芥川龍之介の桃太郎
きび団子が出てくる話といえば「桃太郎」ですが、文豪芥川龍之介がこのお話を「サンデー毎日」に再話掲載しているのです。
芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ 1892-1927)は、他にも児童文学を執筆しています。
「蜘蛛の糸」「杜子春」「トロッコ」「アグニの神」「魔術」「白」「犬と笛」「三つの宝」「女仙」「三つの指環」「仙人」「白い子猫のお伽新「百合」「虎の話」「猿蟹合戦」「教訓談(かちかち山)」「物臭太郎」などが児童文学のジャンルの作品と言えそうです。
その中から「桃太郎」を読んでみたい。
桃太郎
一
むかし、むかし、大むかし、ある深い山の奥に大きい桃の木が一本あった。大きいとだけではいい足(た)りないかも知れない。この桃の枝は雲の上にひろがり、この桃の根は大地の底の黄泉(よみ)の国にさえ及んでいた。何でも天地開闢(かいびゃく)の頃おい、伊弉諾(いざなぎ)の尊(みこと)は黄最津平阪(よもつひらさか)に八つの雷(いかずち)を却(しりぞ)けるため、桃の実を礫(つぶて)に打ったという、――その神代(かみよ)の桃の実はこの木の枝になっていたのである。
この木は世界の夜明(よあけ)以来、一万年に一度花を開き、一万年に一度実をつけていた。花は真紅の衣蓋(きぬがさ)に黄金(おうごん)の流蘇(ふさ)を垂らしたようである。実は――実もまた大きいのはいうを待たない。が、それよりも不思議なのはその実は核(さね)のあるところに美しい赤児(あかご)を一人ずつ、おのずから孕(はら)んでいたことである。
むかし、むかし、大むかし、この木は山谷(やまたに)を掩(おお)った枝に、累々(るいるい)と実を綴(つづ)ったまま、静かに日の光りに浴していた。一万年に一度結んだ実は一千年の間は地へ落ちない。しかしある寂しい朝、運命は一羽の八咫鴉(やたがらす)になり、さっとその枝へおろして来た。と思うともう赤みのさした、小さい実を一つ啄(ついば)み落した。実(み)は雲霧(くもきり)の立ち昇る中に遥(はる)か下の谷川へ落ちた。谷川は勿論(もちろん)峯々の間に白い水煙(みずけぶり)をなびかせながら、人間のいる国へ流れていたのである。
この赤児を孕んだ実は深い山の奥を離れた後、どういう人の手に拾われたか?――それはいまさら話すまでもあるまい。谷川の末にはお婆さんが一人、日本中の子供の知っている通り、柴刈りに行ったお爺さんの着物か何かを洗っていたのである。
二
桃から生れた桃太郎は鬼が島の征伐(せいばつ)を思い立った。思い立った訣(わけ)はなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである。その話を聞いた老人夫婦は内心(ないしん)この腕白(わんぱく)ものに愛想(あいそ)をつかしていた時だったから、一刻も早く追い出したさに旗(はた)とか太刀(たち)とか陣羽織(じんばおり)とか、出陣の支度(したく)に入用(いりよう)のものは云う(い)なり次第(しだい)に持たせることにした。のみならず途中の兵糧(ひょうろう)には、これも桃太郎の註文(ちゅうもん)通り、黍団子(きびだんご)さえこしらえてやったのである。
桃太郎は意気揚々(ようよう)と鬼が島征伐の途(みち)に上(のぼ)った。すると大きい野良犬が一匹、饑(う)えた眼を光らせながら、こう桃太郎へ声をかけた。
「桃太郎さん。桃太郎さん。お腰に下げたのは何でございます?」
「これは日本一の黍団子だ。」
桃太郎は得意そうに返事をした。勿論実際は日本一かどうか、そんなことは彼にも怪しかったのである。けれども犬は黍団子と聞くと、たちまち彼の側へ歩み寄った。
「一つ下さい。お伴しましょう。」
桃太郎は咄嗟(とっさ)に算盤を取った。
「一つはやられぬ。半分やろう。」
犬はしばらく強情に、「一つ下さい」を繰り返した。しかし桃太郎は何といっても「半分やろう」を撤回しない。こうなればあらゆる商売のように、所詮(しょせん)持たぬものは持ったものの意志に服従するばかりである。犬もとうとう嘆息(たんそく)しながら、黍団子を半分貰う代りに、桃太郎の伴をすることになった。
桃太郎はその後犬のほかにも、やはり黍団子の半分を餌食に、猿や雉(きじ)を家来にした。しかし彼等は残念ながら、あまり仲の好い間がらではない。丈夫な牙を持った犬は意気地のない猿を莫迦(ばか)にする。黍団子の勘定に素早い猿はもっともらしい雉を莫迦にする。地震学などにも通じた雉は頭の鈍い犬を莫迦にする。――こういういがみ合いを続けていたから、桃太郎は彼等を家来にした後も、一通り骨の折れることではなかった。
その上猿は腹が張ると、たちまち不服を唱(とな)え出した。どうも黍団子の半分くらいでは、鬼が島征伐の伴をするのも考え物だといい出したのである。すると犬は吠えたけりながら、いきなり猿を噛み殺そうとした。もし雉がとめなかったとすれば、猿は蟹(かに)の仇打(あだう)ちを待たず、この時もう死んでいたかも知れない。しかし雉は犬をなだめながら猿に主従の道徳を教え、桃太郎の命に従えと云った。それでも猿は路ばたの木の上に犬の襲撃を避けた後だったから、容易に雉の言葉を聞き入れなかった。その猿をとうとう得心(とくしん)させたのは確かに桃太郎の手腕である。桃太郎は猿を見上げたまま、日の丸の扇(おうぎ)を使い使いわざと冷かにいい放した。
「よしよし、では伴をするな。その代り鬼が島を征伐しても宝物は一つも分けてやらないぞ。」
欲の深い猿は円い眼をした。
「宝物? へええ、鬼が島には宝物があるのですか?」
「あるどころではない。何でも好きなものの振り出せる打出(うちで)の小槌(こづち)という宝物さえある。」
「ではその打出の小槌から、幾つもまた打出の小槌を振り出せば、一度に何でも手にはいる訣(わけ)ですね。それは耳よりな話です。どうかわたしもつれて行って下さい。」
桃太郎はもう一度彼等を伴に、鬼が島征伐の途(みち)を急いだ。
三
鬼が島は絶海の孤島だった。が、世間の思っているように岩山ばかりだった訣(わけ)ではない。実は椰子(やし)の聳(そび)えたり、極楽鳥(ごくらくちょう)の囀(さえず)ったりする、美しい天然の楽土(らくど)だった。こういう楽土に生(せい)を享(う)けた鬼は勿論(もちろん)平和を愛していた。いや、鬼というものは元来我々人間よりも享楽(きょうらく)的に出来上った種族らしい。瘤(こぶ)取りの話に出て来る鬼は一晩中踊りを踊っている。一寸法師(いっすんぼうし)の話に出てくる鬼も一身の危険を顧(かえり)みず、物詣(ものもう)での姫君に見とれていたらしい。なるほど大江山(おおえやま)の酒顛童子(しゅてんどうじ)や羅生門(らしょうもん)の茨木童子(いばらぎどうじ)は稀代(きだい)の悪人のように思われている。しかし茨木童子などは我々の銀座(ぎんざ)を愛するように朱雀大路(すざくおおじ)を愛する余り、時々そっと羅生門へ姿を露(あら)わしたのではないであろうか? 酒顛童子も大江山の岩屋(いわや)に酒ばかり飲んでいたのは確かである。その女人(にょにん)を奪って行ったというのは――真偽(しんぎ)はしばらく問わないにもしろ、女人自身のいう所に過ぎない。女人自身のいう所をことごとく真実と認めるのは、――わたしはこの二十年来、こういう疑問を抱いている。あの頼光(らいこう)や四天王(してんのう)はいずれも多少気違いじみた女性崇拝家(すうはいか)ではなかったであろうか?
鬼は熱帯的風景の中に琴を弾いたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり、頗(すこぶ)る安穏(あんのん)に暮らしていた。そのまた鬼の妻や娘も機(はた)を織ったり、酒を醸(かも)したり、蘭(らん)の花束を拵(こしら)えたり、我々人間の妻や娘と少しも変らずに暮らしていた。殊(とく)にもう髪の白い、牙(きば)の脱(ぬ)けた鬼の母はいつも孫の守りをしながら、我々人間の恐ろしさを話して聞かせなどしていたものである。――
「お前たちも悪戯(いたずら)をすると、人間の島へやってしまうよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒顛童子(しゅてんどうじ)のように、きっと殺されてしまうのだからね。え、人間というものかい? 人間というものは角(つの)の生(は)えない、生白(なまじろ)い顔や手足をした、何ともいわれず気味の悪いものだよ。おまけにまた人間の女と来た日には、その生白い顔や手足へ一面に鉛(なまり)の粉(こな)をなすっているのだよ。それだけならばまだ好(い)いのだがね。男でも女でも同じように、嘘はいうし、欲は深いし、焼餅は焼くし、己惚(うぬぼれ)は強いし、仲間同志殺し合うし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのない毛だものなのだよ……」
四
桃太郎はこういう罪のない鬼に建国以来の恐ろしさを与えた。鬼は金棒(かなぼう)を忘れたなり、「人間が来たぞ」と叫びながら、亭々(ていてい)と聳(そび)えた椰子(やし)の間を右往左往に逃げ惑(まど)った。
「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」
桃太郎は桃の旗を片手に、日の丸の扇を打ち振り打ち振り、犬猿雉の三匹に号令した。犬猿雉の三匹は仲の好(い)い家来(けらい)ではなかったかも知れない。が、饑(う)えた動物ほど、忠勇(ちゅうゆう)無双(むそう)の兵卒の資格を具えているものはないはずである。彼等は皆あらしのように、逃げまわる鬼を追いまわした。犬はただ一噛(ひとか)みに鬼の若者を噛み殺した。雉も鋭い嘴(くちばし)に鬼の子供を突き殺した。猿も――猿は我々人間と親類同志の間がらだけに、鬼の娘を絞殺(しめころ)す前に、必ず凌辱(りょうじょく)を恣(ほしいまま)にした。……
あらゆる罪悪の行われた後、とうとう鬼の酋長(しゅうちょう)は、命をとりとめた数人の鬼と、桃太郎の前に降参した。桃太郎の得意は思うべしである。鬼が島はもう昨日(きのう)のように、極楽鳥(ごくらくちょう)の囀(さえず)る楽土ではない。椰子の林は至るところに鬼の死骸を撒(ま)き散らしている。桃太郎はやはり旗を片手に、三匹の家来を従えたまま、平蜘蛛(ひらぐも)のようになった鬼の酋長へ厳(おごそ)かにこういい渡した。
「では格別の憐愍(れんびん)により、貴様たちの命は赦(ゆる)してやる。その代りに鬼が島の宝物(たからもの)は一つも残らず献上(けんじょう)するのだぞ。」
「はい、献上致します。」
「なおそのほかに貴様の子供を人質(ひとじち)のためにさし出すのだぞ。」
「それも承知致しました。」
鬼の酋長はもう一度額(ひたい)を土へすりつけた後、恐る恐る桃太郎へ質問した。
「わたくしどもはあなた様に何か無礼(ぶれい)でも致したため、御征伐(ごせいばつ)を受けたことと存じて居ります。しかし実はわたくしを始め、鬼が島の鬼はあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点(がてん)が参りませぬ。ついてはその無礼の次第をお明(あか)し下さる訣(わけ)には参りますまいか?」
桃太郎は悠然(ゆうぜん)と頷(うなず)いた。
「日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱(かか)えた故、鬼が島へ征伐に来たのだ。」
「ではそのお三(さん)かたをお召し抱えなすったのはどういう訣でございますか?」
「それはもとより鬼が島を征伐したいと志した故、黍団子をやっても召し抱えたのだ。――どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。」
鬼の酋長は驚いたように、三尺ほど後(うしろ)へ飛び下(さが)ると、いよいよまた丁寧(ていねい)にお時儀(じぎ)をした。
五
日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹と、人質に取った鬼の子供に宝物の車を引かせながら、得々(とくとく)と故郷へ凱旋(がいせん)した。――これだけはもう日本中の子供のとうに知っている話である。しかし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送った訣ではない。鬼の子供は一人前になると番人の雉を噛み殺した上、たちまち鬼が島へ逐電(ちくでん)した。のみならず鬼が島に生き残った鬼は時々海を渡って来ては、桃太郎の屋形(やかた)へ火をつけたり、桃太郎の寝首(ねくび)をかこうとした。何でも猿の殺されたのは人違いだったらしいという噂(うわさ)である。桃太郎はこういう重ね重ねの不幸に嘆息(たんそく)を洩(も)らさずにはいられなかった。
「どうも鬼というものの執念(しゅうねん)の深いのには困ったものだ。」
「やっと命を助けて頂いた御主人の大恩(だいおん)さえ忘れるとは怪(け)しからぬ奴等でございます。」
犬も桃太郎の渋面(じゅうめん)を見ると、口惜(くや)しそうにいつも唸(うな)ったものである。
その間も寂しい鬼が島の磯(いそ)には、美しい熱帯の月明(つきあか)りを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島の独立を計画するため、椰子(やし)の実に爆弾を仕こんでいた。優しい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しそうに茶碗(ちゃわん)ほどの目の玉を赫(かがや)かせながら。……
六
人間の知らない山の奥に雲霧(くもきり)を破った桃の木は今日もなお昔のように、累々(るいるい)と無数の実をつけている。勿論(もちろん)桃太郎を孕(はら)んでいた実だけはとうに谷川を流れ去ってしまった。しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。あの大きい八咫鴉(やたがらす)は今度はいつこの木の梢(こずえ)へもう一度姿を露(あら)わすであろう? ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。……
(大正十三年六月)
初出:「サンデー毎日 夏期特別号」 1924(大正13)年7月