修礼(しゅうれい)
筆者が子どもの頃には儀式の度にやっていたのが修礼です。2023年現在、学校でピアノに合わせて礼をするという、この「修礼」を見かけることはほぼなくなったように思います。
ちょっと変わった習慣だったなぁと今も思いますが、先日開催された吹奏楽講習会で東京生まれ東京育ちの講師が和音進行と音楽作りの話の中で、 I - V - I の和音を弾きながら「起立 - 礼 - 直れ」とモデルバンドの子どもたちに実践させる場面がありました。
子どもたちは違和感なく礼をしていましたが、びっくりさせられた場面でした。
東京生まれ育ちの方(58歳)が知っている。・・・今思えば、尋ねてみるべきでした。
おそらく学校での経験は無いのではと思われる子どもたち(16-18歳)が自然に礼をした。・・・今思えば、尋ねてみるべきでした。
和音進行には、心と身体を揺さぶる力があります。それを聞く人にも感じていただけるような音楽作りをしたいものです。
2005(平成17)年8月29日に作成配布した文章を再構成
儀式進行の初めと終わり
僕が通っていた学校や勤務した学校の中に、卒業式や入学式などの儀式のとき、式の最初と最後に「修礼」(しゅうれい)というものをやっていた学校があります。これがどのようなものかというとピアノで演奏される1の和音(ドミソ)→5の和音(ソシレ)→1の和音に合わせて「気をつけ」「礼」「直れ」の動作をするのです。また、同じ和音進行を学芸会の音楽発表の時にも礼の合図として使っていた学校もありました。
例えばこんなふうにやっているのです。
この和音進行がなぜ?
だれが考え出して、何時からこういうことが始まったのかはわかりませんが、僕が音楽に興味があって子ども達と音楽活動をやってきた人間だということもあって、この和音進行を「気をつけ」「礼」「直れ」の動作と結び付けるということに納得いきません。何も音を動作のきっかけにする必要はないと思うのです。特に音楽発表の時にそうさせることは、理解できません。これから音楽を聞くという直前にピアノに合わせて礼をするのです。これから聞いてもらう音楽には無関係な音をわざわざ聞かせているのです。音楽演奏の直前にその音楽とは関連の無い和音進行を聞かせるなんてことをやめたい、そしてやめさせたいと思っています。
修礼って何?
ワープロで「しゅうれい」と打っても変換されませんし、日常的に僕が使っている国語辞典にも出ていませんし、重くて厚い広辞苑(岩波書店)にも「しゅうれい」はありません。さて、いったいこの言葉は何なんでしょうか。
1995年前後に,似ている言葉が広辞苑に出ていることを知りました。
修礼(しゅらい) 儀式などの下稽古
広辞苑(岩波書店)
どうも僕の知っている「修礼(しゅうれい)」とは違います。
儒 教 ?
この「修礼」は儒教の教えによるものだと僕に教えてくれた人もいます。
それは、「式の最初と最後に1回ずつ修礼を行う。そのことで式の中で、何回も繰返し礼をする事を全て省くのが正しい。」というものです。つまり、式の中でだれかが挨拶する時にも「礼」は行わないというのです。
この儒教の教えについては、まだ調べていないので詳細は不明のままになっています。
北海道だけのもの?
学校に20年以上勤務していると、この「修礼(しゅうれい)」というものが日本全国共通のものではないようで、どうも北海道・東北地方のものらしいと漠然と理解していました。そのままで随分放置していたのです。
に2000年にインターネットで検索してみました。何かまとまったものがヒットすることを期待せずに検索したところ,調べている人がいたのです。
秋田の佐々木 彰(ささきあきら)さんがいろいろ面白いことを調べていて、その中で「修礼」についてホームページに書込んでいるのです。
それによりますと、
「修礼」使用圏は、北海道・東北と関東の一部
「修礼と言わない」地域では、「一同礼」と呼ぶのが一般的
秋田県では、明治33年2月に県令として、儀式の挙行順序(開校式と御真影拝戴式の順序等)が出され、この中に初めて「修禮(修礼)」という表記が登場した。
また、「修礼」に似た言葉として「習礼」というのもあるそうです。
なるほど、漠然と思っていたことが整理されています。
友人からのメール
知人にあれこれメールで修礼について知っている事がないかを訪ねていると,音楽の礼についてテレビ番組で放送になったことがあると教えてくれた方がいます。
(2000.4.14) 「修礼」の「チャーン チャーン チャーン」ですが、何年か前にNHKの「クイズ日本人の質問」で取り上げられ、そのとき初めて長年の疑問がとけたのを覚えています。
明治時代、西洋から(ドイツでしたっけ?)音楽教育を取り入れた際、歌い始める前に「音をとるため」のピアノの「チャーン チャーン チャーン」を日本のお役人が聞いて「はて、あれは何の合図か?人前で歌う前にはやはり礼が必要、とすれば礼の合図にちがいない」と「勝手」に思いこみ、日本で礼の合図に使われるようになったとか。
なにぶんにも昔に見聞きしたことで記憶は不確か、言葉などはこの通りではありませんが、そういう次第であったようです。(本屋で「クイズ日本人の質問」の本を立ち読みし何度かこの設問が載っていないか探したのですが、見つかりませんでした。)それを知ってからはなんだかあまりにもばかばかしく思え、卒業式には、礼をなくすのはちょっと抵抗あるでしょうからせめて「れい」の声だけにしてピアノはなし、と提案して実施しました。
「クイズ日本人の質問」の本をぜひ読んでみたいと考えていますが,まだ見つかっていません。本にならなかったのでしょうか。
いたよ、いたいた
2000年11月のことです。北海道立教育研究所(当時)の上杉正雄(うえすぎまさお)さんが「修礼」について調べていることがわかったのです。
「岩見沢教育史」によると岩見沢国民学校経営案(昭和17年) の中に「修礼」と記載されている。
同教育史の同窓会の項で、大正10年8月1日の同窓会の式次第の中に「修礼」と記載されている。
「網走地方教育史」には、大正期から昭和初期での儀式の内容等々について記載されているが、その中に「修礼」が見られる。
「後志教育百年史」(p238)には、昭和19年5月I2日の追悼会の式次第に「修礼」が記載されている。
「北海道教育雑誌」第87号に、明治33年3月28日の「北海道師範学校卒業証書 授与式」と「付属小学校卒業証書授与式」の式次第の記載があり、この中に「修礼」との文言が見られる。
なんと、少なくても北海道では、明治33年から使われている言葉だったのです。
秋田と北海道が同じ時期・・・
明治33年・・・? 秋田も明治33年だぞ。これは偶然とは思えません。同じ年に初めて出てくる言葉って、いったいなになのでしょう。
前述の佐々木 彰さんのホームページによると、「明治32年6月に、全国的に「視学官・視学・郡視学」を設置している」とあるので、このあたりが明治33年に秋田と北海道でほぼ同時に「修礼」という言葉が出現してくる原因なのかもしれません。「同一人物が東北と北海道の「視学官」を兼ねていた。」などということがあったりするのでしょうか。
他の可能性としては「師範学校」から広まったというのもあるのではないでしょうか。謎はまだまだ解決されそうにありません。
まとめにならないまとめ
この「修礼」というのは,明治時代に始まったもので,北海道・東北地方に限定された発声習慣らしいということが分かりました。まだまだ、わからないことが多い言葉です。
2005(平成17)年8月29日に作成配布した文章を再構成
writer Hiraide Hisashi
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