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北海道家庭学校 その1 留岡幸助

家庭学校の創設者は日本社会福祉の先駆者留岡幸助です。


留岡幸助

 留岡とめおか幸助こうすけ(1864 - 1934)は、1864年(元治1)に現在の岡山県高梁市で理髪業を営む吉田家の次男として生まれ、生後間も無く親類の留岡家の養子となりました。
 1888年(明治21)に同志社英学校別科神学科を卒業し現在の福知山市で教会牧師、1891年(明治24)北海道庁空知集治監の教誨師きょうかいしを務めました。幸助は監獄教誨師を務める中で、罪人を減らすには、少年の時期に愛情のある家庭で育つことが大切だと考えるようになり感化教育の必要性を強く感じ、監獄学研究のため渡米しました。帰国後、その成果を具現化するべく、1899年(明治32)東京巣鴨に家庭学校を創設し、遠軽の地に汽車が開通する前年の1914年(大正3)に東京巣鴨家庭学校の分校と農場を上湧別村字社名淵と呼ばれていた現在地に創設しました。これが北海道家庭学校の始まりです。

留岡幸助が語ったとも言われる言葉

「 学校に行ったからと言って英雄豪傑ができるわけではありません。君子になるか盗賊になるかは、家庭の空気の陶冶とうやによるのです。それなのに今の家庭は下宿屋に過ぎません。」

「教えんとするものは、自ら教えられなければならぬ。」

「教育上一番大切なのは、家庭である。次に大切なのは学校と社会である。人の子を教育する最も適当な場所は、地球上どこか?オックスフォードかハーバードかエールかベルリンか?人間を良くする基本は家庭にある。」

「教養のある慈母が、子供の教育者としては一番。無教養なる慈母でも、学校の先生より上なり。」

「我が国の教育は情味がたらぬ、情味がたらぬということは、色々な悪結果を生む。学校さえやれば子供は良くなると思っている親。学校が2分で家庭が8分なのだ。」

北海道家庭学校

 現在の「社会福祉法人 北海道家庭学校」は、男子のみを受け入れている「児童自立支援施設」です。家庭学校には、不良行為を行い、しかも家庭になんらかの課題があって保護能力に欠けているという少年が入所してきます。それは児童相談所による措置や家庭裁判所の審判によるものです。かなり非行が進んでいても、親が引き取る能力がある場合には家庭での育ち直しが行われることもあります。学齢は小学3,4年生から中学生、ときにはすでに中学校を卒業している少年が入所して来ることもあります。
 なお、北海道内には他に男子のみを受け入れる「北海道立大沼学園」と女子のみを受け入れる「北海道立向葉学院」があります。家庭学校だけが「私立」の施設ということになります。なお、私立の「児童自立支援施設」は、女子のみを受け入れている「社会福祉法人幼年保護会横浜家庭学園」と「北海道家庭学校」の2施設だけです。
 設置に関しては、国と都道府県、政令指定都市はそれぞれ児童自立支援施設を設置することが定められていて、現在、国立2、私立2、都道府県・市立54の合わせて58施設があります。

 2009年(平成21)には、遠軽町立東小学校望の岡分校及び遠軽町立遠軽中学校望の岡分校が開設され、それまで家庭学校で行われていた義務教育に「準ずる教育」から「学校教育」への転換(公教育の導入)がなされました。100年にわたる長い間育んできた家庭学校の持つ教育力を生かし、そして望の岡分校が新たな力を加え新たな歴史を刻んでいます。

1899年(明治32) : 東京巣鴨に家庭学校創立
1914年(大正 3) : 北見国紋別郡上湧別村字サナプチ(現 留岡)に北海道家庭学校設立
︎1968年(昭43)  : 東京の家庭学校と経営分離
2009年(平成21) : 公教育(望の岡分校)導入
現 在     : 社会福祉法人北海道家庭学校 が経営する男子のみを受け入れている「児童自立支援施設」

留岡幸助頌徳碑

 1940年(昭和15)に故 留岡幸助(1864-1934)氏を頌徳しょうとく(ほめたたえること)する碑が建立しました。

裏面に刻まれた言葉
『留岡幸助先生は、我が国の社会福祉と地方自治の先覚者。
 一九一四年、この地に家庭学校と付属小作制農場を創設した。
 乳牛の導入、水田の試作、産業組合の結成、冬期学校、季節保育所の開設、神を讃美する一羊会の例会、小学校の誘致、石北線開通陳情等、先生の発意と努力の賜物である。就中一九四〇年、附属小作制度を開放し自作農家を創設したが、それは既に早くより先生の抱懐した意志である。
 頌徳会一同は、先生の遺徳を末長く讚仰するために一九四〇年、八月十五日、頌徳碑を建立し、更に一九六六年八月十五日遠軽町の有志とともに、これを再建した。』

校門横の碑

家庭学校の1日

 現在、家庭学校で過ごしている子どもたちは、夫婦の職員が寮長、寮母を務める「小舎夫婦制」という家庭的な雰囲気のシステムの中で育ち直しをしています。家庭学校創立当初から「家庭であり学校であること」を目指してきた北海道家庭学校が嚆矢こうしとなっています。かつては全国の教護院の大多数が「小舎夫婦制」を採用していました。
 
 06;00 起床・朝作業
 07;30 朝食(各寮ごと)
 08;15 登校・ラジオ体操・朝礼
 08;25 学習(分校)
 12;00 昼食(給食棟で児童生徒職員全員で)
 13;30 曜日によって作業班学習・レク体育、学習(分校)
 16;30 夕作業(各寮ごと)
 18;30 夕飯(各寮ごと)
 19;00 入浴・自由時間
 21;00 消灯・就寝

夫婦小舎制 : 夫婦の職員が自分の家族とともに住み込みながら児童・生徒と生活を送ります。職員の義務教育学齢期の子弟は、東小学校・遠軽中学校に通学しています。

寮 : 「楽山寮らくさん」「掬泉寮きくせん」「石上館せきじょう」「洗心寮せんしん」「向陽寮こうよう」「平和寮へいわ」「桂林寮けいりん」があります。現在は2寮のみ運営されています。また、桂林寮は、2014(平26)に博物館に改装されました。

一群会   : ひとむれ会は、子どもたちの自治組織(生徒会)です。理事長が生徒会長にあたります。

作業班学習 : 週3日、児童生徒と家庭学校・分校職員が一体となって、蔬菜・園芸・酪農・校内管理・山林等の班に分かれて様々な作業活動を行います。生徒が刈り払い機やナタを使うなど本格的な「仕事」が中心です。

食   事 : 月曜日から土曜日の昼食と月に一度の誕生会は、全校児童生徒と教職員が給食棟で、それ以外は各寮で寮母さんが作った食事をとります。

退   所 : 家庭学校への年間の出入りは20名前後です。平均的な入所期間は1年半から2年で、中学卒業後の少年が入所することもあります。一人一人の在校期間には長短があります。

家庭学校の位置

writer Hiraide Hisashi


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