち発展しなかった新興住宅地あるあるである。
「おっと、点滅か。危うくトラップに引っかかるところだった」
都市型からフィールド型へ、ダンジョンが切り替わるポイントでカズヤは足を止めた。ハス美もちゃんと止まった。
青く点滅する光が赤に変わる。
しばらく待つと、光はまた青に変化する。
それを見てカズヤはふたたび歩き出し、ハス美がタタタッと前に出た。
点滅する光はダンジョン第三階層から存在するトラップだ。信号だ。
引っかかると負傷、下手したら死ぬこともある。が、トラップを無視しても何事もなく通過できることもある。
あたりに馬車が見えなくても、カズヤはきちんと止まってトラップをクリアした。偉い。
左右に農地が広がる通路をしばらく行くと、前方からモンスターが近づいてくるのが見えた。
ダンジョン第三階層で初めて目にしたモンスターである。
ゆっくりした足取りのモンスターは、四本足の小型モンスターを連れている。
カズヤはごくりと唾を呑んで、キャップのつばをつまんでイジる。
少し下げてうつむき加減で目線を隠し——
ハス美と目があって、背筋を伸ばした。
まっすぐ前を見て、腕を振り、気持ち大股で歩く。
モンスターと、先導する小型モンスターが近づいてくる。
ふんふん鼻を鳴らしてキョロキョロする小型モンスターがカズヤを、足元のハス美を見る。
つられてモンスターもカズヤを見る。
目の端でモンスターを捉えながら、カズヤは前を見たまま視線を動かさない。
すれ違う。
そのまま、小型モンスターとモンスターはカズヤの後方、都市型ダンジョンへ去っていった。
モンスターというか、犬と散歩中のお爺ちゃんだ。
もしかしたらカズヤはともかく、ハス美は顔見知りだったかもしれない。
本来であれば、せめて会釈してすれ違うのがスジだろう。
けれど、散歩していたのがいつもと違う人だったためか、ハス美も呼び止められることなくすれ違えた。
カズヤはなんとか、モンスターから逃げられたらしい。
名無しの勇者:あっぶねー! いまぜったい話しかけられるパターンだったじゃん!
名無しの勇者:もしくは犬同士が絡んで飼い主が会話を余儀なくされるヤツ
犬好き勇者:ハス美、ヨシッ!
勇者in難波:テイムしたモンスターと攻略するとこういうリスクもあるんやなあ
かませ勇者B:幸運だったなテイマー勇者!
「よし。よし、よし、よし」
戦闘を回避したカズヤが小さな声で繰り返す。
モンスターとの遭遇で盛り上がる視聴者コメントは総スルーだ。そんな余裕はない。
勇者にとって、ダンジョンを徘徊する四本足の小型モンスターと、同行するモンスターは天敵だ。
犬は吠えるし、地元民である飼い主は普段見かけない人間に厳しい目を向けるので。不審者じゃないんです。犬の散歩してるだけなんです。
天敵との遭遇をクリアしたカズヤの足取りは軽い。
経験値を得てレベルが上がったらしい。違うけど違わない。
自信をつけたカズヤの第三階層探索は順調に進んだ。
事前に調べた通り、この時間はモンスターの巣も静かで、なんなく横を通り過ぎた。
大通路を避けたため、すれ違う馬車は少ない。
最初に遭遇した二体のモンスターを思えば何ほどのこともない。
トラップもモンスターも馬車もスルーして、カズヤとハス美は探索を続けた。ダンジョン第三階層を歩き続けた。
犬のお散歩してるんですよー、ウォーキングにもなって気持ちいいですねーと、モンスターに擬態して。
やがて。
「……見えた。あれが、例の」
はるか通路の先に緑と白に塗られた立て札が見える。
勇者カズヤが攻略するダンジョンの最深部である。フ○ミマである。
足を止めてポケットの中を確かめる。
キーアイテム、5,000イェンに触れた。
水色の文字をきっと睨みつけて、カズヤは歩みを進める。
ダンジョン最深部の手前。
開けた場所、最後の休息ポイントでカズヤは立ち止まった。
「ここで大人しく待ってるんだぞ」
そう言って、ハス美を安全地帯に留め置く。駐車場の銀のポールにリードをくくり付ける。
ダンジョン最深部に、テイムしたモンスターは連れて行けない。
ここから先は勇者一人、ソロでの戦いが待っている。
ハス美は、大人しくちょこんとお座りしていた。
犬好き勇者:ハス美賢すぎない?
冷やかし勇者:待て、よく見ろヨダレが垂れてる
自宅警備員X:「いい子で待ってれば美味しいものもらえる、ハス美知ってる!」
名無しの勇者:しつけられてるなあ。テイマーの家系か
(自称)陽キャ勇者:がんばれテイマー勇者! ハス美が待ってるぞ!
かませ勇者B:俺たちもついてるぞ
かませ勇者A:店内は撮影禁止だけどなあ!
ベテラン勇者LV.1:暗い。ポケットに入れたか
ここから先は勇者一人。
ライブ配信の向こうにいる仲間、勇者たちでさえ力になれない。
それでも。
勇者カズヤは、ついにダンジョン最深部に挑む。
ここから先にセーブポイントはない——帰ればいいだけだった。
=== ダンジョン最深部 ===
平地にポツリと存在する建物。
建物の外壁は透き通った水晶で、中を見通せる。
緑と白で彩られたクリスタルパレス。
それがダンジョン最深部であり、勇者たちの目的地だ。
10時42分、予想通りこの時間に停まってる馬車は少ない。
外から見る限りではモンスターの数も少ない。
「……行くか」
ためらったのはわずかな間だけだ。
勇者カズヤは、とっくに覚悟を決めている。
初めてダンジョンの入り口から第一階層に出た時に。
第三階層に足を踏み入れた時に。
親戚の襲来を乗り越えた時に。
今日、第三階層に出るのを、隠れて見送るモンスターの気配を感じた時に。
見守るハス美に背中を押されて、カズヤがダンジョン最深部の入り口に立つ。
クリスタルが静かにふたつに分かれて道を開けた。
いかなる仕掛けかトラッブか。自動ドアである。
「いらっしゃいませー」
足を踏み入れたカズヤに、さっそく最深部の主から声がかけられた。
お前のことは気づいているぞ、という警告だ。
ここから先、勇者の専用サイト内の掲示板にも、ほかの勇者の動画にも情報はない。
入手すべき秘宝は指示されているが、最深部の情報はあえて隠された。
ダンジョンごとに違うのではない。
勇者が、真の勇者となるための試練である。
緊張した面持ちでカズヤは顔を上げる。
固まった。
目に飛び込んできたのは、情報の大洪水だ。
右側の防柵の奥で、最深部の主がカズヤを監視している。
身長ほどの高さの壁には一面に多種多様のアイテムが並び、無数の文字が、色が、カズヤの脳を刺激する。
奥のクリスタルの中に収納されたポーションやエリクサーは何百種類あるのか。
勇者が渇望する魔導書も、封印が施された禁書も、こともなげに並んでいる。
クリスタルはそんな光景を反射してさらに情報量を増やし、無機質な音が繰り返し流れ、数体のモンスターが最深部をうろつき出入りする。
安全な拠点の中で暮らしてきたカズヤにとって、それは脳を焦げ付かせるほどの情報の大洪水だった。
顔をしかめて奥歯を噛みしめる。
最深部での用事を済ませたモンスターが、カズヤを避けて横を通り過ぎる。
お前ひょっとして勇者か? と疑うようなモンスターの視線で、カズヤは我に返った。
のろのろと動き出す。
「大丈夫、大丈夫だ。前はコンビニだって来てたし。こんなんじゃなかったけど。さすがダンジョン最深部」
口の中でもごもごと呟く。
カズヤが最後に家から出たのは3年ほど前のことだ。
3年もあればダンジョン最深部、もとい、コンビニは様変わりする。
セブンイレブ○の新店舗は商品配置からして違う。正直よくわからない。
PB商品がここまで並ぶようになったのもつい最近のことだ。
3年前ならレジ横にコーヒーマシンはあっただろうか。
コンビニは、もうカズヤの知るコンビニではない。変化が早い。さすがダンジョンの最深部。
所狭しと並べられたアイテムや魔導書にチラチラ視線を飛ばしながらおそるおそる歩くカズヤ。
モンスターに擬態しているつもりらしい。そこそこ不審者である。止める声はない。
クリスタルパレスではこの程度、日常茶飯事だ。ダンジョン最深部は魔境なのだ。
やがて、カズヤは棚から一冊の魔導書を抜き出した。
飛躍の書である。
レジ横に置くタイプの店舗ではなかったらしい。
入手すべき秘宝のひとつを見つけたことで気をよくしたのか、カズヤの足取りが確かなものになる。
勢いのままに、クリスタルに覆われた壁面に向かった。
顔を近づけて、中にあるポーションやマジックポーションやエリクサーの瓶を眺める。
上から下まで舐めるように見つめる。
「あった」
クリスタルの隙間に指をかけて、カズヤが手を引いた。
遮断されていた冷気が流れ出す。
カズヤが手にしたのは、毒々しい色の爪痕が残る漆黒の金属筒だ。
体力と気力の限界を超えて肉体を活動させる禁薬。
モンスターである。
モンスターではない。
右手に冷たい金属筒を、左手に魔導書を抱えて、ダンジョン最深部のさらに奥に進む。
途中、緑の運搬用アイテムポーチを見つけて、中に入れる。
開いた右手で三角形の携帯食料をふたつ無造作に掴んで、運搬用アイテムポーチに放り込む。
三つの秘宝を手にして、カズヤは一瞬だけ目を閉じた。
ダンジョン最深部の攻略はこれで終わりではない。
最深部にいるのはボスだと相場が決まっている。
これまでの苦労を、特訓を、冒険を、応援を思い出し、カズヤは勇気を振り絞る。
「お待ちの方、こちらへどうぞー」
目を開けて、進んだ。
不敵な笑みを浮かべるダンジョン最深部の主の元へ。
カズヤは己の身を守るように、緑の運搬用アイテムポーチを最深部の主との間に置いた。
秘宝が取り出されて無機質な音が鳴る。
緊張でカズヤの手が震える。
「あ、あの、袋も、それと、」
声も震える。
「はい、他に何かお買い上げですか?」
カズヤと違って主にダメージはない。
勇者など何人も相手してきた、とばかりに余裕の構えだ。
勇者に示された、ダンジョン最深部で入手するべき秘宝は三つ。
魔導書、禁薬、携帯食料。
すでにカズヤは探索を終えて主に提示した。
だが試練はもうひとつある。
「ブ、ブレイブ、お願いします」
キーワードとともにカズヤが5,000イェンを置く。
秘宝も、キーワードも、キーアイテムも揃った。
「はい、かしこまりました。お先に商品です」
秘宝が包まれてカズヤに差し出される。
続けてお釣りの4,291イェンが渡される。
先に4,000イェンと紙片を渡されたのに手を引っ込めないカズヤの手の上に、じゃらじゃらと291イェンが乗せられた。
「それとブレイブですね」
そう言うと、最深部の主はくるっと背を向けた。
攻撃を叩き込むチャンスである。違う。
ひとまず、カズヤは手を握りしめてポケットに4,294イェンと紙片を突っ込んだ。
秘宝の包みを手に持ったところで主が向き直る。
「こちら、ブレイブになります」
ダンジョン最深部の主は、右手で小さな金属片をつまんでいる。
落とさないように左手を添えて。
カズヤに差し出した。
おそるおそる、カズヤは右の手のひらを向ける。
カズヤの手のひらを両手で包み込んで、金属片が受け渡された。
「これが……」
ブレイブ。
知らないお客様が聞いてもバレないように用意されたキーワード。
主にそのキーワードを告げると渡されるように手はずが整えられた、ダンジョン最深部に到達した勇者だけに与えられるバッジ。
勇者の証である。
「到達おめでとうございます」
ダンジョン最深部の主が、カズヤの右手を包んだ両手にそっと力を込める。手を離す。
「帰路、お気をつけて」
まるで「拠点に帰るまでがダンジョン攻略ですから」とでも言いたげに。
マニュアルには乗っていないだろう言葉を告げて。
主はカズヤを送り出した。
あっけないラストバトルと達成感でカズヤは夢うつつだ。
ふらふらと体を揺らして、ふたつに分かれたクリスタルの壁を抜ける直前。
カズヤはさっき目にしたものを確かめようと、さっと振り返った。
「ありがとうございましたー」
そう言って頭を下げる最深部の主の胸には、「勇者の証」が光っていた。
=== ダンジョン第二階層〜拠点 ===
秘宝を包む袋をカサカサと鳴らして、カズヤは帰路を歩いた。
往路であれほど警戒したダンジョン第三階層を、夢見心地のままに。
グレイのパーカーに、裾が絞られた黒いズボン、つば付きのキャップにスニーカーという姿は、ダンジョンに挑む勇者の正装の一種だ。
これに秘宝入りの白い袋とテイムしたモンスターが加われば、モンスターから疑われることもない。
あ、犬の散歩ついでに、昼時で混む前にコンビニ行ってきたんすね。俺も早めに行こうかなー、などと思われるだけだ。
何事もなく、モンスターの記憶に残ることも、ふわふわしてるカズヤ自身の記憶に残ることもなく、カズヤはあっさりダンジョン第二階層の頑丈な鉄扉の前にたどり着いた。
ひょっとしたら、それはカズヤではなく誘導したハス美のファインプレーなのかもしれない。
出がけに勇気を振り絞って開けた扉を、カズヤはあっけなく開けた。
第二階層に戻る。
ハス美がするりと隙間を抜けて、カズヤは後ろ手でガチャリと鉄扉を閉める。
時間にして1時間45分。
普通に歩いて片道一時間弱かかることを考えればいいペースだったと言えるだろう。
長い長い旅は終わった。
拠点はまだ先だが、ここ二週間の特訓と探索で、ダンジョン第二階層と第一階層は勝手知ったるものだ。実家だし。
緊張の糸が解けたのか、勇者カズヤは第二階層の段差にどかっと座り込んだ。
袋越しに木の床に当たった金属筒がガコッと音を立てる。
気にすることなくカズヤは腰を曲げた。
足の装備を外すためではない。
両手で頭を抱える。
頭皮にチクリと痛みが走る。
ゆっくり右手を下ろして手を開く。
勇者の証。
カズヤは帰路の間ずっと、小さな金属片を握りしめていたらしい。
ダンジョン最深部を攻略した勇者に与えられる、真の勇者の証。
離すまいと、カズヤはふたたび手を閉じた。
拳ごと額に押し当てる。
嗚咽が漏れる。
一緒にダンジョンを攻略したハス美は、しばらくカズヤに寄り添っていた。
カズヤに温もりを与えて、手や頬をペロペロ舐めて。
やがて、待ちきれなくなったのかハス美がガサゴソ袋を漁る。
中身を確かめたのち、リードを咥えてカズヤを見つめる。
もーカズヤったら、ハス美のオヤツわすれてるよ? とでも言っているのか。さっきまでの優しさはなんだったのか。
行かないよ、とばかりに、カズヤがそっとハス美に触れた。
「ありがとな、ハス美。また今度な」
絞り出すように言ってハス美を抱きしめる。
引きこもって交流のなかった期間を越えて、一緒に育った時期を取り戻すかのように。
ハス美を抱きしめて、背後からさらなるモンスターの足音が聞こえてきても、カズヤは振り返らなかった。振り返れなかった。
モンスターの手がグレイのパーカーの背をさする。
それはまるで、泣いた子をなだめるようで。
「ただいま、母ちゃん」
嗚咽まじりで、勇者カズヤが帰還を告げる。
「おかえり、カズヤ」
勇者の帰還を讃える声は、大歓声ではなく、たった一人の涙声だった。
ダンジョン第一階層と第二階層を住処とするモンスターの。母親の。
こうして。
勇者カズヤの最初の冒険は終わった。
だがカズヤの冒険は、ダンジョン攻略はこれで終わりではない。
これからカズヤは「真の勇者」としてダンジョンに挑んでいくことだろう。
ダンジョン第一階層と第二階層のモンスターはサポートキャラとなって、拠点は第二階層まで広がって。
ダンジョン攻略に終わりはない。
けれど、いまは。
“ただいまお前ら! 勇者の証を手に入れたぞぉぉぉぉおおおおお!!!!”
(自称)陽キャ勇者:おおおおおおお!
真の勇者08:おめでとうテイマー勇者!
脳筋勇者:訓練の成果だな! 筋肉は裏切らない!
犬好き勇者:満場一致でMVPはハス美!
かませ勇者A:けっ、俺ァよ、お前はいつかやると思ってたぜテイマー勇者
かませ勇者B:おいおい、俺らもう抜かされてんぞ?
自宅警備員X:負けてられるか! 俺も攻略するぞ!
ベテラン勇者LV.1:落ち着け勇者。急いては事を仕損ずるだけだ。ダンジョンはそれほど甘くない
脳筋勇者:やっぱ地道な下調べと訓練だよなあ。俺ちょっとスクワットしてくる
勇者足踏中:第三階層の壁は高かっ……え? なになに? また真の勇者?
名無しの勇者:俺もテイマー目指そうかな
雪国勇者:おめでとう、勇者よ!
真の勇者17:次なる冒険が勇者を待つ。だがいまは栄誉を誇って休むといい
仮免勇者:そうそう、禁薬とおにぎ……携帯食料でね!
名無しの勇者:禁薬な時点で休めない件。ところで飛躍の書は? 今週の狩り狩りどうなった?
先輩風勇者:はあ、やっぱがんばったのを知ってるとクルものがあるな。俺もがんばろう
冷やかし勇者:カオスぅ
新人勇者:あの、相談していいですか? ボク最近勇者になったんですけど
いまは、勇者たちと、サポートキャラと、テイムしたモンスターと、ここにはいないサポートキャラと、よくわかっていない小型モンスターからの喝采を一身に浴びるといい。
勇者カズヤは、ダンジョン最深部を攻略するという偉業を成し遂げたのだから。
=== 終幕 ===
ある日、日本中に「ダンジョンが発生した」。
悪質なトラップがダンジョンへの侵入を阻み、数多のモンスターが徘徊する。
ダンジョンでは少なくない数の命が散った。
安全なはずの拠点で諦観のままに潰える者もいた。
そんなダンジョンの発生にある者は喜び、ある者は驚き戸惑い、そしてほとんどの者は何もしなかった。
何がダンジョンだと。
普通に日常生活を送れるじゃないかと。
だが。
一部の者は、立ち上がった。
ダンジョン攻略の先駆けとなる者がいた。
共通点があればと自身が体験したダンジョンの情報をネットにアップする者がいた。
動画を配信する者がいた。
たがいに励ましあって攻略する者たちがいた。
誰に求められなくとも、理解されなくとも、彼らは立ち上がり、自ら「勇者」と名乗った。
やがてダンジョン攻略へのうねりは大きくなって、幾人も、幾つもの組織を動かした。
ダンジョンに挑む人々をサポートする「冒険者ギルド」ができた。
「勇者ギルド」と名乗らなかったのは様式美らしい。よくわからない。
最深部だと名指しされて目的地にされたコンビニは、迷惑がるどころか来客が増えることを喜んだ。
CSR活動の一環として「勇者の証」というバッジ配布キャンペーンもはじめた。悪ノリともいう。
店舗数がトップではないことで選ばれたと知っているのか。懐が深い。深いといいなあ。
攻略情報を交換し、励まし合い、サポートを受けて、日本中で立ち上がった勇者たちはダンジョンに挑む。
難攻不落のダンジョンに、何年も足踏みする勇者もいるだろう。
真の勇者となったものの、別階層で跳ね返されて拠点に戻ってくる勇者もいるだろう。
けれど勇者よ。
真の勇者よ。
勇者となったことを、ダンジョン攻略に挑んだことを、真の勇者となったことを、誇ってほしい。
ダンジョンは日本中に存在する。
すべての勇者に、光あれ。
=== 終わりに ===
ダンジョンに挑む勇者よ。
ダンジョンをダンジョンと認識しない者から嗤われても聞き流せ。
ダンジョンがあふれる日本は、悪意だけでできているわけではない。
勇者となることを決意した勇気は、それだけで誇っていいことだ。
嗤われても、理解されなくても、攻略がなかなか前に進まなくても。
勇者であることを誇って、ダンジョンに挑んで欲しい。
そして、ダンジョンをダンジョンと認識しない者たちよ。
勇者の足取りは頼りなく思えることだろう。
鼻で嗤いたくなることもあるかもしれない。
何が勇者だ、何がダンジョンだ、当たり前にできることじゃないかと。
手助けしてくれなくていい。
心の中で嗤ってもいい。
けれど、願わくば。
何も言わず、生暖かく見守ってほしい。
貴方にとってなんてことのないその扉は、危険なダンジョンへの入り口なのだから。
(了)
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